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二十四 幸一、初の青楼見学!?

幸一は二郎を呼んで、とりあえず韓婉如と幸芳を玄誠鶯の屋敷に連れ戻してもらった。

それからもう一度修良を説得しようとしたが、修良は「今晩はここで寝る」と軽い一言を残して仙縷閣に入った。


(先輩は、青楼で寝る!?)

幸一の認識はまた一新された。

(いや、しかし、先輩は一応、ここの店主だし。きっと、変な意味の『寝る』じゃないんだ……)

(それに、先輩はお金に欲があるはずがない、これもきっとなんらかの試練だ!俺はいつものように、態度をはっきりして、真っ向勝負で試練を乗り越えれば、戸籍文書を返してくれる)

(先輩は言ったな、俺は人間を信じすぎるから、教訓が必要――)

「だったら、人間不信を見せれば合格するだろ!」

名案が浮かんだが、実行面に入ると、幸一はまた戸惑った。

「と言っても、人間不信って、どうのように証明すればいいの?お金をもらいに来る乞食の身元を調べるか、偽物を売る悪徳商人を通報するか、値段交渉をもっと徹底的にするか……」

「だめだ、先輩の考えは全然わからない、一体どうすれば正解になるんだ……」

仙縷閣の開業時間が近づいてきて、客がだんだん寄ってくる。

扉の前でぶつぶつうろうろしている幸一はとても目立つ。

幸一の容姿に興味を持った客は先客に訊ねた。

「あの人、新人なのか?男役?」

「らしいぞ。さっき、ドロドロな家庭愛憎劇を披露してたんだ。演技はまだまだ青臭いけど、頑張ってる気持ちがすごく伝わったぞ!」

「へぇ、こりゃ楽しみだな!」

考え事に集中する幸一は客たちの偉い勘違いに気づかなかった。

さきほど修良に営業のことを訊ねた中年女性は、客たちを扉の中に迎えてから、幸一のほうに歩いてきた。

「あの、玄幸一様……ですね?」

「っ!あ、はい!すみません!邪魔だったんですね!」

幸一はさっそく去ろうとしたが、女性が暖かい笑顔で彼を引き留めた。

「とんでもございません。まさか、噂の幸一様がうちにいらっして、とても光栄ですわ」

「噂の……?」

(先輩はこの人に俺のことを話したかな……)

幸一は少し女性を観察した。

女性の振る舞いが端正で、気品が穏か。

青楼のやり手ばばあより、玄誠鶯のような一家の長に見える。

「どうぞ、中にお入りください。上等席をご用意いたします」

「えっ!?」

いきなり誘われて、幸一は驚きすぎで両手をぷるぷる横に振った。

「しかし、俺は、とくに用事もなくて、お金もなくて、入るわけには……」

「あらら、どうやら、誤解されたみたいですね」

顔が赤くなった幸一を見て、女性はフフと笑った。

「誤解……?」

女性は優雅に一礼をした。

菊牡丹きくぼたんと申します。どうぞご心配なく入ってきてください。この仙縷閣という『青楼』を案内いたします」


ガチガチな動きで仙縷閣に入って、幸一が見たのは食卓で色酒に溺れた人たちではなかった。

仙縷閣の一階に、大きな舞台が設置されている。舞台の天井が開放式、一階から三階まで、舞台に向かって整然と座席が並んでいる。

舞台の上に、悠々と二胡を演奏する芸者がいる。

正式な演奏会より、ただの雰囲気作りの演奏のようだ。

客たちはをおやつ食べながら、ゆったりとした雰囲気で雑談をしてる。

客席の間に、芸者らしい女性たちが箱やかごを持って、何かを配っているか、売りかけているようだ。

「青楼」というより、大きな劇場と言ったほうが正しい。


「ここが、青楼……?」

幸一は不思議に目を張った。

「過去は確かに普通の青楼だったけど、修良様が店主になってからすべてが変わりました。今は自立の女性たちが芸能を磨いて、努力で自分の未来を創るところです」

牡丹は懐かしい口調で、幸一に仙縷閣の正体を簡単に説明した。

「経営が拡大しているうちに、いくつかの青楼を買収して、足洗を望む女性たちを新しい道に導きました。あえて青楼という札を外さなかったのは、こんな『汚い沼』でも、『諦めなければ尊厳のある生き方がある』、ということを世の中に示すためです。すべては修良様のおかげです」

真実を知った幸一は改めて修良の人柄に感服した。

こんなすごい善行をしているのに、修良は一度も話さなかった。

「先輩は、やっぱりすごい人だ……何も知らずに彼を疑った俺こそ、考え方が汚いんだ……先輩の言った通り、俺の修行はまだまだ足りない」

「なんと言っても『青楼』ですから、誤解されやすいのは確かなことです。どうか自分を責めないでください」

恥ずかしがる幸一に、牡丹は慰めの言葉をかけた。

「今夜はここでゆっくりお過ごしください。観劇の上等席にご案内いたします」

「では、お言葉に甘えて!」

本番のお芝居を見たことがないので、幸一は興味津々に舞台のほうを眺める。

「ちなみに、どんなお芝居を上演しますか?」

「前半は――『冤罪に殺された毒姫が転生したら、前世の知識で破滅の道しかない人生で無双を始めました』という人気小説から改編したお芝居です」

「…………えっと?外国の作品、ですか?」

ぱっと聞いて、幸一は劇名の意味がさっぱり理解できなかった。

「いいえ、この天寿国の作家さんの作品です」

「そ、そうですか……すみません、仙道生活が長くて、今風のものに慣れなくて……」

幸一は不自然な笑顔で一気に冷めた気持ちを隠そうとした。

「では、後半の『清明神君せいめいしんぐん』にご興味があるかもしれませんね」

「!『清明神君』っ!?」

意外な作品名を聞いて、幸一の目がまた光った。

「あの、仙道の始祖と呼ばれる清明神君の一生を描く小説の名作――『清明神君』ですね?」

「そうですよ」

「本当に?!何か同じ作品名の虐げられた、逆上した、溺愛された、復讐やざまあみろ


ものじゃないよね!」

「もちろんです。正真正銘の『清明神君』のお芝居です。舞台効果のために改編したところもあるけど、きちんと原作を尊重しています」

「よかった!」

幸一の気持ちは躍起した。

『清明神君』は彼の幼い頃の愛読書、仙道に憧れを持ち始めたのも、その本のおかげと言える。

「『清明神君』はうちの看板作品です。ご期待に裏切りませんよ」

牡丹は胸を張ってもう一度勧めた。

「さすが名作だ!わけのわからないものと違うんだね……!」

話の途中で不適切発言かもと気づいて、幸一は慌てて挽回しようとした。

「あっ、いや、別に、ほかの作品を下げる意味じゃなくて、ただ、俺は知識不足で理解力が乏しくて作品の良さが分からなくて……」

「いいですよ。経営者としても、お客様の素直な感想をいただきたいです」

牡丹は全然気にしなく、幸一を階段のほうに案内した。


階段を登りながら、牡丹は話を続けた。

「ところで、『清明神君』とさっきにおっしゃった理解できない作品、どちらの集客がより簡単だと思いますか?」

「もちろん『清明神君』でしょ」

幸一は考えもせずに即返答した。

だが、牡丹は軽く頭を横に振った。

「今は『清明神君』のほうが断然に強いですが、昔は真っ逆でした。『清明神君』を作る当初、資金も客も全然集められなくて、舞台の制作がかなり難航でしたわ」

「!?どうして?あんな名作が……」

幸一はちょっと驚いた。

「名作は名作になる前に、ただの紙束と墨跡ですから。『清明神君』が名作として認められたのはここ数年のこと、舞台を作り始めたのはおおよそ十三年前でした。店主は修良様でなければ、何回も打ち切られたのでしょう」

「俺が知っている限り、『清明神君』の初版は十五年前に刊行されたもの、名作になるまで、そんなに時間がかかったのか……」

名作が埋もれた年月想像して、幸一は嘆いた。

三階まであがって、牡丹は幸一を廊下に案内しながら話を続ける。

「大体、底力のある物語は理解されるまでに時間がかかります。露骨に欲望をぶちまけるもののほうは人の注目を掴めやすい。人間は感性の生き物ですから。まして、『青楼』のようなところにいらっしたお客様は、何を求めているのか、想像できるのでしょう」

「なるほど、確かにそうかもしれない……そんな状況のなかで、『清明神君』をあきらめなかった菊さんはすごいですね」

「すべては修良様のおかげです」

牡丹は一度足を止めて、穏やかな笑顔で幸一に振り向いた。


十三年前の牡丹はまだ二十五歳だった。

修良の助けで泥沼から立ち上がり、仙縷閣の経営者になった彼女は、どうしても質の高い作品を作り出して、地位の低い女子たちの価値を世の中に証明したかった。

そこで、修良は一つの助言を出した。

「低俗でもいい、ぎりぎり法律の限界に触れてもいい、人の欲望を唆すものを作って注目を集めて、資金を稼ごう」


「先輩が、そんなことを?!」

自分に「まっすぐで正しい生き方」を教育した先輩の口からそんな話が出るなんて、幸一は到底想像できない。

「ええ。私も最初は反対でした。やっと泥沼から脱出したのに、戻るわけにはいかないと、修良様に反論しました。でも、修良様はおっしゃいました―――」


「この世界はまだまだ、どんなによからぬ欲望に唆されても、多くの人々は心の底で善良と光を求めている――」

「『善』を分からせるために、時に『悪』を利用する必要があるんだ。でないと、何が『善』なのか何が『悪』なのか、赤子のような人間には理解できない」


「『善』のために、『悪』利用する……先輩の考えは、何と深いんだ……」

幸一はもう一度自分の浅はかな考えを恥ずかしく思った。

「恐縮ですが、お二人のもめごとを横から聞きました。修良様の真意が分かりにくくて、幸一さまはお困りのようですね」

不意に、牡丹は話題を変えた。

「えっ、そうですが……」

「勝手な推測にすぎませんが、修良様がお伝えしたかったのは、『悪を知って、善をもっと理解できる』ということではないでしょうか?」

「!」

(菊さんは、俺と先輩のために、わざわざ……)

「ありがとう、菊さん!もう一度先輩と話をします!」

牡丹から助言をもらい、幸一の頭の中の霧が大分晴れた。

「さあ、どうぞ。修良様はこちらで待っています」

牡丹が幸一に案内したのは、修良のいた個室だった。

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