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それは、普段なら静かな森の中。
聞こえてくるのは木々のざわめきや、動物達の生体音。それくらいの筈だった。だが、
「はあああっ!」
「ギギィッ!?」
今ここで響くのは戦いの音だった。全身甲冑の剣士が大剣を振るい、飛び掛かってきたゴブリンを両断したのだ。
「チィッ!? こんな森の中じゃ、剣が振るいにくいったらないぜ」
「“
とんがり帽子を被った正しく魔女という風貌の少女が、杖から氷の礫をゴブリン達に浴びせかけながら剣士に愚痴る。
「だってさ~。ちょいと森を見て回って、何か妙な事が起きてないか調べるだけの簡単な依頼だと思うじゃん? なのにこれはねぇだろうよ」
そう。バイマンの依頼で森の調査に来た冒険者パーティー『鋼鉄の意志』は、簡単な調査依頼だったのにとんでもない状況に直面していた。それは、
「ギヒヒヒ」
「ギギッ!」
「まさかゴブリンが団体で待ち構えてやる気満々なんて誰が予想するよ。それも上位種まで」
目視出来るだけでも約30体の、武器を取って殺気に満ち満ちたゴブリン達。そしてその奥には、明らかに普通のゴブリンよりも大柄で筋骨隆々の上位種、ホブゴブリンが片手に剣を持って佇んでいた。
よく見た目の醜悪さで誤解されるが、ゴブリン種は基本単体ではそこまで凶悪でも危険でもない。きちんと訓練を積んだ兵士であれば余裕で倒せるし、大の大人が武器を持って戦えば勝てなくもない。
ゴブリン自体そこまで攻撃性の高いタイプでもない。縄張りに入った者は攻撃するし、簡単な罠を仕掛ける事もあるが、ヒトに無闇に襲い掛かったら反撃される事もそれなりに理解している。だから魔物除けの道具を持っていれば、向こうもそれと気づいて襲う事はまずない。
だがそれは単体での話。徒党を組むと全く話が変わってくる。おまけに今この場に居るのは上位種。極稀に種族の中で発生する、種を統率する存在だ。それが一体居るだけで、周囲の奴らの攻撃性も危険度も跳ね上がる。連携が取れるようになったゴブリン達は、ちょっとしたヒトの兵士達と変わらない。
そんな相手に囲まれたというのは、常人なら絶望的である。だが、
「怖い?」
「はっ! まさか。退屈な仕事がちょいと歯応えのある仕事に変わっただけだっつぅの。そうだよなリーダー?」
「……ああ。そうだな」
パーティーの中に尻込みしている者は誰も居なかった。それもそのはず。『鋼鉄の意志』は冒険者界隈でも中堅。たかだかゴブリンの群れに出くわしただけで怯みはしない。
テリーに促され、一人の精悍な顔の女性が双剣を持って歩み出る。
「目標は上位種ホブゴブリン。周囲の奴らを蹴散らし、奴を仕留める。……行くぞっ!」
「「「おうっ!」」」
周囲は既に陽が落ち始めて視界が狭まり、加えて森の中という相手のホームグラウンド。そんな中でも闘志は一向に衰えず、冒険者達の戦いが始まった。
「……で、ゴブリン達はおおよそ仕留めたものの、肝心の上位種には逃げられたと」
「うむ! すまん」
調査報告を聞き終えたバイマン男爵が頭を押さえてため息を吐く中、パーティーの代表である双剣士ミアは堂々とした態度で謝罪する。
仮にも貴族であるバイマンに不敬とも言える態度だが、二人は以前からの……それもバイマンが男爵になる前からの古い馴染みである。多少の無礼も不敬も慣れたものだった。
また、ゴブリンとの戦い自体はそう苦戦しなかった。重ねて言うが、『鋼鉄の意志』は冒険者界隈でも中堅所。パーティーランク“白銀”であり、冒険者とはモンスターを相手取る専門家である。
同数の訓練されたヒトの兵士相手ならまだしも、連携が取れるだけのゴブリン30体程度に後れは取らない。
ゴブリンの大半は切り捨てられ、魔法で貫かれたり凍らされたりと散々な目に遭い壊滅した。この戦闘時間僅か10分。ゴブリンが弱いというよりは、このパーティーが強かったと言える。ただ、
「まさか奴め。まだ半分以上残っている部下を見捨てていち早く逃走するとは予想外だったわ」
「それだけの知性があるという事か。しかし前に間引いたのは確か一月前だったな。いくらなんでもたった一月でここまで群れが回復するのは異常だ。だが」
「上位種が居るのなら話は別……だな」
ゴブリンは繁殖力が高いのは有名な話だ。なので定期的にバイマンは冒険者に依頼をし、ゴブリンの間引きを行っていた。
本来ならあと半年近くは問題ない筈だった。こういう地道な対処をしているからこそ、この辺りではゴブリンによる被害はほとんど出なかったのだ。
しかし上位種が発生すると、繁殖速度が増えるばかりか他の群れを取り込んで巨大になる事すらある。放っておいてはまた同じ事の繰り返しだ。
「おそらく上位種は本拠地に逃げ込んだ筈。そして『鋼鉄の意志』が上位種と接敵した場所がここ。仮に以前間引いた時の本拠地を再利用しているなら、そこから一番近いのは……大体この辺りだ」
バイマンは机に広げた地図の一点を指し示す。そこは村からも非常に近く、直線距離で片道数時間しかかからない場所だった。そして、
(先日ライ達が襲われた場所からも近い。もしや、以前カイト殿が察知した村への襲撃とはこの事か?)
バイマンはふと開斗との会談を思い出し、予言との類似点を洗い出す。
(軍勢という話だったが、仮に他の群れを吸収して100近い数に増えているのなら確かにそう言えなくもない。そしてそんな数が急に村に押し寄せてくれば死傷者は多数。自身に命の危険が迫る時という予言の発動条件とも合致する。これは……あの予言が本当だったという事か? だとすれば次にゴブリン達が動くのは)
「それで? 討伐隊はいつ向かわせる気だ? なんなら正式な依頼があればワタシ達も手を貸そう。一度取り逃がした詫びに安くしておくぞ」
「そうだな…………3日後の早朝を目途とする」
「3日!? それはまた急だな。慎重なお前ならもう少し時間を掛けるかと思ったが」
「時間を掛けて群れを拡大されたら厄介だ。ならば今回は速度重視で行く」
ミアは5日は掛けると予想していたが、バイマンは予言の襲撃日に先手を打つべきだと考えた。
(最初から予言を当てにしては為政者は成り立たない。しかし幾つかの判断材料と照らし合わせると、信憑性がかなり高まってきた事も事実。村に攻め入られて死傷者が出る前に、こちらから打って出る)
「早速明日から準備を始める。お前も一度手を貸すと言ったんだ。依頼を出すのできっちりと手伝ってもらうぞ」
「了解した。メンバーには急だと文句を言われそうだがな」
そう言ってミアは、軽く手を上げるとそのまま部屋を出て行った。
残されたバイマンは、鍵を開けて机の中から日記帳を取り出し、早速今の出来事を書き記していく。
それは、バイマンがもう10年以上寝る前に続けている事である。思考を整理するためのものでもあり、思い出を振り返るためのものでもあり、そして、
ほんの少しだけ、
ゴブリンの軍勢による村の襲撃まで……あと3日。