ゾランが、ラウカ・ハベルが記者だと知ったのは、出会いから約一年が経った頃だった。新進気鋭で切り口鋭く政治を切るラウカの記事が、ゾランの住む田舎の村にまで届いたからだ。
それまで新聞に興味のなかったゾランは、記者の名前を見たとき、驚いて抽斗にしまっていた手帳を取り出した。
ラウカ・ハベル。彼は、記者だったのだ。
それからというもの、ゾランの小遣いは新聞に消えるようになった。雑貨屋に頼んで新聞を取っておいて貰い、憧れのヒーローであるラウカの記事を、丁寧に切り抜いて保管した。
そうしているうちに、ゾランは自分も記者になりたいと思うようになったのだ。
上京してすぐに、ゾランはラウカの事務所を訪ねようとした。だが、その頃ラウカは過激な記事のせいで命を狙われており、事務所をあちこちに転々とさせていた。そして、その場所を秘匿していた。
その為、ゾランがラウカの事務所を訪ねるのは、大分経ってからのことだった。
ラウカが見つけたのは、ラウカでも、ラウカ社でもない。ヴェリテ・スクという一人の青年だった。
ヴェリテの名前を知っていたのは、ラウカの残した手帳に、その名前があったからだ。
『ヴェリテ・スクへ愛を捧げる。ともに真理を追い続けよう』
手帳の最初のページに、丁寧に綴られた言葉。ラウカの想い。
時間は掛かったが、ヴェリテを見つけることが出来た。突然訪ねたゾランを、ヴェリテは驚いていたが、迎え入れてくれた。
ヴェリテは、ラウカ社の公開されていない社員の一人で、創業メンバーだった。ラウカと志を同じくして、出版社を立てた人間だった。
「アイツに憧れただなんて、本当?」
ヴェリテは笑うと、知的で怜悧な印象から一転して、花が綻んだような雰囲気になる青年だった。活発で情熱的なラウカとは、正反対の青年だ。
手帳を返すために。記者になるために、上京したというゾランに、ヴェリテは感激し――困った顔をした。
「今は、状況が良くないんだ。危ないヤマを当ててしまってね。僕も、表だって記者の活動が出来ない状態だ」
ヴェリテの眼鏡の奥の瞳が、沈んだ色をしていた。出る杭は打たれる。そんな、簡単な問題ではなくなっている。手を出してはいけない相手に、手を出した。ゾランには解らなかったが、そう語っていた。
「それでも、記者になりたいんです!」
「ゾラン……」
なおも諦めない姿勢を見せるゾランに、ヴェリテは瞳を震わせた。
「ありがとう、ゾラン。僕たちのやって来たことが、間違っていなかったと思えるよ」
「ヴェリテさん……」
ヴェリテはここのところの、逃亡者のような生活に、精神的に参っているようだった。息を潜めるような日常は、心を壊す。ラウカとも、しばらく逢っていないらしかった。
お茶がすっかり冷めてしまった頃だった。
不意に路地裏から、ガラスの割れる音と男の怒声が響く。ヴェリテがビクリと肩を揺らした。
「っ……!」
ゾランもヴェリテも、緊張して黙り込んだ。やがて音は小さくなり、ヴェリテがほぅと息を吐く。
ヴェリテは窓の外をそっと眺め、緊張した顔でゾランを見た。
「ごめんね。こんな状況だから、今は記者を雇えない。解ってくれる?」
「……いつか、一緒に記者を出来ますか?」
「そうだね、いつか――」
そう言って、ヴェリテは唇を閉じた。なにかを、考えているようだった。長い時間だった気もするし、一瞬だったような気もする。
ヴェリテが再び、唇を開く。
「いつか、君がライターとして一人前になったら、もう一度逢いに来てくれないか」
「え……?」
どういうことだろうか。ゾランは戸惑う。
(少なくても、しばらくラウカ社でライターは募集しないだろう……)
だからといって、記者の道を諦めるのか? それは、違う。どこか別の場所でライターになることは、回り道ではないはずだ。
ゾランは小さく頷いた。
「ありがとう。約束しよう。僕から、魔法を一つ譲渡するよ」
「魔法、ですか?」
「この魔法は『ボックス』。
ヴェリテがゾランの手を取る。魔力が繋がり、魔法が継承された。
『ボックス』の魔法は、特殊な家系魔法らしい。珍しい魔法だった。
瞳を閉じて魔法を感知する。『ボックス』の魔法は堅く閉じられ、封印された状態だった。
「あの」
「持っていて。そして、いつか返してほしい。その手帳と一緒にね」
ヴェリテの手が、ゾランの手を握る。どこか切実な様子に、ゾランはただ頷くしかなかった。
裏口から帰され、ゾランはヴェリテと別れた。オルク社など、他の出版社をあたってみたが、門前払い状態だった。
何度も心が折れかけたが、『ボックス』の魔法の存在を感じると、やらなければいけないと思えた。
やがて、クレイヨン出版社に入ることが出来たゾランは、一度だけヴェリテの元を訪ねた。
ゾランが、記者として一歩を踏み出したと、報告したい気持ちがあった。
だが、訪ねた部屋から出てきたのは別人で、ヴェリテ・スクは既に、そこから居なくなっていた。