それはまるで、いつかテレビで観た闘牛のようだった。身体ごと突っ込んでくるホブゴブリンを、ぎりぎりのタイミングで躱し続ける。
それは決して華やかでもエンターテイメントでもなく、一秒ごとに身体が傷つき、血と泥に塗れていく戦い。
幸いホブゴブリンの突進は動きが読みやすい。しかし一度でもタイミングを誤れば、少しでも躱し損ねれば、即自分の死に繋がる戦い。
二度、三度、そして気が付けば、何度目か分からなくなるほどそんな死の突進を躱し続け、
ガクッ。
「……しまっ!?」
先に限界が来たのはこちらの方だった。
言い訳にもならないが、これまで村を走り回ってユーノを拾い、今こうして背中の怪我を止血する暇もなく、ぎりぎりの回避を繰り返し続けたのだ。いくら異世界適応型の身体とは言え元々が一般人。足にガタが来て当然だった。
一瞬膝が笑い、動きが止まる。すぐに駆けだそうとしたが、その隙をホブゴブリンが見逃す筈もなく。
ニヤリという擬音が似合うような嗤いと共に、死の突進が俺の前に迫り来て、
「やああああっ!」
ザンっ! その横っ腹を、突如として現れたライが剣で切りつけた。
「ギイイアアっ!?」
傷こそ浅かったが、結果として突進は僅かに逸れ、俺に当たるぎりぎりを掠めて頬の表面を裂いただけに留まった。だが、
「ライっ!? 何で戻ってきたんだっ!?」
「先生を放ってはおけなかったんだよっ! ……ユーノはもう安全なんだろ? なら、時間稼ぎくらい今のオレにも出来るっ!」
そうは言っているが、ライが虚勢を張っているのは簡単に分かった。疲労が抜けていないので顔色は悪く、今振るった剣を持つ手も震えている。
「だが、子供を危険な目に遭わせるわけには」
「子供だ大人だとか関係ないっ! それに先生の奥の手って奴もあんまり効いてない感じだろ? なら今は出来るヒトが出来る事をやらなきゃ……でしょ?」
しかし、その目に宿る光は決して消えていなかった。
成程。確かにライこそは将来“勇者”と呼ばれる者になるのだろう。自身の命の危機に瀕しても、恐怖を振り払って自分に出来る事をやろうとする精神。それは間違いなく立派なものだ。
「……やはりだめだ」
「先生っ!?」
再び突進の構えを取るホブゴブリンに対し、俺は先ほどと同じように前に出るべくライを押しのけようとして、
「なんでだよっ!? 俺と先生が一緒ならアイツにだって」
「……かもしれないな。だがすまないな。こればっかりは俺の我が儘だ」
確かにライの言う事にも一理ある。俺もライも疲労困憊だが、二人でならばホブゴブリンを翻弄する事も多少は出来るだろう。勝率や足止めという観点で言えば良い案なのだろう。
だが、それはどう考えてもライが危険なのだ。目の前で子供が傷つく。それが俺には許容できない。ここだけは意固地と言われようが譲れない。
そのままもう一度思考伝達でライが逃げる時間を稼ごうとした時、
「ギ……ガアアアアっ!」
何を思ったのか、ホブゴブリンが
「ギギィっ!」
「ギギギギィっ!」
「……マズいな。他のゴブリン達も集まってきた」
二……三……四。次々にゴブリン達が辺りから寄ってくる。俺が村から追い払った個体以外のゴブリンが、ここに集結しつつあるらしい。
高みの見物とばかりにギヒヒヒと嗤うホブゴブリン。そして俺達を取り囲むゴブリン達。ならばと思いゴブリン達に向け“森に帰れ”という命令を出してみるのだが、
「ギギィガァっ!」
「ギギっ!? ……ギィっ!」
即座にホブゴブリンが何か吼えると、ふらふら移動しようとしたゴブリン達はすぐに武器を構え直してこちらに向き直る。
やはりダメか。思考伝達は上位種に
「うおおおっ!」
「ギギィっ!?」
先手必勝とばかりに、ライが一番近くに居たゴブリンに走り寄って袈裟切りにすると、そのまま返す刀でさらにもう一体を胴薙ぎにする。
疲労が残っているとはいえ、体幹は乱れていないし剣筋もまっすぐだ。そしてゴブリンの一、二体を息も乱さず倒せるという点が、最初に会った時から今まできちんと鍛錬を続けていた何よりの証明だった。
しかし相手の数は多く上位種もいる。つまり相手も連携をしてくるという訳で、
「ギギギっ!」
「くっ!? このおおっ!?」
ライに一体のゴブリンがこん棒で殴りかかるが、ライはカウンター気味にこん棒を持った腕を切り裂き蹴り飛ばす。だがそのすぐ後ろから、もう一体のゴブリンが仲間の陰に隠れてこん棒を振り上げ、
「危ないっ!?」
「ギギっ!?」
俺が割り込むようにそのゴブリンに足払いを掛け、体勢を崩した所を気が付いたライがすかさず剣を突き立てた。
「ありがと先生! でも、これならオレだけ逃げろなんて言わないよな?」
「……これでは仕方ないか」
俺はライの背を守るように立ち、ホブゴブリンから目を離さないように他のゴブリン達に対して構える。
「良いかい? もうこうなったら無理に倒そうだなんて考えなくて良い。後ろから襲ってくる奴はこちらで何とかするから、とにかく自分の身を守る事を優先するんだ」
「おうっ! 先生が背を守ってくれるんなら百人力だぜっ!」
そうニカッと笑うライにはもう苦笑いするしかなく、俺はもう一度笑いそうになる膝に喝を入れた。
◇◆◇◆◇◆
一方その頃。
「……はっ……はっ……行か……なくちゃ」
ユーノは一人、息を切らしながらも走っていた。
避難所に……
そしてその様子を、ヒヨリは何も言わず何かを見定めるかのように見守っていた。