諸々の説明を受けて気が付けば、俺はどこかの森の中に立っていた。
踏みしめる土の感触。鼻をくすぐる緑の香り。どこからか聞こえてくる木々のざわめき。その事から察するに、
「夢……じゃなさそうだな」
『当然ですとも! ……あっ!? 何かその身体に不具合などありましたら速やかにご連絡を。異世界跳躍の際にうっかり指の一本でも落っことしたなんて事になったら大変ですからね』
その声は、俺の耳元から聞こえてきた。見ると、肩に白い獣……というかコウモリというか、その二つを混ぜてデフォルメしたような生物が留まっている。
『へへへっ。どうですこれ? ワタクシもこの世界に合わせてボディを新調いたしまして。コンセプトは日和見主義のコウモリ……なんちゃって』
「コウモリは良いけど、真っ白は目立つんじゃないか?」
『真っ黒なコウモリでは普通過ぎじゃありませんか」
ヒヨリはそう言ってドヤ顔で笑っている。光球の時からそうだったが、コウモリになってますます表情豊かになったな。
しかし軽く身体を動かしてみるが、本当にいつもと変わりがない。寧ろいつもより調子が良いくらいだ。これがこの世界用に準備された作り物の身体とはとても思えない。
『さてさて。どうやらお身体に不具合もなさそうなので……早速お仕事に掛かってもらいましょうか』
「お仕事……ね。まあ引き受けたからには、精々やってみるとするさ」
世界を救う。そんな壮大な前置きから始まった依頼の内容だったが、やるべき事は割と単純だ。一言で言うと、世界を救うであろう勇者を見守る事である。
ざっくりと先ほどヒヨリが語った事をまとめるとこうなる。
1 これから俺にはある異世界に行ってもらう。その世界はこちらで言う所の剣と魔法の世界であり、エルフやドワーフと言った異種族やモンスター等も普通に存在している。
2 そこには通称神族なる上位存在が君臨していて、世界に対する圧制を敷いている。
3 それに対するカウンターとして、世界には勇者という存在が居るのだが、しかし勇者は真に覚醒するまで普通の人間と変わらない。
4 健やかに成長すれば良いが、向こうの世界は危険がいっぱい。よってそれまでの間、勇者を危険から守る者が必要になる。その役目を俺に任せたい……という事らしい。
『別に何から何まで面倒を見ろとは言いませんよ。開斗様にお願いしたいのは、勇者の命に関わる案件を未然に防ぐ事。それが結果的に世界を救う事に繋がるって寸法でして』
期間は勇者が真に覚醒するまでの間。場合によっては数年がかりのご依頼になりますので、普段はどう過ごしてもらっても構いません。その辺りは特に強制はしませんので。と語るヒヨリ。
俺は少し考えて、その依頼を受ける事にした。しかし俺には勇者を守れるような大層な力はない。昔剣道と柔道を少し齧ったがそれだけだ。それでどう守れば良いのかと尋ねたら、
『ご安心を。そういう時こそ皆大好きチートの出番です! 今回開斗様には依頼達成のため、現地で活動するためのアバターと、幾つかのスキルを自動付与させていただきます。そこそこ頑丈で健康な肉体。大抵の相手と意思疎通できる言語理解能力。そして、一番の目玉である』
「スキル起動。『予言システム』。予言板展開」
そう発言した瞬間、俺の目の前に半透明のウィンドウのような物が出現し、凄まじい勢いで文字列が流れ始める。
これがヒヨリが目玉とまで言った特殊スキル。予言システムである。
能力を分かりやすく言えば、これから先に起こる俺と勇者の命に関わる出来事を予測演算して示すという物。要するに迫る危険を回避するスキルだ。
範囲は最長で七日間。その間にこのままだと発生する致命的な危険を察知し、文字にして表記するのだとか。生き残るだとか見守るというだけならかなり有用なスキルと言える。
『ほうほう。スキルも無事起動したようで何よりです。なにせこればかりは現地に跳んでからじゃないと起動できませんからね。ちなみに文字は開斗様に合わせて日本語表記にしていますので、誰かに見られても落書きとしか思われませんので安心ですよ!』
「それは気遣いどうも。……ところで、危険が発見された場合はどういう風に分かるんだ?」
『簡単です。警告音と共に予言板の文字列が急停止し、時間や場所なんかが浮かび上がります。まあもっとも、流石に着いて早々そんな危機的状況なんて漫画みたいな事あるわけな』
ビーっ! ビーっ!
ヒヨリがそう言って笑おうとした時、警告音と共に予言板に流れる文字列が停止。赤文字となって画面いっぱいに拡大される。その内容は、
“10分後。ここより北東直線距離300m。勇者、モンスターの襲撃により死亡の恐れあり”。
キャアアアアッ!?
内容を読み取るや否や、どこからともなく絹を裂くような少女の悲鳴が響き渡る。
『…………危機的状況、ありましたね』
「うん。……とにかく急ぐぞっ!?」
『ワタクシが先導します。開斗様は足元を取られないようお気をつけて』
何が何やら分からないが、切羽詰まった事態なのは明白。ばさりと羽ばたくヒヨリの後を追って、俺は森の中を駆けだした。
走る。走る。走る。
草木をかき分け、転ばないよう慎重に、しかし全速力で。
普通ならすぐに息が切れるような強行軍だったが、今の身体は少し特別製。そこまで疲れる事もなく、ずんずんと森の中を突き進んでいく。そして、
『見えた。開斗様こちらですっ! ここから覗いてみてくださいっ!』
ある茂みの前で急停止しているヒヨリに促され、俺はそこから先を窺う。すると見えてきたのは、
「兄さんっ!? しっかりして兄さんっ!?」
「……はぁ……はぁ。大丈夫。ユーノは必ず、オレが護るから」
心配そうに涙を浮かべる少女を背に、傷だらけになりながらも木剣を構える一人の少年の姿だった。