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六十九 決別の口づけ

幸一こういちは木から飛び降りて、いつもの口調で修良しゅうりょうに話しをかけた。

「先輩、幽冥界のことはもう処理できた?」

「一応」

修良は棒のように応答した。

「さすが先輩!あんなごちゃごちゃな場面でもすぐ収まったのね!じゃあ、早く帰って休んでください。先輩はまた悪鬼の力を解放しただろ?体調が崩れたら大変だ」

「……ごめんなさい」

自分の前に来た幸一に向かって、修良は頭を下げた。

呼称も口調も幸一だけど、目の前の人の意識は還初太子だと分かる。

「なんで謝るの?父から親子の縁をもらったのも、戸籍文書で前世の意識を抑える術をかけたのも、母を脅かしたのも、幸一が仙道に入るように仕組んだのも、全部幸一を守るためだろ?そのくらいは分かるよ」

幸一は両手で修良の顔を包んで、やさしく持ち上げた。

「幸一は、先輩のことを何よりも信じている。先輩のすべてを許すから」

「!」

幸一の目は相変わらず透き通る。でも、修良はどこか悲しさを感じた。

「違う、今世のことへの謝りだけじゃない…」

「じゃあ、還初かんしょ太子に?どうして?」

本当に何も分からないように幸一は首を傾げる。

「……あの時、もっと早くあなたの傍にいてあげれば……」

修良は珍しく言葉に詰まったら、幸一は笑って話を続けた。

「気にしなくていいよ。会わない約束をしたのは還初太子だし、もともと鬼さんとはそれほど親しい関係でもないし、助けてもらう義理もなかった。還初太子こそ、鬼さんに謝らなければならないんだ」

「なぜ……?」

今回は、修良が分からなかった。

「あの戦争は、旧世界の運命を変える分岐点だった。あれから人心の崩壊が加速して、旧世界は再起することがなく、滅びへ行く一方だった。還初太子は甘い理想のために戦争を盛り上げて、最後に負けたから、鬼さんは本当の鬼になったんだ」

「そんなこと――」

修良は反論しようとしたが、幸一の親指に唇を抑えられた。

「鬼さん、姿が変わったのね。どんな姿の鬼さんも好きだけど、どちらというと、以前のほうが好みだ」

幸一は掌で軽く修良の頬を擦る。

その親密な仕草に修良はピリッと震えたが、やはり幸一の手を避けなかった。ただ視線を横下に移しただけだ。

「……この世界で目覚めたとき、もう以前の姿を覚えていない。宗主に頼んで、この姿を借りて人間の体を作ってもらった」

「師匠の好みか、じゃあ、文句を言ってはいけないな」

幸一が笑って手を引き戻そうとしたら、修良は慌ててその手首を掴んだ。

九香宮くこうきゅうに帰ろう。このままだと、あなたは冥清朗のように神となり、すべてを忘れる。九香宮には霊気を遮断する強い結界がある。そこに入れば、世界の意志はしばらくあなたを見つからない」

「だめだよそんなの。世界の意志というものは馬鹿だから、妖界の件みたいに、様々な手段を使って私の力を探しに来るだろう。玄天派げんてんはのみんなに迷惑をかけたくない」

修良の真剣な願いと正反対に、幸一は全然緊張感のない返事を出した。

「みんなは黙ってあなたが消えるのを見てると思う?私も、みんなも、あなたを失いたくない!」

幸一を説得するために、修良は玄天派の人を出して、口調を強めた。

でも、幸一はため息をつきながら修良の手を外した。

「ごめんな、鬼さん。できれば、私も幸一を返してあげたい……でも、やらなければならいことがあるんだ。幸一を、諦めてください」

「幸一を諦めてっ!?」

還初太子の話から異様な意味を読み取って、修良はたちまち態度を表明した。

「還初太子は幸一と同じ存在だ。あなたと幸一を別人として見ていない!前世のことを思い出した以上、二度とあなたの意識を封印するつもりもない!私はあなたを諦めない!」

通常、魂は死後の世界で過去生の執念や意識を清めてから転生する。

だから、前世を思い出しても、「他人事」や「夢」みたいな感覚で捉えられる。現世の自分を否定し、前世の自分に戻ることはほとんどない。

しかし、幸一の場合は特殊。

前世の経歴が盛大で、神級の福徳を獲得した。

それに対して、現世の幸一は生れるべきではない人間で、生死簿さえ存在しない、現世との繋がりが極めて薄い。

前世の意識は現世より遥か強い。

還初太子は幸一を自分自身だと認めない場合、幸一は逆に「夢」になり、消えてしまう可能性がある。

還初太子がいたから、天良鬼は幸一を転生させた。その同時に、幸一がいたから、今の修良がいる。

幸一と過ごした日々は、夢で終わらせるのが絶対できない。

必死に訴える修良に、「幸一」は疑問を返した。

「私を幸一と同一人物として見ているのなら、何故別人のような扱いをするの?」

「!」

「幸一に対して、先輩はこんな丁重な態度で話さないよね」

修良の顔に一瞬の迷いが出たら、幸一はまた両手で修良の顔を包み、彼の目を自分の目に合わせた。

「幸一を見る先輩の目はもっと明るくて楽しい。でも、今の私を見る目は重くて悲しい。私を見ると、鬼さんは思い出すだろう。旧世界で罪を着せられ、処刑され、自分の意思と関係なく、悪鬼になること……」

「!」

幸一の視線に釘付けられたように、修良は動けなくなる。

「だから、鬼さんは私に会いたくない、私のことを知りたくない。私の意識と記憶を封印するのも当然だ。ちょっと心が痛いけど、分からなくもない」

そう言って、幸一は苦味の笑顔を作った。

「ちがっ……!」

修良が反論しようとしたら、幸一はいきなり彼の顔を引っ張って、二人の唇を重ねた。

「!!」

あんまりにも意外な行動で、修良は反応すら忘れた。


緩やかにぶつかり合う柔らかい触感がしばらく続いた。

細い気が交わり、夜の静寂に溶ける。

「っ!!」

舌の先が噛まれた小さな痛みから、修良はやって我に返って、幸一を押しのけた。

「ぷっ、幸一はこんなことをしないだろ」

幸一は親指で唇をかすりながらいたずらっぽく笑った。

「あなたは……」

修良は言いたいことがいっぱいあるのに、今の幸一に見つめられると、言葉が全部押し返され、胸に詰まった。

「幸一」の言った通りだ。相手が幸一ならもっと余裕を持って制御できるのに、相手が還初太子だったら、なぜか、手も足も出なくなる……


「幸一という人生を作ってくれて、ありがとう。でも、そろそろ終わりにしないと、この世界が許さない。世界の意志を騙すまで私を隠していた鬼さんはどうなるのか分からないから、怪我しないように、私を離れてください」

「そんなこと、できると思う?」

うまく話ができなくても、修良は譲る気がない。

「できないと思うから、ちょっと用意をしたんだ――」

幸一は手を天に掲げて、一輪の月を点した。

「鬼さん、ここをどこなのか、まだ気付いていない?」

月は上空に浮かんで、やさしくて冷たい光で森の環境を明るく照らす。

「!!」

修良はやっと気付いた。周りの環境は、還初太子と知り合って、そして、十数年も一緒に過ごしていたあの旧世界の山にそっくりだ。

「私は鬼さんと戦いたくないし、ほかの者は普通に戦っても鬼さんに勝てないから、『甘夢かんむの陣』を作ってみた」

「『甘夢の陣』!?」

修良が初めてその術を聞いた。もちろん、幸一はそのような術を知らない。還初太子も、そのような術を使わないはずだ。

「友達から教えてくれたばかりだ。人は心の安らぎを一番感じる場所で、戦う意志がほとんどなくなる。この環境を鬼さんの心に連動すれば、鬼さんは戦えなくなる――でも残念、私は他人の心に侵入する術を使えない」

幸一は森の一角に視線を投げた。

そこの木の後ろに隠れている紫苑はビシッと背を伸ばした。

紫苑しおんさん、先輩をここから追い払いたい。お願いできる?」

「……」

紫苑は数回短い息をして、骨が潰すほど強く指輪を握りしめた。

やがて命を投げる覚悟で霊気を燃やして、修良の前に立った。


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