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第5話 初めての笑顔

 この日は、アレクシスの部屋に泊まることになった。ソファの上に寝転がり、毛布をかける。着替えは部屋着を借りた。この部屋の主がキオク図書館で着ていた、くるぶしくらいまである白い一枚着だ。

 あれは管理者の正装とかではなく、部屋着だった。

「友達、か……」

 友達なんて、暫く出来たことがない。幼稚園の頃には居たが、慧が能力を主張するようになって離れていった。

 友達とは、どういうものなのか。

 何も知らないのに、澪央と友人になれるのだろうか。彼女を救う為ではなくても、友人になりたいと思っていたのだろうか。

(……分からない)

 だが、澪央にはどこか、親近感を覚える。

 正反対の人生を送ってきたのに、彼女が自分に似ているように思えるのだ。

「友達、か……」

 慧はもう一度、呟いた。


 翌日は、バイクで高校まで送って貰った。金髪白皙の、生徒から見ると完全に謎な部外者は、バイクを堂々と自転車置き場に駐車して校内を歩き出した。澪央との顔合わせもしたいし、屋上をマーキングポイントにしておきたいそうだ。

 ちなみに今日はデニムのジャケットを着ている。下はカーキ色のチノパンである。慧はあえて気にしないことにした。

「待ち合わせは七時半だったよな?」

「間違いない。昨日の放課後、彼女は靴箱にラブレターが入っているのを見つけた。『明日の朝七時半に校舎裏に来てください』と書かれていた」

「ラブレターって決めつけるなよ」

「ラブレターだろう」

 軽口を叩きながら校舎裏に向かっていると、「ごめんなさい」という声が聞こえた。時計の針は七時二〇分を指している。

 慧は表情を引き締めて壁に背をつけた。男子が誤魔化すように笑う声がする。

「そっか。こっちこそごめんね。困らせちゃって。言わない後悔より言う後悔かなと思ったんだけど、僕の自己満足だよね」

「そんなことない。嬉しかった。でも、まだ恋愛とか分からなくて。いつか誰かを好きになる時が来るかもしれないけど、今は……」

「うん、分かった。来てくれてありがとう」

 一人分の足音が遠ざかっていく。やがて、澪央の嗚咽が聞こえてきた。

「椎名!」

 思わず飛び出すと、彼女は口を押さえたまま慧を睨みつけた。後から姿を見せたアレクシスにも苛烈な視線を送る。

「まさか、人が告白されてるのを覗き見しに来たの? いくら何でも悪趣味じゃない!」

 尤も過ぎて反論出来ない為、慧はまず謝った。

「悪かった。でも心配だったんだ」

「謝ればどんなことでも許されるわけじゃない……」

 澪央はまた呻いて咳き込んだ。慧が背を撫でると、振り払おうとはしなかった。彼女の目はアレクシスに向いている。

「あなたが神谷君に私の人生を読み聞かせなかったら、彼にしつこくされることも無かったのに……!」

「それは違うな、椎名君。私が本を読まなくても、慧は君に接触していただろう。『負』の痛みとやらを受け取ったのだから」

 澪央の視線を受け、慧は頷いた。

「本の中身を知ったからこの程度で済んでるんだ。無知であれば、俺はきっと根掘り葉掘り聞き出そうとしてたよ」

「何で……何で私に構うの? 学校のアイドルだから? 有名だから? ちょっとばかり容姿が良いから?」

「違う。俺はそんなんじゃない。ただ、椎名が放っとけないんだ!」

「でも!」

 声を荒らげて彼女は叫ぶ。

「近付いてくる人は皆そう! 付き合ってっていう人も、私が彼女だってステータスが欲しいだけ。皆が可愛いって言うから可愛いと思うだけで、私のことなんて見てないの」

「……そ、そうとは限らないだろ。あれだけ慕われて、ファンクラブだってあるんだろ?」

「ファンクラブなんて……同じ話題があれば一体感が生まれて楽しいから入ってるだけでしょ」

 やっぱりあるのか、と思いつつ、該当者が聞いたら確実に傷つくようなことを次々と吐き出す澪央を前にして、慧は驚いていた。

 彼女は、『皆が善良な良い人』だからこそ失望されるのを恐れているのだと思っていた。

「本当はその程度なのに……本気で私を好きだって思ってるんだよね。馬鹿みたい」

「人を信じていないのか」

「信じるとか信じないとか、考えたことない。ただ、皆そうだし、人の本質はそんなものだと思うだけよ」

 それを人を信じていないと言うのだが。

 慧は自らの過去を思い出す。『負』を感じる能力について知って貰おうとしていた頃、誰も信じてくれなかったこと。その時に人の悪意や嫌悪感を浴びたこと。人は内心では冷たいことを考えているのだと思った。不快にもなり易い。それからずっと、体を攻撃する『負』の多さに、彼等の『否定』を感じてきた。

「人から認められてきても、そう思うのか……」

 つい言葉にしてしまう。澪央がカッとなるのが分かった。彼女の目が怒りに染まったと同時に、全身に痛みが走る。

「……っ!」

 体が跳ねる。苦痛に歪む慧の顔を見ても、澪央は敵視に近い視線を向けてくるだけで、表情を変えなかった。アレクシスが口を開く。

「椎名君は、誰もの期待に応えるようにと頑張ってきた。こうであって欲しいという他人の願いを叶えようとしてきた。その為、最大限に他人の思考を感じ取ろうと努めてきた。意識的にも、無意識的にも。彼女が他者から感じてきたことは、思い込みだけではないのだろうな」

 彼の台詞は、本を読んだからこそ出てきたものだろう。

「それは……分からないでもないな……」

 心当たりがある。能力に因るものだけではなく、他者から本音が漂ってくるのはままあることだった。結局、人は感情を隠しきれない。

「分かるの?」

「俺は友達が居ないからな」

「え?」

 澪央の表情から怒りが消えた。呆気に取られたらしい。更に戸惑いも生まれたようだ。

「そ、それは、えっと……」

 気の毒そうに見られても、慧は動じない。

「言わなかったか? 居ないし、作ろうと思ったこともない。人の否定的な感情に触れたくなかったからだ。だけど……」

 徐々に緊張が膨れ上がる。昨日のアレクシスの話が脳裏に浮かぶ。

『友にならないと始まらない』

 そう、確かにそうだろう。だが、今の慧は義務ではなく、人生で初めて――

「俺は、椎名と、友達になりたい」

「え……」

 顔が熱くなる。アレクシスが、背を押してくるように、うん、と顎を上下させた。

「友達から始めましょうとかじゃなくて、友達になりたいんだ。俺は椎名に惚れてないし、そもそも人を好きになったことが無い。だから、安心して欲しい」

「……惚れてないって……」

 固まったままだった澪央は、俯いて声を震わせる。次いで、顔を上げた。

「物凄く失礼なことを言われてるのに、今はむしろ嬉しいな」

 そこには、演技で塗り固められていない、人形らしくない微笑みがあった。

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