「『ボックス』――空間系魔法のひとつだな」
「空間系、魔法?」
ゾランの話を聞いて、エセラインがそう呟いた。空間系と呼ばれる系統の魔法は、数が多くない。魔法屋で販売されることも少ない、希少な魔法だ。
「いわゆる収納魔法だろう。大きいものだと馬車一台分ほど収納できるらしいが、ボックスという言葉からも、それほど大きくはないだろうな」
収納魔法の存在自体は、ゾランも知っている。稀有な能力で、利便性はあるものの、密輸出来てしまうという理由から、あまり表だって利用をほのめかす人間は居ない。
「知らなかった」とゾランが呟くと、ラドヴァンがゾランの手を取った。瞳を閉じ、ゾランの魔力を送り込んでくる。魔力の流れが擽ったい。胸の中を覗き込まれているようだ。
「っ……、ん」
ピクリと肩を揺らすゾランに、ラドヴァンが瞳を開ける。瞳の表面に、魔力の膜が見えた。
「なるほど。『封印』状態。特定のキーワードを使わないと、この箱は開かないようだね」
「キーワード?」
「何が設定されているかまでは解析できなかったけど――ゾラン、ヴェリテから、なにか預かったね?」
「え? っと……?」
「ゾランが受け渡し人に、されたってことですか?」
エセラインが険しい表情をした。ゾランは何事か分からず、視線をさ迷わせる。
「そこまでは言ってないさ。ただね」
ラドヴァンはそう言うと、唇を閉じた。重い沈黙を破ったのは、ルカの呟きだった。
「あの当時、ラウカ社が狙われたという原因になったと言われている記事は――結局、公表されていないんです」
「――え?」
ラウカが掴んだという、『危ない』情報。その情報のせいで、ラウカたちは追われることになった。表向きは刺客をラウカが退け、そして平穏が戻ったとされているが、業界の人間は知っている。ラウカが、記事を出さなかったことを。
「ラウカは記事を出さないことによって、今の均衡を保っていると言われていました。けど……」
「もしかしたら、真実は違うのかもね……」
ラドヴァンはそう言って、ゾランに視線を向ける。
(もしかしたら、俺は)
ラウカは、記事を出さなかったのではなく、
ゴクリ、喉を鳴らす。
「まあ、憶測に過ぎない話だ。ラウカに確認したいが、彼も警戒しているだろうし、おいそれと話題に出すわけにもいかない。みんな、この件については慎重になるように」
「解りました」
「解った」
「……はい」
複雑な感情を押し込めて、ゾランは小さく頷いた。
◆ ◆ ◆
石畳を歩きながら、ラドヴァンは重いため息を吐き出す。カシャロの街の空気はいつも通りで、昨晩、ゾランが襲われたことなど、なかったかのようだ。
だが、一歩路地を変えれば、どこか漂う緊張感が解る。まるで、今にも水が溢れそうになっている、コップのようだ。
水面下でなにかが起こっている。そんな気配を感じながら、唇を真一文字に結ぶ。
(出来れば、来たくはなかったけど……。僕の可愛い社員がやられたのに、動かないわけに行かないからね……)
ため息を吐き、冒険者ギルドの重い扉を開く。
依頼用カウンターに並び、ラドヴァンは受け付けに書類を提出する。受付の男が、ラドヴァンをチラリと見た。
「護衛依頼ですか? 都市内で?」
「うちの社員が通り魔にやられたので、念のためですが」
受付は「ふむ」と渋い顔をする。
依頼自体は、簡単な内容だ。都市内での依頼は、楽な部類だろう。問題は、ラドヴァンが何かを隠している。と、勘ぐられることだ。
かつてのラウカのように、暗殺の危険がある依頼であれば、受ける冒険者は少なくなる。ラドヴァンとしても、狙われたという確証がないし、大事にしたくないという想いもある。
だが、エセラインだけに頼るのは無理があるし、ゾランたちを安心させたい気持ちから、護衛を雇うことにした。
受付の渋る顔に苛立ちながら、返答を待っていた時だった。カウンター奥にある扉からやってきた大男が、受付の手にしていた依頼表を掠めとる。
「護衛依頼だ?」
「――シキ……」
長身で、引き締まった身体の大男。現役の冒険者と聞いても違和感のないその男は、ラドヴァンもよく知る人物だ。冒険者ギルドのギルドマスター。シキ・マノヒナ。かつてラドヴァンと冒険を供にした、幼馴染みである。
(まさかシキに見つかるとは……)
出来れば逢いたくなかった人物に、ラドヴァンは顔をしかめる。
「……昨晩の件でってことなら、護衛は出して良いだろう。だが――ラドヴァン、ちょっと来い」
「は――?」
執務室の方へ促すシキに、ラドヴァンは顔をしかめた。
(……でも、護衛の許可は出してくれたし……)
それに、シキは昨晩の事件も知っているようだ。私情を持ち出すべきではないと割りきって、仕方がなしに着いていく。
執務室の机に座るシキに、ラドヴァンは違和感を抱いた。剣を振るう印象しかなかったのに、今ではペンを持つことが多そうな執務室。机には書類が積み上がり、彼が忙しいのが手に取れる。
「……」
何から切り出せば良いか解らず、ラドヴァンは押し黙った。陰鬱な表情に、影がさす。
「襲撃されたのはゾランか。一応、彼も冒険者だからな」
「ああ……」
そういえば、エセラインがゾランを登録させたと言っていた。冒険者ならば、同じ冒険者を守るのは違和感がない。冒険者は相互互助だ。
「護衛は構わん。だが、期間はいつまでにする? 根本が解決しなけりゃ、なにも変わらないぞ」
「……解ってるよ。でも、まずはゾランの安全を護りたい」
「随分、買ってるな?」
皮肉なのか、シキはそう言ってクッと笑う。歪められた顔に、ムッと唇を結んだ。
「だから?」
「喧嘩腰になるな。『海鳴り』を譲ったようだから、気になっただけだ」
(そんなことまで知っているのか……)
ラドヴァンは唇を曲げる。愛用だった杖を譲ったのは、他意はない。ゾランには剣やナイフは難しかろうと、鈍器として渡しただけだ。だから、効果の説明もしなかった。
「社員だからね」
「……そうか。それで、解決のアテはあるのか?」
そう問われ、黙り込む。
発端は、『宵闇の死神』の写真だったと思う。あの写真が偽物ではないかという憶測から、クレイヨン出版社の評判が、転がるように落ちていった。
信頼を取り戻すのは難しい。真実の証明もまた、難しい。
人は、自分の信じた正義を信じるからだ。
「……ほとぼりが冷めるまで待つしか、ないだろ。僕たちに出来るのは、信頼を得ることだけだ」
「悠長な話だ」
シキの言葉に、苛立ちが募る。お前に何が解る。そう詰めたくなった。
(けど、それじゃ八つ当たりだ)
怒りをグッと堪え、言葉をのみ込む。悔しいが、シキの言っていることは間違っていない。
「……長期の護衛は難しいって話?」
「そうじゃない。……ラドヴァン」
「なに」
冷たい口調で返事してしまって、思わず手で口を覆う。シキの瞳が、哀しげに見えた。
(なん、だよ……)
ザワリ、胸がざわめく。
(僕を、パーティーから追い出したくせに)
ラドヴァンとシキが一緒に戦っていた頃、二人は最強の仲間だと信じていた。パーティーが大きくなって、仲間が増えても、それは変わらないと思っていた。
『お前をパーティーから外す』
そう言われた日を、忘れてはいない。ショックで、それ依頼、シキの元から去った。そのまま、逃げるように冒険者を辞め、出版社を立ち上げた。
スキャンダルを書いてやると、復讐心から息巻いたが、結局ラドヴァンは冒険者に関する記事を、一度も書いていない。シキと向き合うことから、逃げたのだ。
本当は、シキから何度も、話がしたいと連絡があった。だが、何も聞きたくなくて、背を向けた。
今では出版社はラドヴァンの居場所になって、後悔することはなくなったが――。
あのまま、シキの背中を追いかけていれば、何か違ったのだろうか。出版社の社長などやらずに、一緒に世界を駆け巡っていたのだろうか。
(わからない)
わからないが。ただ、モヤモヤだけが胸に残る。
「俺は、冒険者ギルドのギルドマスターだ」
「知ってるよ、そんなこと……」
なにが言いたいのか解らず、顔をしかめる。
「先に言っておくが、『宵闇の死神』については俺たちも思うところがある。アイツのせいで冒険者を何人も失い、辞めた者もいる」
「……」
辞めた冒険者というのは、テオドレとエセラインのことだ。彼らを引き抜いたことにたいしての文句ではないようだが。
「だから、テメェのとこですっぱ抜いた記事には、多少愉快な気持ちでいる」
「――」
ニマリと笑ったシキに、ラドヴァンは目を丸くした。
(こんな顔――久し振りに、見たな……)
ザワリ、胸がざわめく。これは、郷愁だろうか。
「……それで?」
「提案だ。飲む飲まないはお前に任せる。ただ、お前だから、こんな話をしてる訳じゃない。あくまでも、冒険者ギルドのギルドマスターとしての、公平な立場からの提案だ」
回りくどい。そう思いながら、シキの話を待つ。
ラドヴァンはシキの言葉に、目を見開き、呆然とシキを見つめ返した。