昼食は、屋台のクレープだ。パリパリに焼かれた香ばしいクレープ生地に、ブーケのような野菜とたっぷりのチーズにハム。庶民的だが食べ歩きも出来て、味も美味しい。
食べる時に少し苦労するが、それも醍醐味だ。
ゾランはクレープを齧りながら、エセラインを見上げる。エセラインもブーケのように大きなクレープに苦戦しながら、顔は始終笑顔だ。
(あれは、どういう意味なんだろうか……)
意味なんかないのかも知れない。二人ともペンは使うから、それだけのことかも知れない。
ガラスペンの色だって、たまたまで――。
そこまで考えて、首を振る。菫色をしたガラスのペンは、エセラインの瞳を思い出させる。あんなもの、見るたびに思い出してしまうじゃないか。
(まあ、デートとしては、100点かも知れない)
気負うほど高額なプレゼントでもないし、普段使い出来るし、なにより美しい。エセラインはプレゼントのセンスがあるらしい。
午前中はゾランがプレゼンのはずなのに、エセラインの方がポイントを稼いでいそうだ。競っているわけではないが。
「うーん。このチーズ、美味いな」
「生地の香ばしいのと合うよね。パリパリで、いくらでも食べられそう」
「ゾランの舌は間違いないからな」
「そ、そんなに期待されても、困るんだけど?」
「じゃあ、言い方を変えよう。俺とお前は好みが合う」
「っ、そ、そうだね」
確かに、そう言われればそうかもしれない。なんとなく、『気が合う』以上の親しさに、ほんのりと甘さが漂う。
「下町の職人街ってのも、意外に雰囲気が良いな。見知らぬ街みたいで、面白い」
「うん。染色工房のカラフルな光景とか、他じゃないよね」
ここだけ、カシャロではないようだと、ゾランも思う。職人街は独自の文化が形成されているように見えて、見るだけでも面白い。
ゾランとエセラインはあれこれ見歩きながら、存分に街の雰囲気を味わった。お勧めのお土産を紹介するのはどうだろうかと、仕事の話もしたし、エセラインが好きなもの、ゾランの好みも話題になった。
話が途切れる瞬間も、穏やかな気持ちだったし、同時に同じものを手にとっては、笑いあった。
「午前中で濃厚な時間だった気もするが、ここからは俺の紹介だな。疲れたか?」
「まあ、少しはね。でも、楽しみだったから!」
ゾランがそう息巻くと、エセラインが苦笑する。
「いざ自分が紹介する側になると、緊張するな」
「ははっ。エセラインでも緊張するんだ」
「そりゃあ、人並みにするさ。それに、ゾランのプレゼンは優秀だし」
「な、なんだよ。やけに褒めるじゃん」
「お世辞でもなんでもなく、本音だからな。ガッカリされたらと考えると、胃が痛くなる」
「――それこそ、杞憂だろ」
「え?」
「だ、だって、俺たち、好みが似てるんだろ? だったら、心配する必要ないじゃん」
「――確かに」
エセラインの表情が和らいだのを見て、本当に緊張していたのだと気づいた。自分相手に緊張するエセラインに、なんだか嬉しくなってしまう。
(なんか俺、浮かれてるな……)
恥ずかしい。そう思いながら、頬を押さえる。手で包んだ頬は、かなり熱い。通りに面したショップの、窓ガラスに写った顔が、真っ赤だった。
◆ ◆ ◆
エセラインに連れられてやって来たのは、街中にある古いレストランを改装して作られた、小さなギャラリーだった。
「ここのギャラリーが扱っている絵は、全てミランが描いたものなんだ」
「ミラン? ミランって確か……」
「本名はミシェル・マグノリア。性別を隠して活動していた、女性画家だ。彼女が生きていたころ、画廊は女性には開かれていなかった。彼女の死後、女性だと明かされたとき、世間は大騒ぎになった」
「うん、聞いたことある」
ミラン――ミシェルと呼ぶべきか。ミシェルがミランだと明かされた時、彼女の絵は大暴落を起こしたらしい。女性の絵には価値がないと、所有者たちが騒ぎ立てたのだ。当時、女性は絵を描いたとしても趣味でしかなく、仕事とは認められなかった。
「確か、カシャロ社が特集を組んだんだよね」
「そう。『ミシェルの絵は本当に無価値なのか?』と、カシャロ社が訴えた。彼女の絵の存在は、その記事で広く知られることになり、市民からも論争が沸き上がった」
そして、事態は意外な方向に、決着した。ある画廊のオーナーが、絵の価格を下げるために、女性だと明かしたのだと、噂になった。その画廊では、貴族が価値がなくなったと言ったミシェルの絵を買い漁っていたのだ。
結果として、逆に値段はつり上がり、その画廊は大儲けをした。だが画廊は、その売り上げでミシェル財団を設立し、女性画家の支援を行うようになったという。画廊のオーナーは、ミシェルが売れない時代を支えた、支援者だった。
記事を思い出して、ゾランはドラマを感じる。エセラインはゾランでも楽しめそうな展示に連れてきたようだ。
「このギャラリーも、その財団の持ち物だ。展示はミシェルの作品ばかりだから、初心者でも観やすい」
「うん。時代ごとにタッチが変わって、観てて飽きないよ」
「多分、お前が気に入るのはこっちかな。ここら辺は版画なんだ」
「版画?」
レストランの廊下だったらしい通路を見やると、壁面に版画がかけられていた。色鮮やかなインクで刷られた美しい版画だ。人物、植物、動物など、さまざまなモチーフが表情豊かに描かれている。
「あっ。知ってるこれ、クッキーのパッケージだ! こっちはパスタの袋じゃなかった?」
「ミシェルの版画は、多くの商品パッケージに使われてるんだ」
「うわぁ、身近なところで見てたんだ」
「これとか、カッコいいよな。洗練されてる」
「マダムデュポンのソーセージだ。お腹減ってきちゃった」
見知ったパッケージの数々は、見ていて飽きない。ほとんどの作品は、よく目にする商品に使用されているが、中には知らないものもある。なんとなく、次に目にしたら、つい手を伸ばしてしまいそうだ。
「楽しめたか?」
「うん。すっごく、楽しかった!」
ギャラリーを出ると、日が傾き始めて、街が黄色く染まっていた。思ったよりじっくり見て回っていたらしい。あっという間に時間が過ぎてしまった。
「結構、見てたんだね」
「小さいギャラリーでこれだから、大きい美術館だと一日じゃとても回れない」
肩を竦めるエセラインに「でも、大きいところも興味出てきたな」とゾランは笑った。
「また行こうか?」
「うん。誘ってよ。エセライン詳しいし、余計に楽しい」
「――なら、良かった」
なんとなく会話が途切れて、二人とも歩き出す。どこに行こうとは言わなかったが、二人とも自然に、人波の流れに任せるように、歩いていく。
夕暮れの街は、ざわついていてどこか忙しない。その様子をのんびり眺めていると、時の流れに取り残されたような気持ちになる。
思えば、こんな風にゆっくりしたのは、久し振りだ。いつだって、仕事のことばかり考えていた。
(って、今日も一応、仕事なんだけど――)
途中から、仕事だというのを忘れていた。今日の『デート』は、あくまでも仕事の一環なのに。
「疲れたろ?」
「まあ、歩き通しだったしね」
「夕飯にはまだ早いが――」
「うーん。確かに?」
お茶をするには遅く、夕食には少し早い。仕方がないので、散歩しながら街を眺める。
「体力に余裕があるなら、行きたいところがあるんだが」
「ん? まあ、平気だけど……」
エセラインはそう言って、路地の裏をすり抜ける。路地の向こうは入り組んでいて、ビルが何層にも複雑に折り重なっていた。狭い土地に、ぎゅっと建物を押し込めたような形だ。
「なにこれ、面白い」
「継ぎ足し継ぎ足しで、どんどん積み重ねて行ったみたいだな」
階段を抜け、通路を抜け、また階段を上る。迷子になりそうだ。
気づけば、街のなかでも一際高い建物の上にやって来ていた。近くの教会の屋根まで見える。
「うわあ」
街を一望できる景色に、ゾランは思わず溜め息を吐いた。黄色く染まった街が、どこまでも広がっている。
「俺のお気に入りの場所」
「すごい場所にあるじゃん」
遠くの方では、太陽が山の陰に隠れようとしているところだった。街も、頬も髪も、全てが黄金色に光っている。
「きれい……」
呟きが風にとけて消えていく。街を見下ろすと、忙しなく動く人の様子や、明かりがポツポツと点り始めた街灯が見える。
「ゾラン」
「ん?」
ゾランはエセラインを振り返らずに、返事した。だから、彼がどんな顔をしていたのか、解らなかった。
「後悔、してたりするか?」
「え? なにが?」
どうしたのかと、見上げたエセラインの顔は、酷く怯えたようで、ゾランは驚いて目を見開く。
「エセライン?」
「俺は、少しだけ――ほんの少しだけ、後悔してるし、怖いよ」
「……どうしたの?」
茶化すところじゃないと、ゾランは静かに問う。
「旅行記を作るようになって、外へ出るようになって、危ない目に遭うことが増えた」
「――エセライン……」
「もし、旅行記を作ってなかったら――『宵闇の死神』に遭うことも……」
「エセライン」
ゾランはエセラインの手を取った。酷く、冷たかった。
『宵闇の死神』は、エセラインにとっては敵であり、本当に死神そのものだろう。ゾランはそれを、「無事だっただろ」と簡単に言うことは出来ない。エセラインが傷ついたのを、知っている。多分、ゾランよりも、傷ついた。
「エセライン。でも、俺は記者だから」
だから、ゾランはそう言った。傷つくのは怖い。死にたいとは思わない。でも、恐れを理由に、筆を折ることは出来ない。
「解ってる。それに、これは俺のエゴだ」
「俺は、エセラインにも危険な目に遭って欲しくないからね」
エセラインがフッと笑った。つられるように、笑い返す。
いつの間にか、エセラインがすぐ近くに身体を寄せていた。ゾランの頬に手が触れる。
「エセラ――」
ふに、と。柔らかい感触が、頬に押し当てられた。唇だと気づいて、ゾランは目を見開く。
「っ――!」
顔が熱い。夕日に照らされ、赤い顔がいっそう赤くなる。
「ゾラン、お前が傷つくのが嫌だ。でも、記事を追いかけて夢中になる姿が好きだ。だから」
「だ――だから……?」
エセラインは笑っただけで、その続きは言わなかった。