「良いですね、ゾラン。よく似合いますよ」
「そう? 変じゃないかな」
深いグリーンのスーツを身に付け、腰には『海鳴り』を挿して、普段は締めないネクタイを身につけた。なんだか落ち着かないが、自分でもまあまあ良いのではないかと思う。
「間に合って良かったですね」
「本当、ギリギリだった」
ゾランが小柄なこともあり、サイズの調整をしたため、仕上がりが今朝になってしまった。なんとか間に合ったのは、交渉してくれたルカのお陰である。
「準備は出来た?」
ガチャと扉を開き、ラドヴァンが入ってくる。ラドヴァンはすでに、スーツに魔法使いらしい黒いローブ、胸にロゼットといった装いだ。
「その姿だと、元冒険者っていうのが納得な感じですね」
「ローブなんて久し振りに出したよ」
はは、とラドヴァンは笑いながら、ローブを摘まんで見せた。今日のために急いでクリーニングに出したらしい。
「お、もう来てたか」
「お疲れ様です」
ラドヴァンに続いて、テオドレとエセラインもやってくる。テオドレは胸にロゼット。エセラインはアカデミーのハーフコートにエンブレム、ロゼットと着いているので、一際華やかだ。二人とも式典用の刃引きした剣を帯剣している。
「へー。なんかカッコいいじゃん」
「お前も、似合ってるぞ。ゾラン」
「やっぱり、礼服はきちんとして見えますね。今回は貸衣装でしたけど、ゾランもそのうち作った方が良いですね」
「あー、そうだね。その時は良い店教えてね。ルカ」
礼服を着る機会がまたあるかは解らないが、一着くらいないのも困るというのが、今回身に染みた。良いレストランに行くときにも使えるし、やはり一着は持っておこうと、ゾランも思う。
着なれなさに落ち着かずにいると、エセラインが横に立った。自然と、エセラインの横顔を見上げる。
(やっぱり、似合うなあ……。アカデミー時代は制服だったんだよね?)
「ん? どうした?」
「え? あー。アカデミー時代は制服だったんでしょ? どんな感じかなって」
「ああ、まあ、普通だ」
「普通ってなんだよ」
エセラインは少し恥ずかしそうに顔をしかめる。心なしか頬が赤い。
「ちょっとアレだろ『お坊ちゃん』っぽいって言うか」
アカデミーの制服は、白いシャツに紺のブレザースタイルだ。ブレザーに入った白いラインが、アカデミーの特徴である。
「実際、良いところの人が多いイメージだもんね」
「ワルガキが多いけどな」
冗談のように言うエセラインに、ゾランもつられて笑う。
(ここのところ、あんまり笑えてなかったけど……)
あれから、クレイヨン出版社の周辺は、大きな事件は起きていない。だが、護衛に雇った冒険者からは、不審者が彷徨いているという連絡が入っていた。
ゾランは下宿先である『クジラの寝床亭』のミラに迷惑がかかるのではないかと不安だったし、夜道を歩くと今でも怖くて仕方がない。結局、エセラインを頼ってしまっている。
(それも、今日終わるかも知れない)
ノミネートの情報は、翌日の新聞に載る。それ次第で、状況が変わるかもしれない。
「明日の新聞に合わせて、うちは難民問題の特集をあらためて出す」
ラドヴァンの言葉に、神妙に頷く。明日の新聞は、再び注目されるだろう。クレイヨン出版社の姿勢が、どう見られるかは解らない。だが、自分達は、ペンで戦うしかないのだ。
◆ ◆ ◆
カシャロ新聞社賞授賞式は、カシャロでも有名な高級ホテルで行われる。現国王の妹殿下が降嫁された際に使用されたホテルで、式典やパーティーなど、数多くの催し物で使用されていた。
「うわ、絨毯フカフカ……。これ、踏んで大丈夫?」
怖々と絨毯を踏むゾランに、エセラインがプッと笑う。「笑うことないだろ」と頬を膨らませるゾランに、エセラインは謝ったが、顔は笑っていた。
「まあ、こんな場所に来る機会があるとは、思ってなかったな」
「エセラインでもそう思うんだ」
「さすがに、格式が高いからな。それこそ冒険者ならS級とか、売れっ子の役者だとか政治家だとか、そういう人間でもないとなかなか来ないだろう」
「だよねえ」
場違いな気もするが、せっかく来たので存分に楽しもうと、ゾランは思う。
「それにしても、ハァ。すごい建物……」
大理石の床はピカピカで、湖面のように景色を映している。頭上には巨大なシャンデリアが、目映いほどに光輝き、客を出迎えるホールの巨大な花瓶には、前衛的な形に花が飾られている。
ものすごく贅沢な造りだと、ゾランは思った。
「あの人、王様だよね……。うわぁ、間近に見るの初めて……」
パレードや式典などで、遠目に見たことはあるが、これほど近くで見るのは初めてだった。ここがいかに特別な場所なのかを思い知り、密かに興奮する。
「大物ばっかりだ。貴族も多いな」
「あそこでしゃべってる人、見たことがある気がする……」
「ん? ああ、確か、ウルス侯爵じゃなかったか?」
「ウルス侯爵? って、確か――貴族院を纏めてる、トップの人だよね。そんな人も来るんだ……」
貴族院議長であるウルス侯爵はでっぷりとした腹を揺らした、眼光の鋭い老人だった。かなり年配のはずだが、若々しくさえ見える。今は、主催であるカシャロ社の会長と話をしているようだった。
「酒も良いもんがたくさんあるぜ」
「飲みすぎないでくれよ、テオドレ」
「あ、料理もあるんですよね?」
「ほどほどにしておけよ」
テオドレとゾランの反応に、ラドヴァンとエセラインは呆れ気味だ。だが、せっかく高級な料理を食べる、滅多にない機会である。
さっそく料理を取りにテーブルに向かうと、見知った顔が近づいてきた。確か、オルク社のライターだ。
「おう、クレイヨンの。ノミネートしたんだって?」
「あ、オルク社の! この度はどうも」
オルク社は確か、飛行船事故の記事でノミネートされたはずである。ゾランはサーモンの切り身を皿に取りながら、挨拶を交わす。オルク社のライターは、シャンパングラスを持っていた。顔が赤いところを見ると、既に結構飲んでいるようだ。
「君らんところの、『宵闇の死神』。ヤバかったなぁ! よく生きてたな!」
「死ぬかと思いましたよ」
「まあ、スクープに危険は付き物だよな」
ライターの男は、そのまま危なかった取材やら、面白かったネタの話をし始める。一般の読者と違い、ここにいるライターたちは、あれが偽物の記事だとは思わなかったようだ。そのことに、安心する。
(微塵も疑ってない感じなの、嬉しいな。……テオドレはお酒に行ったか。社長は――)
ラドヴァンの方を見ると、見覚えのある金髪の大男に捕まっていた。ゾランは隣でチーズを取り分けていたエセラインを見上げる。
「あれって、冒険者ギルドのギルドマスターだよね」
「ん? ああ、そうだな。推薦はあの人がしてくれたって言ってたし。挨拶してるんだろ」
「俺たちも挨拶してくる?」
そう提案しようとした、丁度その時だった。背後から、声がかけられる。
「クレイヨン出版社の記事、推薦人はシキ・マノヒナだったのか」
「!」
聞き覚えのある声に、ゾランはパッと振り返る。
「ラウカっ! ……っと、ラウカさんっ!」
「ラウカで良いよ。―――ゾラン」
赤い髪を靡かせ、ラウカが微笑む。
「ラウカ社は三大クラン談合事件でのノミネートでしたか」
「そうだよ。まあ、今回は他も粒揃いだからねえ」
ラウカはそういって、手にしていたワイングラスを軽く回す。ワインの香りが華やかに拡がった。
「まあ、ここだけの話、殆どもう決まってるようだけど」
「そうなんですか?」
「だいたい、例年通りなら、今年はオルク社が取るだろうねえ。権威のある賞とはいえ、地方紙にはあまり恩恵がないのが現状かな」
ラウカの言葉は、案にデキレースが行われていると示唆していた。
(そっかー……。ラウカが言うなら、そうなんだろうな……。ちょっと残念)
自分達の記事は、駆け込みだったこともあり、注目が薄い。期待していたわけではないが、少しだけ残念だった。
「まあ、『宵闇の死神』逮捕! とか素顔そのものだったら、話は変わったかもね」
「確かに」
肩を竦めて見せるラウカに、ゾランもつられるように笑った。
「――ラウカ社では、『宵闇の死神』は特集していませんよね。理由をお聞きしても?」
エセラインの言葉に、ラウカがピクリと頬を揺らした。
「――特別な理由はないけれど。強いて言うなら、我々が裁こうとしていた相手を先に襲撃してしまうことかな」
「そうなんですか?」
「そうだよ。例えば――『ネマニア事件』とかね」
『ネマニア事件』という言葉に、エセラインが眉を寄せた。エセラインは、『ネマニア事件』の被害者だ。
(ラウカ――エセラインのこと、知ってるのかな……)
今の言い方は、態とだと感じた。エセラインが関係者だと知っていて、名前を出したような気がする。
「ラウカさんは、ネマニアを追っていたんですか?」
「もちろん。ネマニアのことは、人身売買を中心に調べていたんだ。西方貿易に詳しいイェリネク商会と取引しようとしていたのも、それが理由だと踏んでいたよ」
ラウカは笑みを浮かべていた。だがその笑みは、どこかざらりとしたものを感じさせた。
(ちょっと、引っ掛かる言い方……)
まるで、エセラインの実家であるイェリネク家が、犯罪に荷担していたかのような言い回しだ。イェリネク商会はネマニア商会から一線を引いていたのに。
ゾランはチラとエセラインを見る。エセラインは表情を変えていなかった。ただ、ぎゅっと握られた拳が、彼の不快感を物語っている。
(エセライン……)
ゾランは思わず、エセラインの袖を握った。
何故だろうか。憧れのラウカと喋っているというのに、何故かちっとも、楽しくない。ただ、エセラインのことが気がかりで仕方がない。
「『宵闇の死神』に出し抜かれたことと、記事にしないことは話が違う気がしますが」
「……オレは、『宵闇の死神』が嫌いなんだよ」
低い声にゾクと背筋が粟立つ。ラウカが、本心から『宵闇の死神』を嫌っていると、感じた。
「あ、あの、ラウカ――」
「この話はやめにしよう。せっかくの席だ。君たちも楽しんで」
ラウカは先ほどまで纏っていた雰囲気を打ち消して、笑みを浮かべると、その場から立ち去った。
「……」
後に残された二人は、モヤモヤばかりが胸に燻った。なんとなく、話題を切り替えづらく、ゾランは口ごもる。
と、そこに、思いがけない人物が話しかけてきた。
「お前たちがクレイヨン出版社だったか。なんだ、数人しかいない小さな出版社なんだと?」
「えっ……。ウ、ウルス侯爵!」
「恐れ入ります」
大物の登場に、ゾランとエセラインは慌てて礼をする。ウルス侯爵はねっとりとした笑みを浮かべて、「そんなに畏まるな」と腹を揺らす。
(うわ。サファイアの指輪? デカすぎだろ……)
指を覆い隠すほどに巨大なパープルサファイアが、太い指に嵌められている。やはり、ゾランとは住む世界が違うらしい。
「あの『宵闇の死神』の正体を暴いたんだったな」
「いえ、まだそこまでは……」
「捕まえるのも時間の問題だろう」
ガハハ、と笑いながら、ウルス侯爵はワイングラスを傾ける。機嫌が良さそうだ。
(ウルス侯爵様は『宵闇の死神』がお嫌いなようだな。……まあ、好きな方が問題か)
庶民にとってはヒーローだが、貴族にとってはそうでない。いつどんな些細なことで殺されるか、解ったものではない。
「ではな。励みたまえ」
「はっ……」
上機嫌のウルス侯爵を見送り、ホッと息を吐く。お陰で、緊張してしまった。
「ビックリした……。まさか侯爵様に声をかけられるなんて」
「ああ。思ったより、注目されてたんだな。あの記事」
エセラインも緊張していたようだ。お陰で、喉がカラカラだ。
「ん? あれ……」
ふと、柱の傍に立っていたラウカが、ゾッとするような顔で睨み付けていたので、ドキリとする。ラウカの視線の先には、ウルス侯爵が他の貴族と談笑していた。
(―――)
「ゾラン?」
「え? あ、ゴメン。なに?」
「どうした?」
エセラインの手には、オレンジ色のカクテルが握られている。ゾランはそれを受け取って、「何でもない」と首を振った。