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第3話 崩れた心

「ほう……興味深いな。名前も顔も認識されていないのに、変わらず助けたいと思うとは」

 アレクシスは口元に笑みを浮かべている。揶揄している感じでは無く、本心からの台詞らしい。とはいえ、むっとすることに変わりはない。

「笑うなら笑え。第一、すれ違う度に『負』をお見舞いされたら迷惑だ」

「まあ、その理由の方が納得がいくな」

 相変わらず、管理者は面白そうに微笑んでいる。慧の本はもう持っていなかったが、思考を読まれているようで気分は良くない。

「今日はもう帰る。図書館から出してくれ」

「良いだろう。こっちだ」

 来た道を戻り、ベッドを回り込んで先を歩く。本棚を幾つか過ぎた所で足を止め、視線を落とす。床に、本の表紙と同じ模様が描かれている。それを、アレクシスは白いルームシューズを履いた足で踏みつけた。カチッという音と共に、前方から床がせり上がってくる。最終的に、高さ二メートル、幅一メートル、奥行き三十センチ程の白いドアが現れた。やはり、表紙の模様がある。

「これと同じ仕掛けが、キオク図書館の所々にある。ここから現実の様々な場所に繋がれる。しかし、行き先には制限がある」

「制限?」

「私が行ったことのある場所なら何処にでも行ける」

「は!?」

 その意味を即座に理解して、慧は驚いて声を上げた。

「じゃあ、俺の家には繋がれないってことか? 学校にも?」

「都立栞高等学校だったな。現時点では無理だ」

「そんな……」

 それでは、戻る方法は無いのに等しいのではないか。

「他には、私が手にした本の持ち主の近くに繋がることも可能だ。椎名 澪央と接触したいなら、彼女の側に出られるようにしたら良い」

「……そうか、なるほど」

 腕時計を見ると、午後の授業はもう終わっている時間だ。だが、澪央が部活や委員会で残っている可能性はある。しかも、学校に戻れれば自転車で無事帰宅出来る。

「椎名は今、何処に居る?」

 アレクシスは、澪央の本を開いてページを捲った。

「生徒会の手伝いをしている。このドアを開けると、恐らく生徒会室に出る。あたかも、廊下から入ってきたかのようにな」

「それは……困るな」

 生徒会室には全く用が無い。どう言い訳をすれば良いのか。

「兎に角、行ってみればいい。面白いことになっているぞ」

「面白いこと……?」

 本を閉じたアレクシスに怪訝な顔を向けてから、慧はドアノブを握った。

「あ、そうだ。次にここに来る時はどうすれば良いんだ? 屋上からまた来れるのか?」

「……いや、図書館が君を招きたいと思った時しかそんな奇跡は起きないだろうな」

「そうか……」

 ならば、もうこの男には会えないのだろうか。若干の名残惜しさを感じながら、慧はドアを押し開けた。


 眼前では、生徒達が中型のテーブルを囲んでいた。生徒会長の正面には、澪央が居る。

「……?」

 誰だという目が集まり、慧は居たたまれない気持ちになる。上靴を履いた足は校舎の床を踏み、振り向くと廊下の窓が連なっている。アレクシスの姿は無い。

「…………」

 つい俯いてしまうが、落胆している場合ではない。間違えましたすみませんと言おうとした時、澪央が口を開いた。

「お昼の……」

「あ、ああ、うん、あの時はありがとう」

 覚えてるじゃないかと、慧は安堵よりも先にアレクシスへの不満を覚えた。抗議に戻りたいくらいだ。

「椎名さんの友達?」

 座ったまま、生徒会長が訊ねてくる。

「い、いえ、そんなことは……」

『本』に――アレクシスに因れば、歯牙にもかけられていないらしい。

「だったら、彼女を説得して欲しいんだ。次期生徒会長への立候補を促しているんだけど、迷っているみたいでね。向いてないからと言うんだが、僕は彼女以上に会長に相応しい人物は居ないと思っている」

 澪央は微笑み、少し頬を染めて会長に言う。

「ありがとうございます、会長。でも、立候補なんて恥ずかしいです」

「あ、あの……本人が恥ずかしいと言うなら仕方無いんじゃないですか。上手く出来ないかもしれないし」

 慧が口を開くと、澪央は驚きで丸くした目を瞬かせた。生徒会長と他のメンバーは呆けたような表情をしている。

「あっははは! 椎名さんに出来ないことなんて無いよ。彼女は優秀なんだ」

 澪央はまた頬を赤く染める。嬉しいけれど羞恥もあるという顔で、嫌だとかやりたくないとかいう感情は読み取れない。

「まあ、もう少し考えてみてよ。良い返事を期待しているよ」

(……うわっ!)

 生徒会長の台詞の直後、慧は強大な『負』を受けた。これが本物の雷であったら焼け焦げていたかもしれない。

 余りの痛みに、体がよろける。「あっ!」と澪央が脇に来て支えてくれた。

「大丈夫? やっぱり病気なの? 救急車呼ぶ?」

「いい。自転車があるから……」

 彼女を助けたいという想いは変わらないが、心配の演技をしているだけだと考えると、手を借りたいとは思えなかった。

「じゃあ、自転車置き場まで送るね。……会長、お先に失礼します」

 澪央に背を押され、慧も部屋を出る。窓の外は暗くなりかけていて、廊下には誰も居ない。

「……ねえ、さっきは何で生徒会室に来たの? もしかして……私に用があったとか?」

 少女は笑みを潜めている。どこか真剣味のある顔で真っ直ぐに前を向いていて、『本』の内容を知ったからこそ、彼女が何を危惧しているのかが分かる。告白される時は、流石に真面目な面持ちになるのか。

「用はあったよ。でも、告白じゃない」

「えっ!」

 そんなことがあるのかというように、澪央は慧を見上げてくる。

(そんなこともあるんだよ)

 声に出ていない問いに、声には出さずに答える。

「そこは安心してくれていい。そういう系の興味は無いから」

「え……」

 澪央はまた、目から鱗が落ちたかのような顔をしている。

「でも、椎名とゆっくり話をしたい。今日はもう遅いから、明日の放課後は空いてるか? 屋上で話せないか」

「勿論、話がしたいなら聞くよ。時間も、読者モデルの仕事がある日以外は融通が利くから問題無いの」

 もう、昼に友人達に向けていたような明るい笑顔になっている。

「そうか。よろしく」

 外に出て、自転車を引っ張り出してサドルに跨る。

「俺の体調についても、明日話すよ」

 さようならと言う澪央に同じ言葉を返し、慧はペダルを漕ぎ始めた。


 翌日の放課後、慧は一人で屋上に居た。帰りのHRが終わってから真っ直ぐに来たが、早過ぎたようだ。

 ただ立っているのも退屈で、昨日の体験を色々と思い出す。白い空間に白い本棚。背表紙に名前が書かれた、その人の生涯が記された本――非現実的で夢だったのかとも思うが、慧が持つ能力も充分に非現実的だ。

「キオク図書館……」

 試しに、屋上出入口のドアをゆっくりと押し開けてみる。すると――

「きゃっ!」

 女子の声がして、正面には澪央が立っていた。

「びっくりしたあ……」

「……何だ、椎名か」

「あなたが呼んだんでしょ」

 ドアの先が図書館ではなく、つい期待外れと感じてしまった。少女は口を尖らせている。

「悪い。来てくれてありがとう」

「うん。それで、話って何かな。役に立てると良いんだけど。ええと、名前、聞いてなかったよね」

「二年A組の神谷 慧だ。体調のことなんだけど、健康に問題は無いんだ。ただ、俺には特殊な体質があって、人の負の感情に接触すると、電気ショックみたいな痛みを感じる」

「……ん? どういうこと? 良く意味が分からないんだけど……?」

 澪央は困ったような顔で小さく首を傾げた。愛嬌があって可愛らしい仕草だ。

「そのままの意味だ。今は理解出来なくてもいい。昨日の昼休み、あんたの傍を通ったら受け流せないレベルの『負』を受けた。生徒会室でもそうだ」

「……えーと、つまり、私が何かその、負の感情というのを持ってるって言いたいのかな? 知り合ったばかりなのに、ちょっと失礼じゃない?」

 また口を尖らせると、澪央は背を向けて屋上の柵に交差させた両腕を乗せ、そこに顎を置いた。

「そっか。アプローチの仕方が変なだけで、結局そうなんだ。負だとか何とか言って、私と一緒に居たかっただけなんでしょ?」

「俺は、椎名にそういう気持ちは持ってないよ」

「だけど、私に関わりたくて、そんな嘘を吐いたんでしょ? 私が男の子達の告白を全部断ってるって知って。でも、ごめんなさい。私は」

「嘘吐きに興味はない。椎名からは人間味が感じられない。人形みたいだ」

 被せて話すと、澪央は「え……」とこちらを向いた。

「そんなこと、初めて言われ……」

「昨日、心配して貰った時は嬉しかった。でも、それも全部振りだったって。理想の優等生を演じる為の」

「……!」

 澪央の表情が固まった。目から光が消えたように見えた直後、両手を口に当ててしゃがみ込む。

「うっ……!」

「お、おい!」

 慌てて近付くと、彼女は片手を伸ばして牽制してきた。その場に立ち尽くして、慧は自らの発言を後悔する。

「悪かった。他人から失望されると吐き気や拒絶反応が出るんだよな。椎名の本心を知っていると伝えないと、信じて貰えないと思ったんだ」

「どうして……どうして、そんなことまで知ってるの……? それに、私の負の感情があなたに影響を与えるなら、今は何で平気そうにしてるの?」

 澪央は息を荒げ、涙を流しながら強い視線を向けてくる。

「俺の体質はランダムで、発動しない時もある。今は大丈夫みたいだ。椎名のことは……キオク図書館で知った」

「キオク……図書館……?」

「俺の体質より信じられないだろうし、俺も夢だったかもと思わないこともない。その図書館には、人の人生が記録された本があるんだ」

 昨日の体験を澪央に話す。屋上のドアがキオク図書館に繋がっていたこと。そこが如何なる場所で、管理者のアレクシスがどんな人物だったのか。自分の名前が書かれた本に何が書かれていたのか――澪央から感じた『負』の正体を知りたくて彼女の本を読んで貰ったことも話した。

「そんな……そんなこと、あるわけ……」

「勝手に心を見るような真似をしてごめん。もしまた図書館に入れたら、俺の本を確認してもいいから」

 しゃがんだまま呆然としている澪央に、誠心誠意謝る。罪悪感と苦い気持ちがせり上がってくる。

「俺は、誰かが壊れるところなんか見たくないんだ。それが、例え通りすがりの他人でも。椎名には『負』から解放されて欲しい」

「…………」

 澪央からの反応は無い。慧はこれ以上は何も言わずに屋上出入口のドアノブを握った。

「管理者……アレクシス……」

 少女の小さな声が、耳に届いた気がした。


 ――昇降口を出ると、校門の方からバイクのエンジン音が聞こえていた。こんな場所にどんな奴かと目を遣ると、金髪を一括りにした男が白い大型バイクに乗っていた。ライダースジャケットを着て、口元に笑みを浮かべている。

「アレクシス……!」

 慧の自由意志では図書館へ行けない。だが、アレクシスが現実に来られないとは確かに言っていなかった。否、寧ろ――『行ったことのある場所には行ける』と語っていたのだ。

「何だよ、また会えたのか」

 澪央との会話で掻き乱されるようだった心境に、光明が灯った気がした。

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