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第6話 不機嫌の真相

 ――振られるつもりで告白するなんて、初めてだ。


 黒崎直斗、高校二年生はそう思った。

 どれだけ周りに人が居ても、自分は一人で。誰にも必要とされないのだと実感していた。笑顔が当たり前の世界で、笑顔を向ける相手のいない僕は明らかな異物だった。

 それなのに、何故だろう。

『僕の、彼女になってくれないかな』

『僕と付き合ってほしいんだ』

 人と交流の無い僕でも知っている女子や、クラスの可愛い子に声を掛けた時、断られるとは微塵も思っていなかった。何度振られても、次には彼女になって貰えると信じていた。

 矛盾している。

 恋は盲目と言うが、僕のは恋だったんだろうか。

『でもそれって、黒崎君は女の子のことがちゃんと好きなのかな』

 ――澪央の問いが思い出される。

 彼女達をちゃんと好きではなかった。あれから気付いたのだ。

 ――僕は、「好きです」という言葉を使ったことがない。

 無意識に、嘘を吐くのを避けていたのだ。

 誰かに認められたい。認められたい。認められたい――好きだよと言って欲しい。砂漠で水を求めるように、好意だけを求めた。

 それが一方的な歪んだ欲求だとも思わずに。

(最低だな……)

 頭の中が自己嫌悪で満たされていく。自分は最低で、価値の無い人間なのだと。自分で自分を否定して、積み上がった他人からの否定と合わせて、底無しの闇に堕ちていく気がする。

 それなのに、僕は未だ恋人を求めるんだ。

 彼女が――好きだから。


 今日の図書委員の当番は、放課後だった。雫は直斗を待たずに先に図書室へ行っていた。しかし、業務が始まると、不愛想ながら仕事上の質問には答えてくれる。

 そういうところが、直斗は堪らなく好きだ。

 何を怒っているかは分からない。怒らせた心当たりは無いが、相当のことなのだろう。それでも、彼女は無視してこない。

「こ、この前は休んじゃってごめんね」

「いいよ、暇だし」

 目も合わせないで、小さい声で言う。ほら、ちゃんと答えてくれる。それに、嫌いだからって、攻撃的なことは言ってこない。

(あ、そうか……)

 そうして、気付く。告白するのが怖いも何も無い。雫に嫌われていると、自分はとっくに分かっていたのだ。

「もう大丈夫なの?」

「あ、う、うん」

 それでも、気遣いをしてくれる。本心じゃなくてもいい。雫のこういう細やかさが好きだ。直斗が返却本のチェックをしていると、女子生徒がカウンターを訪れた。

「あの、この本を借りたいんですけど」

「はい。IDカードはありますか?」

 雫はにこやかに対応している。ああして笑うと、お姫様みたいに可愛かった。

 前は直斗にも向けてくれていた、自然な笑顔だった。


 窓から見える空が、白と藍色のグラデーションに染まっている。冬が近くなり、夜は早く訪れる。利用者は帰り、図書室には委員の直斗と雫だけが残っていた。

「じゃあ、鍵、よろしくね」

「あ、う、うん。分かった」

 雫に対しては、つい声がどもってしまう。いつも緊張していたが、今日はその比ではない。

 告白するのに、こんなに緊張するのは初めてだ。否――違う。これが『告白』なのだ。今までのは――告白じゃない。

 鞄を肩に掛け、雫は図書室の引き戸に手を伸ばす。

「ま、待って!」

 勇気を出して止めると、少女は髪をふわりと靡かせて振り返った。

「何? 忘れ物?」

「そ、そ、そうじゃなくて……」

 心臓が早鐘を打っている。これも初めてだ。雫は、直斗に新しい経験を与えてくれる。

 彼女との距離は三メートル程で、引き戸の前で立ち止まり、怪訝そうにこちらを見ている。今にも出て行ってしまいそうだが、直斗は知っている。用件が終わるまで、待ってくれるということを。

「あ、あ、あの……」

 声が上擦る。雫の片眉が僅かに動く。

「望月さんのことが、好きなんだ。ぼ、僕と、つ、付き合ってくれないかな」

「……はあ?」

 可愛い――どちらかと言うと育ちが良さそうな雰囲気の彼女から、あまり品の無い返しが来た。心臓が大きく跳ねる。

「ぼ、僕と……」

「目ぼしい女の子がいなくなったの?」

 引き戸側を向き、雫は低い声で言う。

「え、え?」

「文化祭で、A組で明日香に告白したんでしょ? オムライスにハートマーク書いてもらったらしいじゃん」

「え、あ、あれは……」

 何で知っているのかと、直斗は混乱する。緊張が吹き飛んで、思考が渦を巻いた。A組では、あの時の様子をスタッフや客に見られていた。そこから漏れたのだろうか。

「明日香だけじゃない。噂になってるよ、女の子に告白しまくってるって。黒崎君が誰かに告白する度に話が流れてくるの」

「え、え……?」

 投げられる言葉の一つ一つが、胃に重い衝撃を与えてくる。意味が分からない。そんなこと、受け入れられない。

「警戒、というか、情報共有の対象になってる。皆、良く思ってないよ」

「そ、そんな……」

 頭が真っ白になる。嘘であって欲しいと思うのに、雫の態度で、それが嘘ではないと察してしまう。

「望月さんの態度が変わったのは……」

「ごめんね。黒崎君の好きって、全然信用出来ない。付き合えないよ。そういうことだから……」

 雫は引き戸を開け、廊下に出る。

「他の子に声を掛けても無駄だと思うよ」

 直斗とは目を合わせず、彼女はその場から去っていった。


 退室前に、既に電気は消していた。完全に日が沈んだ今、図書室は真っ暗になっている。廊下も消灯し、直斗は暗闇に包まれていた。雫の声が、言葉が、頭の中で繰り返し響き続ける。

 自分の行動が多くの女子達に知られている。その所為で皆に悪い印象を持たれている――羞恥と焦燥が綯い交ぜになって、叫びたくなる。

 もう学校へは通えない。

 このまま闇に溶けて、消えてしまいたくなる。

 そう、消えて――


  □■□■


 校舎は暗く、静かだった。普段だったら怖いと思う夜の学校に、何も感じない。階段も、壁も、廊下も、教室も、ただそこに在るモノに過ぎない。

 そう思えてしまうくらいに、雫の情緒はめちゃくちゃだった。

 怒りも、悔しさも、憎しみも、その起源すら分からなくなるくらいに。

『黒崎君、また別の子に告ったって。あたしの時から二週間くらいしか経ってないよね?』

 数日前、明日香からそう聞いた。

 女子側が自分から話を広めることはそんなに無い。けれど、何処からか噂が広がっていく。明日香もその一つを聞きつけたらしい。彼女が受けた告白も、本人ではなく目撃者から周囲に流布されていった。

 今や、彼はネットワークを持つ女子達の警戒対象になっている。

(遂に、私まで来たんだ……)

 直斗自身の「告白」がたとえ不誠実でも、彼は女子を選択している。

 誰でも良くても、誰でも良くはない。

『誰も僕を必要としていないんだ』

 と、ぼそっと言ったのを聞いたことがある。でも、あなただって私を必要としていない。選別から外している癖に。

 ――ずっと、そう思っていた。

 それが、遂に雫まで順番が回ってきた。

 どうして自分が外され続けていたのかは分からない。でも、告白されて――結局はナンパの類だったとしても――嬉しく感じてしまった。

 だが、同時にこれまでの『負』の感情も甦ってくる。

 どうして。

 今まで対象外だったのに。

 何で今更。

『好きなんだ』と直斗は言った。

 彼の「好き」がどれだけ当てにならないかは解っているつもりだ。

(本当は好きなんかじゃない。女の子なら誰でもいいんだよね……)


 ――翌日、雫が登校すると、直斗の姿は無かった。

(そりゃ、来れないよね)

 昨日の放課後、女子の間で直斗の良くない噂が広がっていると教えた。それを知って登校出来る程、彼は肝が据わっていない。

 感情的になってしまったが、言うべきじゃなかったかもしれない。

 いつかは本人が知ることだったとしても――

「どしたの? 雫。考え事?」

「明日香。あのね、私……」

 教室の戸が、からりと開く。遠慮がちに半分ほど開けたその先には、澪央の姿があった。彼女と一緒に居た男子生徒も居る。

 入口に近い席の女子が、澪央に言った。

「望月さん? だったらあそこに……」

「あ、違うの。……黒崎君、居る?」

 教室内がざわめき、空気が若干固くなる。それを感じ取ったのか、クラスメイトはしどろもどろで答える。

「く、黒崎君は、今日は来てないけど……」

「……!」

 澪央の表情に緊張が走った。隣の男子生徒も同様だ。並々ならぬ緊迫感が伴っている。

 思い余って、雫は席を立っていた。以前は、直斗に選ばれた彼女に苛立ちがあった。その感情は昨日以来、薄れている。

 ただ、自分が預かり知らぬところで何かがあり、それに澪央が関係しているというのは、少し靄々する。

「ねえ、どうしたの? 椎名さん、黒崎君に何の用なの?」

「望月さん……昨日、黒崎君と何かあった?」

 雫を見ると、澪央は真剣な眼差しを向けてきた。あまりにも切迫した何かに気圧され、ただ答えることしか出来ない。

「あった、というか……ちょっと、喧嘩、したかな……」

 澪央と男子生徒は、やっぱり、という表情を浮かべた。「ありがとう」とだけ言って踵を返す。

「待って、あなた達は何を知ってるの? 黒崎君が……」

 ――私に告白したって、知ってるの?

 とは声に出せないまま、二人の背は遠ざかっていった。


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