ライとレットの戦いから数時間が過ぎた頃、俺達は村の入口の一つ。聖都の一団の馬車が何台も停められている場所に集まっていた。一団が出立の準備をする中、
「もう発つのか? いくら何でも早過ぎないか? それにこっちに着いたばかりでまだ疲れもあるだろう? 発つならここで一泊して明日の早朝にでも」
「いや。こうして勇者様が見つかったのだ。ならば至急連れて戻らねばならない。どのみち森を抜けるのは一日がかりの行軍になる。なまじ早朝に出て森の深部辺りで休息をとるよりは、早めに浅い所で休息をとって一気に残りを抜けたい。……それに、下手に長くこの村に滞在すると色々と問題だろう? 村人からの心証等が」
引き留めるバイマンさんに、オーランドさんは丁重に断りを入れながら馬車へ乗り込もうとする。
確かに村の人達と聖都の一団の仲は、初対面がアレだった事もありすこぶる悪い。長引けばまた何かの弾みで衝突するかもとオーランドさんが気遣うのは間違っていない。だが、
「
その言葉に一瞬オーランドさんの足が止まる。だが「……任務だからな」と返して今度こそ馬車に乗り込んだ。
『おやぁ~ん? ……ムッフッフ。さりげなく漂うこの哀愁と切なさの香り。これはラァブの気配がしますねぇ。どう思います開斗様?』
「何でもそういう話に持って行くものじゃないよ。それよりライとユーノの様子はどうだった?」
パタパタと羽ばたいて俺の肩に留まるヒヨリに尋ねると、珍しく少し顔を曇らせて首を振る。
『まずライ君の怪我は大したことありませんでした。お医者様が言うには、怪我をしたと事前に聞いていなければ気が付かないほど回復しつつあるとの事です。ユーノちゃんの回復魔法の賜物ですねぇ。……ただすっかり落ち込んでしまって、さっきからずっと部屋から出てきませんし返事もなしです。まあ負けた上にあそこまでグサグサ言われちゃ誰だって落ち込みますよ』
「それでも普段のライならすぐに立ち直るんだが、今回は支えであるユーノの問題でもあるからな。……その肝心のユーノは」
『おっと。女の子のお出かけには色々と支度が要るんですよぉ。それにさっきの今で急な出発です。心の準備というものも必要でしょう』
「……そうだな」
以前聞いたのだが、ライはバイマンに連れられて近くの村の視察に同行した事はあるというが、ユーノは物心ついてから森の散策以外でほとんど村を出た事が無いらしい。
これは珍しいというより、そもそも村から村へ移動するのは行商人や旅人、吟遊詩人や視察に出る貴族くらいで、一般的な村人は特別な用事でもない限り村の外に出ないという。それはそうだ。普通にモンスターが出るこの世界において、移動は危険が伴うのだから。
当然森を抜けてきた聖都からの一団は、入念な準備を整えてきている。それと同じとまでは言わないが、ユーノもしっかりとした準備は必要か。しかし実質初めての旅行がこんな大ごとになってしまうとは。
今回付き添いを禁じられた以上、俺達はユーノが戻るまでただ待つしかない。ならばせめて出発まで何か準備でも手伝いたいものだが。そんな事を考えていると、
「こらぁっ! そこで何してるっ!? 早く出ていけっ!」
突然馬車の一台から怒声が聞こえてきたかと思うと、中から一人外にはじき出されてゴロゴロと転がる。良く見ればそれは、
「いったぁっ!? 何するんだよっ!」
「ライっ!?」
『ライ君っ! こっそり部屋から抜け出て馬車に忍び込むとは中々やりますねぇ! ……失敗したみたいですけど』
「あっ!? 先生にヒヨリっ! ……うん。ダメで元々通行証が要る関所まではと忍び込んでみたんだけど、やっぱり見つかっちゃって」
見るとまだ普段より沈んではいるものの、ライは少しずつ調子を取り戻しつつあるようだった。
ただまあ関所まで行っても、そこから一人でどうやって帰る気だったのかという無鉄砲さも取り戻しつつあるのだが。
「ライ……その、大丈夫か?」
「うん。怪我の方はもうバッチリ。……あ~。まだちょっとさっきの勝負は納得いってない感はあるし、なんかこう胸の内がぐちゃぐちゃってなってはいるけどさ」
それは大丈夫じゃないんじゃないかと言いたいところだが、ライがそれでも笑おうとしているのを見てグッと飲み込む。そこへ、
「よぉ。負け犬。性懲りもなくまた守るだのなんだの吠えに来たか」
別の馬車から、レットが顔だけ出してライに語り掛けた。それを見てライは咄嗟に拳を握り……だがすぐにその手を開く。
「へぇ。今度は無駄に吠えるのは止めたか。それでどうした? 僕に無様に負けて一人寂しく落ち込んでいると思っていたが」
「ああ。落ち込んださ。……オレは弱い。守るべき妹に助けられてばっかりだし、お前に負けたから通行証もない。こうなったらと馬車に忍び込んでみたが、この通りすぐ見つかって追い出される始末だ。……だけどな」
ズンっ!
ライは力強く歩を進めると、レットに額がぶつかる寸前まで顔を突き合わせて啖呵を切る。
「弱くったって、何だって、妹を気に掛けない兄貴がどこに居るっ! 妹がこれから知らない場所に一人で向かうってのに、心配しない家族がどこに居るってんだっ!」
「……っ!?」
レットは一瞬だけ気圧されたように言葉を詰まらせるも、そのまましばらく二人で睨み合い、
「もう。兄さんったら……」
「ユーノっ!」
そこにすっかり旅支度を済ませ、何故か少し顔を赤らめているユーノが大きな鞄を抱えて歩いてきた。華美さよりもどちらかと言えば実用性を重視した服装だが、良く見れば仕立ての良い生地を使っている事が分かる。
気づいたライが慌てて駆け寄って鞄を持とうとするが、ユーノは良いのと言って断る。
「これからしばらくは一人で頑張らなきゃだから、今の内にこういうのに慣れておかないと」
「……ごめんなユーノ。やっぱり付き添いはダメだったよ。出来れば途中まででも一緒にアイテっ!?」
「兄さん。今日はごめんごめんって謝ってばっかり。何だかいつものわたしと逆だね!」
言葉の途中で、なんとユーノがライに対してデコピンを食らわせたのだ。驚いてライが額に両手を当てると、
ぎゅっ!
「ユ、ユーノっ!?」
『あら~っ!』
更にユーノは突然鞄を置いてライに抱き着いた。これにはライも目を白黒させ、ヒヨリは目を輝かせて奇声を上げる。
そのまま少しの間ライの服に顔を埋めていたかと思うと、ユーノはそのままぽつりぽつりと、しかしどこか叫ぶように口にする。
「いつまでもそんなしょげた顔してないでよっ!? わたしが戻った時、いつもみたいに笑ってわたしを引っ張ってよっ!? 兄さんはやっぱり、ごめんねって謝っている姿よりも、オレに任せろって笑っている方がカッコいいよ。兄さんはわたしにとっての…………だからっ!」
そこでユーノは顔を上げて、少しだけ
「わたしが戻ってきた時、まだそんな調子だったら怒っちゃうんだからね! ……お父様。行ってまいります。カイトさんにヒヨちゃんもお元気で。兄さんの事を頼みます」
「気を付けてな。辛い事があったら……いや、無くとも向こうに着いたら手紙を出すのだぞ。オーランドの奴に頼めばその程度喜んでやってくれるだろう」
「ライの事は俺も出来る限りの手助けをしよう。安心して行ってくると良いよ」
『ユーノちゃんもお元気で。どうにかこちらからも連絡できるよう手を尽くしますが、なるべく早く帰ってきてくださいね!』
今度はさりげなく近づいてきたバイマンさんにも優しく抱きしめられ、どさくさでヒヨリに頬ずりされながら、ユーノはどこか決意の決まった顔で馬車の方へと歩き出し、
「……お待たせしました」
「お待ちしていました。お手をどうぞ。勇者様」
最後にまたぎゅっとライを抱きしめたかと思うと、ユーノは自分から馬車へ歩き出し、いつの間にか降りていたレットに手を差し伸べられる。
「兄さん相手とは大分態度が違うんですね」
「そちらの貴族の嫡男とは違い、勇者様は貴人ですので。勿論貴人用に設えられた馬車もご用意しております。さあ。こちらへ」
「えっと……よろしくお願いします」
どこかおずおずと恭しく出された手を取り、ユーノはレットに案内された馬車に一緒に乗り込む。そして、ユーノが乗り込んだのを確認し、
「総員っ! 出発っ!」
オーランドさんの号令の下、馬車は一台、また一台と動き出す。そして最後の一台が動き出した時、
「皆……行ってきますっ!」
ユーノが馬車から身を乗り出し、俺達に向けて大きく手を振る。それに手を振り返しながら、俺達はユーノを加えた聖都からの一団が村を去っていくのを見届けたのだった。