デートといえば、待ち合わせだ。ゾランとエセラインはいつも『クジラの寝床亭』で落ち合うが、今日のデート企画は敢えて待ち合わせからスタートすることにした。
(はぁ、緊張する……)
ドキドキとなぜか緊張する心臓を押さえつつ、石畳を歩く。目的地は三番街にある教会前広場だ。この広場は休日には出店が多く出展し、大道芸などもよく来るため、人通りが多い。待ち合わせ場所にもよく使われる。
広場はすでに人が多い。花売りのワゴンにホットドッグの屋台。手作りのアクセサリーを売る屋台などが並んでいる。
(あ。もう居る……)
演劇のポスターが貼られた掲示板の横に、いつもとは少し雰囲気の違う装いのエセラインが立っていた。ジャケット姿は、妙に様になっていて、演劇のワンシーンのような錯覚を覚える。
ドクンと跳ねる心臓をなだめ、ゾランはエセラインに近づいた。
「っ、エセラインっ、早いじゃん。待った?」
「ゾラン。いや、今来たところだ」
手にしていた冊子をポケットに捩じ込み、エセラインが顔を上げる。蕩けそうなほどの柔和な笑みに、ドギマギしてしまう。
まるで、本当のデートだ。
「な、なに読んでたの?」
「エンリケの『やわらかな手』。恋愛小説だよ」
「エセライン、恋愛小説とか読むんだ」
「まあ、普通に。ゾランは小説は?」
「貸本屋にはよく行くけど、エッセイとか評論とか読んでるかな。小説は――うーん」
首をひねったゾランに、エセラインが笑う。
「空想は苦手か」
「そうなっちゃうのかな。最初に読んだのがゴードンの『海底からの脱出』だったのが悪いのかも」
「ああ、あれはちょっと難解で難しいよな。ファンタジーでSFで、ゴードン自身が数学者だから文章も難解だし」
「そうそう。なんとか読みきったけど……何度も挫折しそうになった」
「途中で放り投げなかったのは偉いな」
ごく自然に話せて居ることに、ゾランはホッとする。エセラインとは仕事の話ばかりしてきた気がするが、案外こうして雑談するのも悪くない。本好きという一面も知ることが出来た。
「今度、お勧めの本、教えてよ」
「良いよ。ゾランなら料理が出てきたら、面白いんじゃないか」
「あ、良いね、それ」
話ながら、なんとなく歩き出す。二人ともなにも言わずに歩き出したが、そもそも今日のプランはデートであり、互いに互いの目的地を知らない。
「今日だけど、どう進める? お前が行きたいところ、どの辺りを予定してるんだ?」
「俺は四番街中心に考えたんだけど」
ゾランの返答に、エセラインは「ふむ」と頷いた。
「四番街はあまり行ったことがないな。俺は六番街に行こうかと」
「じゃあ、四番街、六番街って回る感じどう?」
「そうしよう。その方がスムーズだ」
各街は馬車も通っているし、遊歩道もある。期せずして自分が先になって、ゾランは少し緊張した。
(六番街のほうが、都会ってイメージあるよな。博物館とか美術館もあるし)
なんとなく、エセラインは美術館に行くのではないかと思う。ゾランは美術館に行ったことがないので、少し期待してしまう。
「そう言えば、『海底からの脱出』といえば、舞台になってるらしい」
「えっ。本当に? まさかクラーケンと戦うシーン、舞台でやるの?」
「まあ、あのシーンは外せないだろうな。舞台を観に行くのも良かったかな」
「確かに、演劇鑑賞デートって、ありな気がする」
ちょっと気張り過ぎな気もするが、演劇を一人で見るのはつまらないし、好きな人と観るのは楽しいのではないだろうか。
「俺も劇場は行ったことがないんだ。劇場を見るだけでも立派だし、行ってみる価値はありそうだなあ」
「なんか有名な建築家が作ったんじゃなかったっけ。素敵だよね、あの外観」
高名な建築家が手掛けた劇場は、装飾に使われている彫刻や内装の絵画も有名な美術家だったはずだ。
「そう考えると、カシャロって観るところいっぱいあるじゃん」
「本当だな。暮らしていると、忘れがちだ」
そんな風に歩いていると、大きな路地に差し掛かった。ここから、四番街へ入る入り口だ。
ゾランは石畳を軽快に駆けて、エセラインを振り返った。
「見て、見て。ここ、お気に入りスポット!」
そう言いながら、両腕を広げて通りを振り返る。
「わ――。そっか、そう言えば、四番街は坂の下にあるんだったか」
眼前には、どこまでも続く大きな下り坂が広がっている。カシャロは大きなクジラの背中に例えられることがある、なだらかな丘の上に街がある。この四番街は尾っぽの部分だと言われており、他の地区よりも土地が低いことで有名だった。
「実際に見るのは初めてだが、壮観だな」
「でしょ? 馬車泣かせの坂だけあって、急斜面がどこまでも続いて」
ここを通る馬車は少ないため、結果として四番街は避けて通る人が多い。斜面を実際に下って見ると、転んだら一気に坂の下まで転げ落ちてしまうのではないかと錯覚してしまう。
「ゾラン、気を付けろよ」
「平気だよ。でも、買ったレモンを落としたことがあって、坂の下まで取りに行ったんだ。大変だった」
「そりゃあ、災難だ」
エセラインはその時のことを想像して、クスリと笑った。
「ここからだと、外壁の外までよく見えるでしょ。延々と畑が続いてて、向こう側には山脈が貫いて」
「ああ」
「あの山から、来たんだ。俺」
エセラインが驚いた顔をした。カシャロに来たばかりのころ、故郷恋しさに、この場所から山を見ていた。故郷の村は遠い。里帰りもずっとしていない。
「そうか」
ゾランが初めてカシャロに来た時も、この坂には驚いたものだ。自然の力と、それを切り開き都市にした人間の、力強さを感じる。そこに息づく人々の生活も、この風景を作り出しているのだ。
「四番街って、職人街が多いんだって」
「そうなのか」
「染色工房に、革なめし職人、それにガラス工房。川が近いこともあるけど、昔は職人たちが逃げ出せないように封鎖してたんだって」
「ああ――確かに、陸の孤島だな、ここは。だから不便なのか」
敢えて不便なままにされている地域だったのだろう。今は技術が公開され、都市も開かれたが、土地はそのままだ。
ゾランは細い路地を目指し歩き出す。
「ここです」
シャラシャラと、風に靡いて音が鳴る。エセラインは瞬きをして、その光景に魅入られた。
「ガラス細工――か」
ずらりと軒を連ねた職人街の軒先には、色とりどりのガラス細工がキラキラと光を反射して揺れていた。窓辺に吊るして魔除けにする、飾り細工だ。
水晶のようにカットされたガラスが、風に揺られてシャラシャラと小気味の良い音を鳴らす。
「すごい、綺麗でしょ」
「――ああ」
エセラインの反応に、ゾランは満足してヘヘッと笑う。今回のデートの、一押しスポットだった。
「綺麗なガラス細工もたくさんあるし、お店見て回ろう」
「ああ。何か買いたいな」
店先に並ぶのは、ガラスの食器や小物、アクセサリーなど様々だ。色とりどりのガラスは、見ているだけでも楽しい。
「あ。このカップ可愛い。耐熱ガラスなんだ」
「こっちも良いな。料理はしないが――」
そういって皿を手にしていたエセラインが、ふと目を止めた。木の箱に入ったガラス細工に手を伸ばす。
「何か良いの、あった?」
「ああ。これを買おう」
そう言うと、店の人に声をかけ、包んでもらう。ゾランは気に入ったものがあって良かったと、その背中を眺めていた。
戻ってきたエセラインの手には、二つ包みがあった。そのひとつを、ゾランに手渡す。
「え?」
「プレゼント。そういうのも、アリだろ?」
「――っ、そ、そうだな……。あ、ありがとう。開けて良い?」
「もちろん」
カサと包みを開き、木箱を開ける。中に、菫色をしたガラスのペンが入っていた。
「ガラスペン……! わ、すごい良い!」
「俺はこれ」
そういってエセラインが見せた彼のガラスペンは、ゾランの瞳と同じ翡翠色をしていて、ゾランは気恥ずかしさに唇を結んだ。