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第10話 エピローグ

 文化祭当日――

「いらっしゃいませ! 二年C組スイーツカフェにようこそ!」

 ローズピンクのエプロンドレスを着た澪央が、教室の入口で客引きをしている。廊下を歩く人は多かったが、一クラス先程度なら結構確りと彼女が見える。読者モデルは辞めたということだったが、経験値が高いだけに所作も輝きもモデルそのものだ。

(ちょっと勿体ない気もするな)

 案内板を手に吸血鬼人形と化している慧は、つい澪央に目を遣ってしまう。あんなに明るい笑顔は初めて見た。他人の評価を気にしないようになれたなら、読者モデルは彼女の天職なのではないかと、そう思える程に。

「澪央さんの本領発揮ですね」

「前よりも輝いている気がしますね。一皮剥けたというか」

 慧の後ろに隠れるようにして、二人の男子生徒が澪央を凝視している。手首に『椎名澪央ファンクラブ』と書かれた腕輪をしている。遂に実在を確認した。

「…………」

 ジト目で視線を送り続けていたら、二人は「あ、どうも……」と平身低頭して逃げていく。しっかりと澪央の傍を通っていった。

「ふむ、目の保養になりそうだな」

 気のせいか、アレクシスの声がした。

「客引きの仕事はちゃんと出来ているのか?」

 気のせいではなかった。ファンクラブ会員と入れ替わりに背後を取っていた。

「何で制服なんか着てんだよ!」

 アレクシスは都立栞高等学校の制服を着ていた。身長が有り、金髪なこともあって、留学生のようだった。

「取り寄せた。文化祭だからな。コスプレも可能だ」

「文化祭だからこそ普段着で良いんだよ!」

 通り過ぎる人々が、喧々と突っ込みを入れる慧とアレクシスに注目して笑い合っている。

 二年C組の前では、管理者の格好になのか二人の遣り取りになのか、どのポイントで驚いているのか分からないが、澪央が目を丸くしていた。

「それで、客は入っているのか?」

「そこそこは。何せ、この匂いだからな」

『吸血鬼の館』はドアを開けたまま営業している。メニューであるトマトと、そして何よりにんにくの匂いが凄い。何もしなくても、食欲を刺激された客達が入っていく。

「ほら、結構客が……おっと」

 教室を覗くと、視界が完全に隠れるくらい前髪を伸ばした男子が足早に出て行った。店内には、少し不穏な空気が流れている。

「どうしたんだ?」

 近くに居た女子吸血鬼に訊いてみると、あー……と困った顔をして彼女は答えた。

「何か、振られちゃったみたい」

「あー……」

 それは、あー……としか言えなかった。文化祭という浮ついた空気の場所では良くあることだ。二人が向かい合って座れる席で、猫耳をつけた女子生徒がトマトジュースを飲んでいた。振ったのは彼女だろうか。

「私が屋上から降りる途中でも交際を申し込んでいる男が居たな。皆、誰かと付き合いたいのだな」

「ああ、そうみたいだな」

 慧は恐らく――いや、間違いなく、澪央より人を信用していない。両親以外に受け入れられてこなかった自分には、恋愛が出来るとは思えなかった。


 ――文化祭初日が終わり、制服に着替えて学校を出る。アレクシスは制服のままだった。

「今後校舎を歩く時に便利だろう。第一、高校生に年齢制限は無いからな」

「そうかもしれないけどな……」

 何ともし難い心持ちで渋面を作る。以前に三十代の高校生を主役にしたドラマがあって――とアレクシスが話し続ける中で、澪央がくすくすと笑う。

「随分と打ち解けたのね」

「そういうわけじゃない」

 多少気安くなったのは認めるが、人として好感を持っているかと言えばそんなことはない。不本意に思う慧の隣で、澪央はまだ笑っている。ここ最近は、彼女の『負』を感じる回数が減った。その威力も、以前とは比べ物にならない程に弱まっている。たまに強めの『負』も受けるが、我慢出来る範囲だった。

「前より自然に過ごせるようになってきたみたいだな」

「……うん。まだ緊張する時もあるけど、少しずつね」

 澪央が自分を出すと、陽真と美月は嬉しそうにしてくれる。表面上の薄い会話しかしてこなかったが、今は人間味のある話をすることもある、と彼女は言った。

「じゃあ、もう大丈夫だな。後は無理をしないことに慣れていけば……」

「いや、まだ問題は残っているだろう」

 アレクシスが話に割り込んでくる。澪央の肩が小さく震えた。笑顔が固まる。

「男から言い寄られているだろう。振舞い方を変えたところで解消されない問題だ」

「それは……」

 俯く少女に、アレクシスは更に言う。

「断れば失望されるという機序は前と同様だ。他人の『失望』を恐れ続ける限り、それを避ける術は無い」

「『負』が強い時があるのは、その所為か……」

 澪央は暫く黙っていたが、やがて口を開いた。

「陽真ちゃんと美月ちゃんにね、告白を断るのが辛いって話をしたの。女の子にこういう話をするのは、自慢って言われそうで怖かったけど……」

 ――『そんなん嫌に決まってるよ。告ってくるのって殆ど知らない人なんでしょ?』

 ――『マジ有り得ない! 澪央ちゃんに告るなんて無謀だよねー』

 と教室で皆に聞こえるように声を上げた為、少なくともクラスメイトから告白されることは無くなりそうということだ。

「でも、ゼロにはならないだろ? 他の男子から呼び出されたら断るしかないだろ」

「その時は、『好きな人が居る』って伝えようと思う。その噂が広がれば、諦める人も増えるかなって」

「そうか……」

 完全にシャットアウトするのは難しそうだが、恋愛成就の望みを持たれにくくはなるかもしれない。

「…………」

 隣の少女の気配が変わった。足を止め、何かを目撃したように瞳孔が開いている。

「どうした?」

「……え、ううん、何でも」

 我に返ったらしい澪央が微笑む。その表情に違和感と、そして既視感を覚えて慧は眉を顰めた。この顔は――

 続きを脳裏で言語化する前に、ふいっと目を逸らされる。そこにもう笑顔は無い。夕陽に照らされ、頬が朱色に染まっている。

「……気になることがあるなら言えよ」

「うん、ありがとう」

 こちらを向かないまま、彼女は足早に歩き出した。


     ****


(……絶対に言えない……)

『好きな人が居る』という言葉を声にした時、慧の顔が浮かんできたなんて――

(……たまたまだよね)

 隣に居たから。

 直前まで顔を見ていたから。

 それだけのことだと、澪央は自分に言い聞かせた。


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