校門から楽しげに前庭を眺めている青年は、下校中の生徒達の意識を多少なりとも奪っていた。バイクの音が五月蝿かったことと、金髪白皙の美しい見目であることがその理由だろう。一瞥されようが、胡散臭そうな目を向けられようが、ワントーン上がった声で女子達がひそひそ話をしようが、本人は気にしていないようだ。
慧が歩み寄ると、アレクシスは爽やかな笑みを浮かべた。
「何かあったか? 辛気臭い顔をしていたぞ」
「こっちでも会えるなら言っておいてくれ」
「その為に会いに来たのだが。私としても、図書館に選ばれし者との関係は続けていきたいからな」
バックパックから群青色のヘルメットを出して渡してくる。
「乗れ」
「何処に行くんだ? 図書館か?」
「さあ、どうだろうな」
初めてで勝手が分からず、ぎこちない動作で後ろに乗る。通りすがりの生徒達の目が気になった。その中でも強く攻撃的な視線を感じ、自然とその主を探してしまう。
昇降口を出たところに澪央が立ち、こちらを睨みつけていた。
「あれが椎名 澪央か」
バイクを走らせながら、アレクシスが言う。走行中でも、意外と声が聞き取れる。
「本を読んだ印象よりは、猫を被っているようには見えなかったな」
「……余裕が無くなったんだろう」
「彼女に余裕が有る時など存在しないのではないか?」
「キャパシティの遣い方が変わったんだよ」
自らの振舞いに意識の全てを遣えるのは、他のことを考えなくても良いからだ。誰にも知られたくなかったであろう『椎名 澪央』の裏側を暴かれた彼女は、その衝撃に思考の全てを支配されてしまったのだろう。
「ふむ。つまり、慧がそれだけのことをしたというわけか」
信号が赤になって走行音が消えると、背中越しに愉快そうに話す声が聞こえた。
「何も面白くない」
再びバイクが走り始める。慧が黙ると、アレクシスも何も言わなくなった。住宅街に入り、ベージュのタイル張りの五階建てマンション前で止まる。
「ここは?」
バイクから降りて聞くと、「私の家だ」とこともなげに答えが返ってくる。あまりにも自然で、「ふーん……」と納得しかけて驚いた。
「家があるのか!?」
「賃貸だ」
「持ち家か賃貸かを訊いてるんじゃなくて!」
屋上での澪央との遣り取りで抱いていたわだかまりが吹っ飛んだ。エレベーターに乗り込むライダースジャケットの後を追う。
「家が無いと何かと不便だからな」
五階で降り、プレートに『505』と書かれた部屋の前で立ち止まる。最上階の角部屋だ。アレクシスは鍵を回してドアを開けた。
「先に行け」
「何で」
「ブーツを脱ぐのに時間が掛かる」
「あ、そう……」
玄関に入って靴を脱ぎ、中に入る。廊下の左側に風呂とトイレがあり、少し先に二口コンロのキッチン、冷蔵庫があった。
突き当りの引き戸を開けると、ソファにテーブル、パソコンデスク、テレビ等がある部屋があった。壁際の棚には電気ポットが置かれている。隣にも部屋があるのか、右奥にもドアが見える。
「めちゃくちゃ生活感があるな」
「寝る時と誰かの本を読む時以外はここで過ごす。慧がキオク図書館に来た時に私があそこに居たのは偶々だ。運が良かったな」
アレクシスは部屋に入ると、右奥ドアに近付いた。
「見ていろ」
何があるのかと隣に立つ。ドアを押し開けた先には――
キオク図書館が在った。白い世界に連なる本棚、黒いベッドという昨日見たのと同じ景色が広がっている。
「この先には本来なら四畳半の小部屋があるが、私が入ろうと思えば図書館に繋がる。ここだけではなく、どんな扉でも私の意思一つで行けるようになっている」
ドアを閉めてもう一度開けると、そこは確かに小部屋だった。掃除機や段ボール箱があり、物置代わりにしているようだ。アレクシスは棚からコップを二つ取り、冷蔵庫から麦茶らしきものが入ったボトルを出してそれぞれに注いだ。テーブルに置いてソファに座る。
「部屋を借りておけば、ベッド等の大きな荷物も運びやすい。何より、業者は図書館には配送してくれない。通販を利用するのにも便利だ。昨日は、招かれない限り慧は図書館に入れないと言ったが……」
慧が彼の向かいの床に座ったところで、コップに口をつける。
「私に連絡してくれれば、バイト中でない限りは駆けつけよう。私と一緒ならば入れるからな。圏外の時は諦めろ」
そうして、スマートフォンを出して見せてくる。
「バイトしてるのか!? スマホまで持って……」
「資金は必要だからな。図書館を介すれば出勤も楽々だ」
「…………」
一体どんな仕事をしているのだろうか。制服を着て「いらっしゃいませ」と言っている様子は似合わないが、接客業だろうか。
「……さて」
アレクシスは不意に真顔になり、慧を見据えてくる。
「椎名 澪央と何があった?」
本を読めば早いのにとぼやいたら、それでは味気ないと言われた。既に苦い思い出となっている過去を話すのは気が進まなかったが、仕方ない。
やはり麦茶だったコップの中身に口をつけてから慧は話した。
「……そうか。特に芸も無く、お前の本性を知っている、と告白したらキレられたわけか」
「そんな言い方しなくてもいいだろ!」
「では、どう言えばいい? 無理に相手の闇を抉じ開けても、問題は何も解決しない。だが……」
顎に手を当て、思案顔になってアレクシスは黙り込む。
「一手目として他にやり方が無かったのも確かだろうな。早期解決を望むなら全てを曝け出すしかない。……さて、これからどうするつもりだ?」
「どうって……、ありのままでも誰も嫌わないって説得を続けるしかないだろ」
「それだけで良いのか? それだけで、彼女が心を開くと?」
アレクシスの表情はどこか愉し気であり、何となく言わんとしていることが理解出来た。人が人に心を許す条件など多くはない。高校二年生同士なら尚更に。
「と、友達になれるように頑張るよ……」
「そうだ。スタートが最悪なのは確かだが、友にならないと始まらない。男女の友情が成立するかは不明だが」
「それは、成立するだろ……」
友達ゼロ人で過ごしてきたから知らないが、少なくとも慧に恋愛感情は無いし、澪央にも無いだろう。それなら、友人になれる筈だ。
「……ふむ」
アレクシスはソファから立ち、小部屋へのドアを開けた。白い空間に足を踏み入れる。
「現在の彼女が慧をどう思っているか確かめてみるか」
管理者の手招きを受けてキオク図書館に入ると、背後でドアが消失した。
手元にくすんだピンクの本を出現させ、アレクシスは黙読を始める。その表情が、すぐに渋いものになった。
「慧、君も嫌悪されているが……それ以上に私の方が嫌われている。会ってもいないのに随分と恨まれたものだな」
閉じられた本が、彼の手から消失する。
「椎名 澪央は君の話を疑っていない。それだけ核心を突かれたということだ」