――振られるつもりで告白するなんて、初めてだ。
黒崎直斗、高校二年生はそう思った。
どれだけ周りに人が居ても、自分は一人で。誰にも必要とされないのだと実感していた。笑顔が当たり前の世界で、笑顔を向ける相手のいない僕は明らかな異物だった。
それなのに、何故だろう。
『僕の、彼女になってくれないかな』
『僕と付き合ってほしいんだ』
人と交流の無い僕でも知っている女子や、クラスの可愛い子に声を掛けた時、断られるとは微塵も思っていなかった。何度振られても、次には彼女になって貰えると信じていた。
矛盾している。
恋は盲目と言うが、僕のは恋だったんだろうか。
『でもそれって、黒崎君は女の子のことがちゃんと好きなのかな』
――澪央の問いが思い出される。
彼女達をちゃんと好きではなかった。あれから気付いたのだ。
――僕は、「好きです」という言葉を使ったことがない。
無意識に、嘘を吐くのを避けていたのだ。
誰かに認められたい。認められたい。認められたい――好きだよと言って欲しい。砂漠で水を求めるように、好意だけを求めた。
それが一方的な歪んだ欲求だとも思わずに。
(最低だな……)
頭の中が自己嫌悪で満たされていく。自分は最低で、価値の無い人間なのだと。自分で自分を否定して、積み上がった他人からの否定と合わせて、底無しの闇に堕ちていく気がする。
それなのに、僕は未だ恋人を求めるんだ。
彼女が――好きだから。
今日の図書委員の当番は、放課後だった。雫は直斗を待たずに先に図書室へ行っていた。しかし、業務が始まると、不愛想ながら仕事上の質問には答えてくれる。
そういうところが、直斗は堪らなく好きだ。
何を怒っているかは分からない。怒らせた心当たりは無いが、相当のことなのだろう。それでも、彼女は無視してこない。
「こ、この前は休んじゃってごめんね」
「いいよ、暇だし」
目も合わせないで、小さい声で言う。ほら、ちゃんと答えてくれる。それに、嫌いだからって、攻撃的なことは言ってこない。
(あ、そうか……)
そうして、気付く。告白するのが怖いも何も無い。雫に嫌われていると、自分はとっくに分かっていたのだ。
「もう大丈夫なの?」
「あ、う、うん」
それでも、気遣いをしてくれる。本心じゃなくてもいい。雫のこういう細やかさが好きだ。直斗が返却本のチェックをしていると、女子生徒がカウンターを訪れた。
「あの、この本を借りたいんですけど」
「はい。IDカードはありますか?」
雫はにこやかに対応している。ああして笑うと、お姫様みたいに可愛かった。
前は直斗にも向けてくれていた、自然な笑顔だった。
窓から見える空が、白と藍色のグラデーションに染まっている。冬が近くなり、夜は早く訪れる。利用者は帰り、図書室には委員の直斗と雫だけが残っていた。
「じゃあ、鍵、よろしくね」
「あ、う、うん。分かった」
雫に対しては、つい声がどもってしまう。いつも緊張していたが、今日はその比ではない。
告白するのに、こんなに緊張するのは初めてだ。否――違う。これが『告白』なのだ。今までのは――告白じゃない。
鞄を肩に掛け、雫は図書室の引き戸に手を伸ばす。
「ま、待って!」
勇気を出して止めると、少女は髪をふわりと靡かせて振り返った。
「何? 忘れ物?」
「そ、そ、そうじゃなくて……」
心臓が早鐘を打っている。これも初めてだ。雫は、直斗に新しい経験を与えてくれる。
彼女との距離は三メートル程で、引き戸の前で立ち止まり、怪訝そうにこちらを見ている。今にも出て行ってしまいそうだが、直斗は知っている。用件が終わるまで、待ってくれるということを。
「あ、あ、あの……」
声が上擦る。雫の片眉が僅かに動く。
「望月さんのことが、好きなんだ。ぼ、僕と、つ、付き合ってくれないかな」
「……はあ?」
可愛い――どちらかと言うと育ちが良さそうな雰囲気の彼女から、あまり品の無い返しが来た。心臓が大きく跳ねる。
「ぼ、僕と……」
「目ぼしい女の子がいなくなったの?」
引き戸側を向き、雫は低い声で言う。
「え、え?」
「文化祭で、A組で明日香に告白したんでしょ? オムライスにハートマーク書いてもらったらしいじゃん」
「え、あ、あれは……」
何で知っているのかと、直斗は混乱する。緊張が吹き飛んで、思考が渦を巻いた。A組では、あの時の様子をスタッフや客に見られていた。そこから漏れたのだろうか。
「明日香だけじゃない。噂になってるよ、女の子に告白しまくってるって。黒崎君が誰かに告白する度に話が流れてくるの」
「え、え……?」
投げられる言葉の一つ一つが、胃に重い衝撃を与えてくる。意味が分からない。そんなこと、受け入れられない。
「警戒、というか、情報共有の対象になってる。皆、良く思ってないよ」
「そ、そんな……」
頭が真っ白になる。嘘であって欲しいと思うのに、雫の態度で、それが嘘ではないと察してしまう。
「望月さんの態度が変わったのは……」
「ごめんね。黒崎君の好きって、全然信用出来ない。付き合えないよ。そういうことだから……」
雫は引き戸を開け、廊下に出る。
「他の子に声を掛けても無駄だと思うよ」
直斗とは目を合わせず、彼女はその場から去っていった。
退室前に、既に電気は消していた。完全に日が沈んだ今、図書室は真っ暗になっている。廊下も消灯し、直斗は暗闇に包まれていた。雫の声が、言葉が、頭の中で繰り返し響き続ける。
自分の行動が多くの女子達に知られている。その所為で皆に悪い印象を持たれている――羞恥と焦燥が綯い交ぜになって、叫びたくなる。
もう学校へは通えない。
このまま闇に溶けて、消えてしまいたくなる。
そう、消えて――
□■□■
校舎は暗く、静かだった。普段だったら怖いと思う夜の学校に、何も感じない。階段も、壁も、廊下も、教室も、ただそこに在るモノに過ぎない。
そう思えてしまうくらいに、雫の情緒はめちゃくちゃだった。
怒りも、悔しさも、憎しみも、その起源すら分からなくなるくらいに。
『黒崎君、また別の子に告ったって。あたしの時から二週間くらいしか経ってないよね?』
数日前、明日香からそう聞いた。
女子側が自分から話を広めることはそんなに無い。けれど、何処からか噂が広がっていく。明日香もその一つを聞きつけたらしい。彼女が受けた告白も、本人ではなく目撃者から周囲に流布されていった。
今や、彼はネットワークを持つ女子達の警戒対象になっている。
(遂に、私まで来たんだ……)
直斗自身の「告白」がたとえ不誠実でも、彼は女子を選択している。
誰でも良くても、誰でも良くはない。
『誰も僕を必要としていないんだ』
と、ぼそっと言ったのを聞いたことがある。でも、あなただって私を必要としていない。選別から外している癖に。
――ずっと、そう思っていた。
それが、遂に雫まで順番が回ってきた。
どうして自分が外され続けていたのかは分からない。でも、告白されて――結局はナンパの類だったとしても――嬉しく感じてしまった。
だが、同時にこれまでの『負』の感情も甦ってくる。
どうして。
今まで対象外だったのに。
何で今更。
『好きなんだ』と直斗は言った。
彼の「好き」がどれだけ当てにならないかは解っているつもりだ。
(本当は好きなんかじゃない。女の子なら誰でもいいんだよね……)
――翌日、雫が登校すると、直斗の姿は無かった。
(そりゃ、来れないよね)
昨日の放課後、女子の間で直斗の良くない噂が広がっていると教えた。それを知って登校出来る程、彼は肝が据わっていない。
感情的になってしまったが、言うべきじゃなかったかもしれない。
いつかは本人が知ることだったとしても――
「どしたの? 雫。考え事?」
「明日香。あのね、私……」
教室の戸が、からりと開く。遠慮がちに半分ほど開けたその先には、澪央の姿があった。彼女と一緒に居た男子生徒も居る。
入口に近い席の女子が、澪央に言った。
「望月さん? だったらあそこに……」
「あ、違うの。……黒崎君、居る?」
教室内がざわめき、空気が若干固くなる。それを感じ取ったのか、クラスメイトはしどろもどろで答える。
「く、黒崎君は、今日は来てないけど……」
「……!」
澪央の表情に緊張が走った。隣の男子生徒も同様だ。並々ならぬ緊迫感が伴っている。
思い余って、雫は席を立っていた。以前は、直斗に選ばれた彼女に苛立ちがあった。その感情は昨日以来、薄れている。
ただ、自分が預かり知らぬところで何かがあり、それに澪央が関係しているというのは、少し靄々する。
「ねえ、どうしたの? 椎名さん、黒崎君に何の用なの?」
「望月さん……昨日、黒崎君と何かあった?」
雫を見ると、澪央は真剣な眼差しを向けてきた。あまりにも切迫した何かに気圧され、ただ答えることしか出来ない。
「あった、というか……ちょっと、喧嘩、したかな……」
澪央と男子生徒は、やっぱり、という表情を浮かべた。「ありがとう」とだけ言って踵を返す。
「待って、あなた達は何を知ってるの? 黒崎君が……」
――私に告白したって、知ってるの?
とは声に出せないまま、二人の背は遠ざかっていった。