青い空に雲がたなびいている。カシャロの街を一望する場所にあるこの丘の上には、整然と墓石が並んでいた。エセラインは花束を抱えながら、丘をゆっくりと登っていく。この場所に、家族が眠っている。失ったことは一日たりとも忘れたりしていないが、少しずつ感情は移り変わっている。
かつて、冒険者だった頃は、燃えるような怒りと深い哀しみに、すべてを壊してしまいたくなるような衝動を抱えていた。けれど今は、落ち着いて墓石に向かうことが出来ている。哀しさは変わらない。けれど、もっと正面から向き合えるようになった気がする。
「久し振り」
花を墓石に捧げながら、エセラインはポツリ呟いた。色々、報告したいことが山のようにあった。
妹が好きだったものすら忘れていたのに、不意に思い出せたこと。仕事は充実して、生活がちゃんと出来ていること。『宵闇の死神』に遭遇したこと。
――好きな人が出来たこと。
静かに墓石の前に佇みながら、一つ一つ報告していく。自暴自棄だったころは、きっと家族も心配していたことだろう。今の姿を見れば、少しは安心してくれるだろうか。
長いことそうしていたエセラインだったが、三時の鐘が鳴るのを聞いて立ち上がった。風がだんだん冷たくなって来ていた。
「また来るよ」
そう言い残し、通路に出た時だった。
ちょうど、奥のエリアからやって来た男に、驚いて目を見開く。赤い長い髪と白い革のコートをなびかせ、ラウカが通り過ぎていく。その表情に陰りを感じて、エセラインはつい、ラウカがやって来た方向へと視線をやった。
(ラウカ――? 彼も、墓参りか……)
ラウカが来た方向には、小さな白い墓石が一つ置かれていただけだった。その前に、たった今、供えられたであろう白い花束が置かれている。ラウカが置いていったのだ。
真新しい墓に、思わずエセラインは墓の前に立ってそれを眺め見る。
「……墓碑銘のない、墓……」
墓には墓碑銘は刻まれておらず、そこに誰が眠っているのか推し量ることは出来なかった。物寂し気なままに、その墓はただ、静かにそこにあるだけだった。
◆ ◆ ◆
コーヒーの香りと、新聞のインクの香り。嗅ぎなれた匂いを感じながら、ゾランは新聞を少し下げて通りの方を見る。いつもと同じ朝の風景。
ソワソワと落ち着きがない様子のゾランに、ミラがサンドイッチを片手にテーブルの方へとやって来た。
「はい、モーニングセットお待ちどうさま。今日は随分、落ち着かないわね? ゾラン」
「っ、ミ、ミラ……。何でもないよ」
こほんと咳払いして、新聞を折りたたむとサンドイッチに手を伸ばす。マスタードが効いたサンドイッチは、今日も絶品だ。
「エセライン――」
エセラインの名前が出て、ゾランはビクッと肩を揺らした。サンドイッチを喉に詰まらせ、慌てて胸を叩く。
「んぐっ! な、なにっ?」
「あらやだ。大丈夫? エセライン、今日は遅いわね?」
「そ、そうかな……」
名前を聞いただけで、心臓がバクバクしてしまう。ゾランの視線は、無意識に通りの方を見つめる。いつもエセラインがやって来る通りの方角は、道行く人の姿があった。朝の時間は、市場に向かう人や、ゾランのように働きに出掛ける人たちの姿で溢れている。カシャロの街の人たちの定番は、屋台やカフェでの朝食が一般的で、自宅で済ませる人たちも朝一はパンを買いに出かけるのが普通だ。そのため、朝は一日の中で一番人が多い時間帯である。
(確かに、ちょっと遅いような……)
もしかしたら今朝は、『クジラの寝床亭』へ来ないのだろうか。そう思うと、少しだけ残念な気持ちになる。先ほどまでは、会ったらどんな顔をすればいいか、どんな話をすれば良いか悩んでいたというのに。
(なんだ……)
なんとなく気持ちが沈みかけた、その時だった。カランコロンと、店先に吊るされたドアベルが心地よい音を立てる。
「あら。いらっしゃいエセライン。ちょうどアンタの話をしてたのよ」
「っ!」
エセラインが「え? 俺の?」と言いながらゾランの方を見た。ゾランはなんとなく気まずくて、視線を逸らす。
「ちょ、ちょっと遅いなって、話してたんだよ」
「ああ」
エセラインは笑いながら、カウンター近くのラックから新聞を手に取って、当然のように向かいの席に座る。この光景も、すっかり慣れてしまった。
「カフェオレね?」
「ああ、頼むよ」
いつも通りカフェオレを頼んで、エセラインは手にしていた新聞をテーブルに置いた。
「家を出たところで、丁度、馬車に水をはねられて……」
「えっ。最悪じゃん」
「一度着替えに戻ったんだ」
参った、というように肩を竦めるエセラインに、ゾランは同情する。昨晩は雨が降っていたため、水たまりが出来ていたらしい。
「風邪ひくなよ?」
「そうしたら、また看病に来てもらおうかな」
「っ……、調子乗るなよ。アレは、社長に言われて仕方なく……」
先日、エセラインが体調を崩した時に、ゾランは彼の部屋にお見舞いに行ったのだ。仕事も丁度、開いていたタイミングだったし、一人暮らすエセラインをラドヴァンが心配してのことだった。
(あの時は――……)
あの時は、まだエセラインの気持ちを知らなかったから。今、エセラインの部屋に行くのは、なんとなく気まずい気がする。嫌――というわけではないが。なんとなく、だ。
(ああ、もう……っ!)
恋愛経験の薄さが、足を引っ張っている。エセラインに対して、どんな態度を取るのが正解なのか、解らない。意識しすぎているのは解っていたが、意識しない方法が解らない。
「はい、カフェオレ。二人とも、そろそろ次の旅行記も考えて居るんでしょう?」
ミラがカフェオレをテーブルに置く。ゾランは頷きながら、コーヒーを啜る。
「うん。どんどん考えて行かないと。特別賞も貰ったし、今クレイヨン出版社は注目浴びてるだろうから」
カシャロのデート特集の記事は、思いのほか好評だった。テーマを絞ったことで、より読者に伝わるようになったようだ。カシャロという知っている街だったことも、功を奏したのだろう。
「私もすっかり、マルガリータとデートするのが楽しくなっちゃってね。あれから、あちこち遊びに行くようになっちゃったよ」
「良いじゃん」
マンネリ気味だと言っていたのに、マルガリータとの関係は付き合い始めた頃のように盛り上がっているらしい。彼女たちの人生に、良い影響を与えたのだと思えば、これ以上に嬉しいことはない。自分たちの記事が、誰かの役に立っているのだと実感できる。
次の記事も期待しているというエールを受けて、ゾランたちはプレッシャーとともに幸福を感じていた。