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第4話 本当に好きな人

(誰も居ないのか?)

 動きの無いドアを前に、慧は思う。もし直斗が在宅していたとして、玄関に出てくるだろうか。

(人に会いたくないなら、居留守を使いそうだよな)

 そう考えていると、ドアが開いた。若干腰の曲がった人の好さそうな老婆が出てくる。右手に杖を持っていた。

「はいはい、なんですかね」

 アレクシスは脇に移動して涼しい顔をしている。正面に立つ形になった慧は、慌てて挨拶をした。

「あ、えっと……俺達、直斗君に会いに……今日、休んでたので……」

「ああ、直ちゃんのお友達ですか。どうぞどうぞ」

「お、おじゃまします」

 澪央が先頭に立って中に入る。老婆はゆっくりと、歩幅狭く歩く。腰だけではなく、足も悪くしているようだ。

 生活感のあるリビングに入ると、二階から直斗が様子を見るように降りてきた。

「おばあちゃん、今の誰……」

 階段を二段残したところで足が止まる。小さく口が開いている。

「ほら、心配して来てくれたんだよ」

 老婆はテーブルの傍にある椅子に近付き、座ろうとしてバランスを崩す。

「おばあちゃん!」

 あっ、と思って一歩を踏み出しかけた時、直斗が残りの階段を下りて老婆を支えた。素早い動きだった。

「大丈夫?」

「ああ、大丈夫だよ。ありがとうねえ」

「一回でも転んだらダメだからね」

 無事に座らせてから、慧達に向けてぼそっと言う。

「絶対に転ばないようにってお医者さんに注意されてるんだ。……お茶入れるから、先に行ってて。二階の手前左側の部屋」

「わ、分かった」

 慧の後を澪央が付いてくる。手伝うと申し出そうなのに意外だったが、彼女は深刻そうな顔をしていて、二人きりになるのは気まずいのかと察せられた。


 直斗の部屋には、ベッドの他に幅の広いパソコンデスクと黒いゲーミングPCがあった。テレビを置いた棚の下にはコンシューマーゲーム機が各種置いてある。

 グレーのカーペットが敷かれた床に座っていると、直斗が入ってきた。

「小さい机とか無いから、床置きになってごめんね」

 三人の前にお盆を置き、彼自身も座ると、沈黙が落ちた。四つの湯呑みを全員で見下ろすだけの時間が過ぎる。

「……昨日のアレのことで来たんだよね? おばあちゃんの前じゃなかったら帰って欲しかったけど……えーと……椎名さん、に……」

「A組の神谷慧だ。こっちは……」

「二人の知人のアレクシスだ。君の足を掴んでいた」

「あ、ど、どうもありがとう……」

 この人は何なのかと直斗が思っているのがありありと分かった。生徒の知人であっても、部外者の外人が放課後に屋上に居るのはおかしいのだから当然と言える。

「黒崎君。話の前に、私……謝りたいの」

 澪央が膝の向きを変えて、直斗に向き合う。彼の顔をしっかりと見てから、頭を下げた。

「告白してくれたのに、断ってごめんなさい。…………」

 言った瞬間、口と胃を押さえて動かなくなる。

「……え、え? どうしたの、体調悪い?」

 無言のまま、澪央は首を振る。直斗は明らかに狼狽えている。だが、慧は彼女の抱える心の問題を話すべきかの判断がつかなかった。アレクシスは平然と緑茶を啜っている。

「気分が悪いなら、洗面所に行くか?」

 声を掛けると、澪央は再度首を振った。少しして、背筋を伸ばす。

「ごめんなさい、もう平気だから」

 一度深く呼吸をしてから、湯呑みを手に取る。未だに心配そうにしつつも、直斗は遠慮がちに口を開いた。

「あの……改めて付き合ってくれるって言いに来たんじゃないんだよね……?」

 ほんの僅かに期待が混じっているのが分かる。この問いに答えることに因って、また拒絶反応が起きるのではないかと慧は気が気ではなかった。文化祭以降に多少肩の荷が降りていても、こればかりは直ぐに解消はされないだろう。

「く、黒崎……」

「私は、人を好きになったことが無いの」

 澪央は直斗に対して、自分が抱えていた問題を話し始めた。最近になって、やっと、完璧ではなくても見捨てられたりしないのだと思えたのだと。

「黒崎君にとっては、贅沢な悩みに感じるかもしれない。腹も立つかもしれない。でも、そうだったの」

「そんな……」

 直斗は俯いた。何を考えているのかは分からなかったが、髪の下から覗く表情は悲しそうに見える。

「だから、誰かを好きになる余裕が無かったし、男子をそういう対象だと思ったこともない。黒崎君個人がどうとかは関係無いの」

「…………」

 直斗は、両膝の上に載せていた拳を握り直す。窓の外の、自動車の走行音や鴉の声が、際立って聞こえる。

「じゃあ……今は?」

「え?」

「今は、誰かを好きになれるの?」

「それは……」

 澪央は若干迷うようにしてから、彼に答えた。

「好きな人が出来るまでは、分からない。今はまだ、居ないと思う」

「そう、なんだ」

 また室内が静かになる。暫くして、申し訳無さそうに直斗は言った。

「僕も、ごめん。告白した相手が断った時にどう感じるかなんて考えたこと無かった。そんなに辛いなんて、思わなかった」

「うん……。でも、私みたいな人は居ないよ。少なからず良い気分はしないだろうけど」

「椎名君のは極端だからな」

「アレクシス!」

 大人しくしていたと思ったら、碌なことを言わない。一瞬ぽかんとした直斗が、表情を改める。

「僕が、どうしてあんなことをしたのか、訊きに来たんだよね。気になるよね、それは」

「あ、まあ、ああ……」

 もう知っているとは言えず曖昧に返事をすると、直斗は話し始めた。

「椎名さんが本心を教えてくれたのに、僕が喋らないわけにはいかないよね。僕は、僕を絶対に好きでいてくれる人が欲しかったんだ……」

 そして彼は、子供の頃から友達が出来なかったことや周囲と馴染めなかったこと、それが誰にも必要とされていないのだと感じて、だったら生きている意味なんて無いんじゃないかと思うようになったこと――

「あの時は、自分が底の無い穴に堕ちていくような気分になったんだ。やっぱり僕に価値は無いんだって。死ぬしかないって、頭の何処かから声がして。何も考えられなくなって……」

「……アレクシスは本気で自殺する気は無いって言ってたな」

 慧がやや冷ややかに言うと、直斗が「え」とアレクシスを見る。キオク図書館の管理者は、珍しく動揺した様子を見せた。

「む、それに関しては済まなかった。状況から早合点してしまった」

「いえ、そんな……」

 何故か直斗が恐縮している。

「あんな風になったのは初めてだったんだ。何回女の子に振られても、どれだけ絶望しても、自殺しようとまでは思わなかったのに。まるで、何かに操られているみたいな……」

「何かではない。頭の中で響く声は、確実に君の内なる声――深層心理だ。君の心は、既に限界を迎えている。振られた経験が積み重なり、誰にも必要とされていないという思いも膨れ上がった。結果として、死への希求に繋がった」

 解釈違いを謝ったばかりだというのに、アレクシスはやけに断定的に言った。

「そう、なんでしょうか……僕は……ああ、生きている意味なんて無いって……」

 直斗の目から光が失われていく。以前、澪央も同じような目をしていた。これは絶望のしるしなのかもしれない。

 澪央が直斗の両肩を掴む。

「しっかりして。黒崎君はどうなったら必要とされてると思えるの? 私達が死んで欲しくないって思うだけじゃ足りない? ここに三人居るわ」

「死んで……欲しくない……? どうして……? ただ、寝覚めが悪いからじゃなくて……?」

「どうしてって……」

 答えに窮したのか、澪央は口を閉ざした。何と言うべきなのか、惑っている。

「こうして知り合ったからな。もう事情も解ってるのに、みすみす死なれたら悲しいだろ」

 彼女を助けようと発言したが、これは慧の本心だ。アレクシスも続けて問いに答える。

「私が足を引っ張ったのだから、それを無駄にしてほしくはないな」

 何か別の意味に聞こえるな、と思っていると、控えめに澪央が笑う。

「足を引っ張ったって……そうね。私も足を引っ張ったから、黒崎君に生きてほしい」

「…………」

 直斗は「へ?」とでも言いそうな顔をしていたが、やがて、ふふっと笑った。

「そ、そうだよね……だけど……」

 直ぐにまた、沈んだ表情になる。

「またあの感じが来たら、僕にはどうしようもないよ。体が勝手に動くんだ……」

「であれば、君の望みを叶えた方が良さそうだな。恋人が欲しいという望みを」

 アレクシスは冷めた茶を飲んで部屋を見回す。菓子は無いのかと言いたげである。

「つまり、彼女を見つけるってことか? でも、それは……」

 かなり難易度が高いのではないだろうか。振られた時のリスクが危険なものである以上、誰かへの告白は続けられない。そもそも、告白は手当り次第にするものではない。

「ねえ、黒崎君。私は、いつか好きな人が出来たらその時に一緒に居られればいいなと思うの。でも黒崎君は、とにかく女の子に隣に居て欲しいんだよね?」

 鞄から個包装のチョコレートを出してアレクシスに渡してから、真面目な面持ちで澪央が訊く。

「恋人は、僕の存在を認めてくれる存在だから。彼女が出来れば、僕はきっと自信が持てるようになる」

「そう……。でもそれって、黒崎君は女の子のことがちゃんと好きなのかな」

「え?」

「女の子を同じだけ、大事に出来るのかな。本気で好きだと思ってない子に、好きを返してあげられるのかな」

「もちろ……」

 直斗は口を中途半端に開けたまま、瞬きをした。視線を下げ、落ち込んだ声で話す。

「もちろん、とは言えないかもしれない……。僕は学校で目立つ子や名前を知ってる子に告白してた。椎名さんも、人気があるから手紙を出して……ごめんね」

「ううん、もういいよ」

 澪央の声は穏やかだった。慰めるようでもある。本人と話して心境が変わったのかもしれない。

「……今思えば、僕がしてた、好きじゃないのに付き合って欲しいって言うのは告白じゃないよね」

 それは『告白』ではなく『ナンパ』だと思ったが、慧は口を出さなかった。

「黒崎君、好きな女の子は居ないの? 本当の意味で、気になる子。考えたこと、ない……?」

「…………」

 空になった湯呑みを見詰め、直斗はじっと考えているようだった。

「……気になる子は、居る……かな……」

 花が開くように、澪央が笑顔になった。嬉しそうな彼女につられて、慧も口元を緩めた。室内の空気が柔らかくなった気がした。

 しかし、澪央は直ぐに真面目な表情になって、彼に訊ねる。

「もしその子が他の人と付き合ったらどう思う? 何ともない?」

「他の人と……? うーん……、嫌、かな……」

 一つ一つを確認するように、言葉を切りながら、答える。

「じゃあ、黒崎君がもし他の子にOKを貰ったとして、その気になる子を選ばなかったって後悔しそう?」

「後悔……?」

 次の答えには、それなりの時間が掛かった。その状況を想像しているのかもしれない。

「……何かが引っ掛かり、続けると思う」

 真正面から見返してきた彼に、澪央が優しく微笑む。

「それが、人を好きになるということだよ。黒崎君はその子じゃないとダメなんだよ。……ね、その子の名前は?」

「望月、雫。同じクラスなんだ」

 澪央が「え」と声を漏らす。慧に、どうしようと言うような顔を向けてくる。

 アレクシスだけが、余裕そうな笑みを浮かべていた。


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