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第2話 見失った存在意義

「告り過ぎたって、どういうこと?」

 険のある目を向ける澪央に対し、アレクシスは全てを見透かしたように軽く笑い、真顔に戻る。

「告られた方として気になるのは当然か。言葉通りだ。彼は告っては振られ、告っては振られを繰り返している。椎名君とは正反対の立場と言える。今日の飛び降り未遂も、それが理由だな」

「告っては振られ……」

 そのフレーズで、慧の脳裏で引っ掛かっていたものが浮上してきた。黒崎直斗は――文化祭初日に『吸血鬼の館』で猫耳の女子に振られ、すれ違った男子だ。

「顔は一瞬しか見えなかった。でも、あの前髪……間違いない」

「ふうん、そうなんだ……」

 隣から漂ってくる空気が、熱めの赤から昏い黒へ変化していく。また、腕に小さな痛みが連続する。

「つまり、誰でも良かったんだ。断るのがどれだけ辛いかなんて、考えてないんだ……」

「どちらも否定できないな。交際を申し込む時、黒崎直斗は『今度こそ成功させる』としか考えていない」

 つまり、断られることは想定していない――ということだ。

「望んでいるのは『人から必要とされること』――特定の人物と恋愛をすることではない。愛してくれるなら誰でも良いとも取れる」

 澪央は溜息を吐くと、椅子から立ち上がった。

「帰るわ。彼には断ってしまった罪悪感があったけど、関わりたいと思えない。……ね、私に告白してくる人の気持ちなんてこんなものなのよ」

 彼女の目は冷たさと、そして哀しみを湛えている。誰かを振る度に積み重なってきた辛さは、決して軽いものではないだろう。

「椎名……」

「帰るならドアを開けるが、この本の内容は君にとっても時間の無駄にはならないと思うぞ」

「……どうして?」

 澪央の厳しい視線を受け止め、アレクシスは本を閉じてテーブルに置く。

「君の心情も理解出来る。だが、椎名君は人からの否定を過剰に恐れていただろう。黒崎直斗は他人から否定され続けた少年だ。慧も似たようなものだが……気にならないか?」

 慧は、おい、と突っ込みを入れたくなったが澪央の表情を見て自重する。刺々しい空気が、少しずつ影を潜めていく。

「……本を、読んで」

 少女は、再び椅子に座った。管理者を、睨みつけながら。


 直斗は小さな頃から、自分を主張しない――出来ない性格だった。幼稚園の頃は、部屋の隅で絵本を読んだり、絵を描いていた。それが趣味だったというよりは、時間を潰す為の行動だった。

『くろさきくん、わたしたちといっしょに積み木やろうよ』

『おままごとしようよ!』

 暗い、という感じでは無かったので、女の子達から遊びに誘われることが多く、室内で彼女達と過ごしたりした。


 ――ここまで読むと、澪央が釈然としない様子で口を挟んだ。

「モテてるじゃない」

「この話には続きがある。『直斗は同い年の子と話すのが苦手だった。何を喋っていいかが分からない。おどおどとしている直斗と遊んでもつまらないと、徐々に誘われなくなった』」

『くろさきくんとあそんでもたのしくない』

『ほかのことあそぶね!』

 以降は女の子達から遊びに誘われることもなく、直斗はまた一人で遊ぶようになった――

「これが黒崎直斗人生初の振られ記録だ。簡略化したが同じことが何度か起こり、クラスの女子全員から振られたと言っていい」

「クラスの女子全員から振られた……」

 澪央の声から棘が消えた。驚きと、何故か申し訳無さが感じられる。この時に振ったのは彼女じゃないのだが。

「遊びにくいという理由で男子の友達も居なかった。避けられていると解っている状態で直斗から誘うこともしなかった」

「…………」

 遠慮がちな澪央の目が気になる。

「幼稚園の時は一応居たからな」

 そこは確りと主張した。アレクシスの朗読は続く。


 ――小学校に上がっても、友達は居なかった。初対面でも、他の子は直ぐに仲良くなるのに、直斗にはそれが出来なかった。彼は友達になるなら少しずつ会話を重ねてお互いを知ってからと思っていた。けれど、会話をする相手がそもそも居なかった。

 周囲が見えない方が落ち着くからと前髪を伸ばしてみた。他人と話す時におどおどはしなくなったが、見た目に加え、雰囲気も地味だった為、クラスメイトからは変人判定を受けて友達は出来なかった。

 修学旅行のグループ分けでは一人だけ残った。惨めで恥ずかしい思いをしたというのもあったが、誰からも選ばれなかった、認められなかったという事実は、大きな瑕となった。

 ――中学に入っても、状況は変わらなかった。殆どが小学校の繰り上がりであり、顔見知りだった。そこから直斗の人物像の噂が広がり、何より――誰もが、直斗の友達になる『必要性』を感じていなかった。皆、もう友達が居たからだ。

 三年生になると、友達が一人出来た。二年時に別のクラスで溢れていた生徒だった。受験勉強や対戦ゲーム等を一緒にしたが、他の同級生は関わってこなかった。その時に気が付いた。

“僕達は二人で一人のような扱いで、孤立していることに変わりはないんだ”

 と。その『友達』も本当の友達ではなかった。独りを避ける為に互いを利用しているだけだった。

 周囲では男女交際も目立ってきていた。だが、自分なんかが告白しても無駄なのだと思っていた。


「それが、何で女子に告白するようになったんだ?」

 朗読を聞いて感じた疑問が、そのまま口をついて出た。朗読中には神妙な顔をしていたアレクシスが、ふっと笑ってページを捲る。

「もうそろそろだ」


 高校に入り、中学の友達との縁は切れた。自分から友を作ろうという気は既に失せ、毎日を淡々と過ごせれば良いと考えるようになっていた。

 ただ、数十人の少年少女の中で一人で居て、思ってしまった。

 ――誰にも求められないのに、僕は何の為に生きているんだろう。必要とされないなら、生きている意味なんて無いじゃないか――

 自分の存在意義を見失い、直斗は『必要とされること』を求めるようになった。そこで目に留まるようになったのが交際中の生徒達だった。恋人というのは、誰かに必要とされている、何よりの証だ。

 ――僕も恋人が欲しい。誰かに好きになって欲しい――


「以降、自分の理想に近い女子に頻繁に告白するようになったわけだ。彼にとって、振られるというのは『要らない』と告げられることだ。存在意義が無いのなら死ぬしかないと、そこまで考えてしまうんだな」

 共感は難しいが理解は出来る話だ。慧は誰かに必要とされたいと思ったことが無い。しかし、それは自分には店という世界があるからかもしれない。直斗には――

「家族は?」

 下を向いた澪央が、ぽつりと言う。

「両親とか兄弟とか……家族にも、愛されてないの?」

「家族とは円満な関係を築いている。だが、黒崎直斗が求めているのは他人からの愛だ。何の縁も無い他人から存在を肯定されなければ満たされない」

「そう……円満なんだ。良かった」

 澪央はほっとしたようだった。そして、真剣な表情でアレクシスに訊く。

「黒崎君には本当に友達が居ないの? 文化祭もあったし、誰とも交流してないなんてあるかな。神谷君だって、女の子と話してたし」

「あのくらいは……。でも普段は一切話してないから友達とは言えないし」

 澪央に無視された時だなと思いながら、慧は言い訳をする。

(……俺は何で友達が居ないって主張してるんだ?)

 何か変だと内心で首を傾げていると、アレクシスが口を開いた。

「学校生活で必要な会話は適宜している。日直や委員会活動とかだな。図書委員の望月雫もちづきしずくと話す機会は比較的多いようだ」

「望月雫さん……か。話を聞いてみたいな」

「ここで本を読むことも出来るが」

 アレクシスが提案するが、澪央は静かに首を振った。

「直接話したい。今日はもう帰ってるよね……。私もそろそろ帰るわ」

「随分と積極的になったじゃないか」

「だって……このままじゃ、良くないわ」

 面白そうに言う管理者から、彼女はふいっと目を逸らした。

「なあ、黒崎は家で何してるんだ? さっき確認してから結構時間経ったけど、危ないことをしようとはしてないか?」

「問題無い。ゲームに没頭している」

「そ、そうか……」

 今夜は大丈夫そうかと思っていると、アレクシスは「そこはあまり心配しなくても良いだろう」と言った。

「今日の飛び降りも本気ではなかった筈だ。屋上に私達が居ても実行しようとした。下でも生徒達が見ていた。止めてほしかったのだろう」

「……本に書いてあったの?」

「当人も意識していない深層心理までは書かれていない。ただの予想だ。……だが」

 アレクシスは珍しく難しい顔をした。

「『自殺を仄めかす者は自殺しない』と言われるが、宣言した上で実際に実行する者も多い。注意は必要だな」

「そんな……」

 澪央は小さく体を震わせる。

 ――黒崎直斗の『負』は、一刻も早く取り除く必要がありそうだった。


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