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第20話 近づく距離



 壇上に立つ紳士が、オルク社の受賞を告げる。ラウカの言った通り、今年の大賞はオルク社の飛行船事故の記事が受賞したようだった。ゾランはそれを会場の端っこで眺めながら、ボンヤリと手を叩く。


(まあ、そうだよねえ……。ちょっと夢見ちゃったけど……)


 ノミネートされたことで期待してしまったが、オルク社の記事が良かったのも事実だ。事故現場から救出される人と、救助した騎士団の真剣なまなざしが胸を打つ、素晴らしい写真。それに、事故原因や当時の状況などを克明に記載した記事は、とても良かったと記憶している。ラウカは何か権力の香りを感じていたようだったが、ゾランはそうは思わない。間違いなく、オルク社の記事は素晴らしかった。


 今からの時間はどうするかと、ゾランは周囲を見回した。料理も食べてしまったし、酒を浴びるほど飲む気はない。記者たちの注目はオルク社に行くだろうし、どうしたものかと思っていた。


(あれ、エセラインはどこ行ったのかな?)


 気づけば、ずっと傍に居たエセラインの姿が見当たらない。ワインでも取りに行ったのかとそちらを見れば、テラスの方へ移動しようとしているエセラインの姿が目に入った。


(なんだ)


 風でも当たりに行くのかと、エセラインを追いかける。ゾランも、少し会場の熱気から離れたかった。


「エセライン」


 テラスに出ると、エセラインがワイン片手に欄干にもたれかかっているところだった。ゾランに気づいて眉を上げる。


「ゾラン。お前も、抜け出て来たのか」


「うん。誘えよ」


「はは。もう料理は良いのか?」


「一通り味見したからね」


 ゾランもエセラインの横に並んで、欄干にもたれかかる。階下には夜の庭園が月明かりに映し出されていた。噴水の水音と木々のざわめきが聞こえてくる。


「ラウカのこと、突っついて悪かったな。……お前の憧れの人なのに」


「え? ああ! そんなの……。憧れっていうか、まあ――記者になったきっかけの人ではあるけどさ……」


 エセラインの言葉に、ゾランは少し複雑な気持ちになった。あの頃、憧れていた感情。ラウカの背中を追いかけてここまでやって来た気持ち。そういったものが、最近少し変化している気がする。それは、ラウカが見せた僅かな拒絶のせいだ。


 手帳のことをまるでなかったかのように忘れていたからなのか? 『宵闇の死神』が嫌いだと言った、あの表情のせいなのだろうか?


 ラウカは、あの夏の日に出会ったラウカとは、別人になってしまったかのようだった。あの頃あった、確かな情熱を、今のラウカから感じない。今のラウカは、冷たい氷のようだ。


「それより、ラウカの言い方……ちょっと引っ掛かった。なんか、わざと『ネマニア事件』のことを言い出したみたいに感じて……」


 チラリ、エセラインを見る。エセラインは少しだけ眉を寄せたが、「そうだな」と小さく頷くだけだ。エセラインも、感じているんだろう。


「それにしても、ラウカ社って『宵闇の死神』の記事だしてなかったんだね。俺、気づいてなかったかも」


「俺も気が付いたのは、今回の写真の件でだ。他の新聞社は問い合わせして来たけど、ラウカ社はなかったから――」


「ああ――……」


 どの新聞社も、真偽については慎重だったが、問い合わせはして来た。それから、一斉に後追い報道があった。写真を借りに来た新聞社もある。ラウカ社だけは、なかったのだろう。


(嫌いってだけで、報道しないのも変な話だけど……)


 反『宵闇の死神』ならば、そのような報道の姿勢を取れば良いだけだ。何もなかったかのように扱わないのは、確かに妙ではある。


「それにしても、残念だったね。大賞、取れちゃうかな~? って、ちょっと期待しちゃった」


「まあ、次は『宵闇の死神』逮捕の記事で、大賞を取るさ」


「だな」


 笑い合い、手を打ち付け合う。


 エセラインの笑みが、ゾランの笑う瞳と視線が絡みあう。


 月が、美しかった。


「――」


 どちらともなく沈黙して、しばし見つめ合う。菫色の瞳に、ゾランが映っている。


「――あ……」


 どのくらいそうしていたのか解らなかったが、沈黙に耐えかねてゾランは吐息を吐き出した。心臓が、妙にざわめいた。


「その……。これで、変な噂も落ち着くと良いよな」


「ああ――。ゾランも、一人で歩きたいだろ」


「うん。エセラインに迷惑かけられないし」


「迷惑なんかじゃない」


 存外真剣な声でそう言われ、ドキンと心臓が鳴る。


「迷惑なんかじゃない」


 もう一度、エセラインがはっきりとそう告げた。ゾランは瞳をさ迷わせ「でも」と小さく呟く。顔が、熱い。エセラインの眼差しが、チリチリと頬を焦がすほどに自分を見ている。


「俺が、そうしたいから、やってるんだ」


「……でも」


「お前にしたら、鬱陶しいだろうけど」


 クスリと笑う声に、ゾランは顔を上げた。


「まさか! そんな風に思ったことない!」


「はは。なら、良いけど――俺は、ゾラン。お前が――自由にしてるのが、好きだ」


「え……」


 ドキリ、心臓が疼く。エセラインは穏やかな瞳で、ゾランを見ている。


「広い空の下で、笑ってるお前が好きだ。だから、怯えて縮こまってる姿は、見たくない」


「それ――」


 どういう、意味だろうか。


 真意を確かめたくて、無意識に手を伸ばす。エセラインが、欄干にグラスを置いた。距離が近づく。互いの服が、擦れるほどに近づいた、その時だった。


「ゾラン! エセライン!!!」


 テラスの扉が開き、ラドヴァンが駆け込んでくる。両腕を拡げて抱き着く勢いでやって来たラドヴァンに、ゾランは驚いてエセラインから身を離した。


「社長っ!?」


 ラドヴァンの後ろから、呆れ顔でテオドレが顔を出す。


「おお、ここに居たのかよ」


「どうしたの?」


「特別賞! 特別賞だよ!!」


「特別賞?」


 泣き出しそうなラドヴァンを宥めて、テオドレを見る。テオドレがニヤリと笑って、トロフィーを掲げた。トロフィーには、『カシャロ新聞社賞 特別賞』の表記がある。


「嘘っ!? クレイヨン出版が!?」


「そうだよ! 特別賞貰えたんだよ!!」


「そんなのあったか?」


「今年、新設されたんだと」


 興奮して盛り上がるラドヴァンに、ゾランも「お祝いしないと!」と盛り上がる。同時に、先ほどエセラインの告げた言葉の真意が、気になって仕方がなかった。





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