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第13話 牙をむく悪意



 テーブル席で新聞を広げながら、カフェオレを優雅に啜るエセラインが目に入って、ゾランはドキリと胸が高鳴るのを感じた。いつもと同じ風景のはずなのに、どこか違って見えるのは何故だろうか。


「お、おはよう」


「おはようゾラン。なんだ、今日は遅いな?」


「あー、ちょっと、夜更かしして……」


 苦笑いしながら、ミラにコーヒーとサンドイッチを頼んで席に座る。いつもならゾランが先に座っていて、エセラインがあとから合流する。勝手に相席するなと言っていたのに、今じゃ一緒に朝食をとるのが当たり前になっている。


「夜中までデートの行き先を考えてたのか?」


「っ、うるさいなっ。悪いかよ?」


「いや、俺もだ」


「えっ」


 思いがけない返事に、驚いて目を丸くする。ジワリ、頬が熱くなった。


 ゾランの方はこんなに気恥ずかしいのに、エセラインの方は淡々としたものだ。少し、面白くない。そう思っていると、エセラインから意外な言葉が飛び出す。


「何というか、悩みはするが、楽しくもあるな」


「――楽しい、の?」


「ああ。やっぱり、お前を喜ばせたいし、驚かせたい。そうすると、凄く大変なんだが――。なにニヤニヤしてるんだ」


「えっ? ニヤニヤしてた?」


「していた」


 呆れ顔のエセラインを前に、頬を押さえる。そんなに、ニヤニヤしていただろうか。


「ん、ん。ま、まあ、準備が楽しいのは、なんとなく解るかな」


 咳払いしながら、同意する。大変だとは思うが、楽しいのだ。時間があっという間に過ぎてしまう。


「正解が解らないから、誰かに意見聞きたくならない?」


「なるなる。自分の知識の範囲じゃ、なかなか良い場所が思い浮かばない」


 そう言い合って、ゾランとエセラインは目を見合わせてニヤリと笑った。


「需要あるね」


「ああ。間違いない。みんなが欲しかったものだ」


 この企画は、きっと上手く行く。確信して互いの手を打ち合った。


「今日の予定は?」


「八番街まで行くつもり。帰りはギリギリかなぁ」


「八番街は遠いな。俺は六番街まで行くから、合流しよう」


「でも、どのくらい掛かるか解らないよ?」


 合流しようというエセラインに、ゾランは遠慮したが、エセラインは引かなかった。


「八番街に時計塔があるだろ。そこで待ち合わせよう」


「ん、解った」





   ◆   ◆   ◆




「これ、なんだか解る? バターなのよ」


「バター? 油じゃないんですね」


 婦人の言葉にペンを走らせながら、ゾランは驚いて見せた。黄金色の澄んだ液体は、質の良い油だとばかり思っていた。婦人は笑って、バターをかき混ぜる。


「純度の高いバターだから、悪くならないのよ。これが美味しさの秘訣ねえ」


「なるほど」


 黄金の液体は、バター特有の香りはしない。それよりも、もっと香ばしいような匂いがした。


「これがお菓子の材料なんですね」


「地域によっては普通のバターを使うそうよ。でもこれの方が生地が重くならないの。パイを何層にも重ねるんだけど、とてもサクッとした軽い仕上がりになってね」


「面白いです」


 出来上がりはこうだと、ゾランは密がたっぷりかかったパイを頂く。甘さがまず来るが、奥行きのある深い味わいだ。そこにナッツとレーズンがアクセントになって、何とも言えない美味しさを引き出している。


「良質な小麦と新鮮なバター、ブドウ畑の多いカシャロならではのものね」


「美味しかったです。それに、とても勉強になりました」


 婦人に礼を言って、取材を終える。今日は一日で三ヶ所、取材に回った。どこもカシャロの南側にある、八番街周辺である。


 路地に出ると、辺りはすっかり薄暗くなっていた。夕焼けが街を赤く染めている。


(エセラインも終わったかな)


 待ち合わせ、というのは、なんだかむず痒い。ゾランの住んでいた田舎では、待ち合わせ場所なんてなかった。行く場所など村唯一の雑貨屋兼酒場か、畑か井戸。それに、誰かに聞けばすぐ、目撃情報があったものだ。


(都会の恋人たちは、やっぱりこんな風に待ち合わせするのかな)


 待ち合わせ相手がいつ来るのかソワソワしたり、人混みの中を探してみたり。そんな時間も、楽しいのかも知れない。


 エセラインは待っているだろうか。それとも、エセラインを待つのだろうか。どことなく、緊張する。


(いやいや、ルカがデートだなんて言うから……。今日はその日じゃないんだし)


 あれから、妙にエセラインを意識してしまう。


(……デートしたことないみたいに言ってたけど、本当かな)


 エセラインの顔が良いことは、ゾランも認めている。スラリとした長身に、整った鼻梁。涼やかだけど甘さのある、菫色の瞳。クセのないサラサラの髪。神様が丁寧に作ったみたいな、美形だ。放って置かれるはずがないと思うのだが、不思議なものだ。


 それに対してゾランは、凡庸だと思う。背もそれほど高くないし、バレヌ王国ではよくある赤毛。翡翠色の瞳はやや特徴的だが、顔立ちは少し子供っぽい。エセラインと並ぶと、平凡さが際立つのではないだろうか。


(そんな俺が、エセラインとデートとか……。いや、あくまで仕事だしっ……)


 気恥ずかしさを振り切るように首を振り、道を歩いた。カシャロの南側は、隣国からの移民が多いらしい。彼らの多くは、不法入国者だ。それゆえに、治安が悪化しているという。


 ゾランは裏路地から、嗅いだことのない料理の匂いがするのを感じて、視線をやった。裏路地の屋台では、異国の料理屋が増えているらしい。独特な匂いと文化が入り交じった、不思議な風景は、どこか魅力的でもあった。


(テオドレが記事にしてたっけ)


 社会面を担当しているテオドレが、移民問題について書いていたと記憶している。増える移民に対して、法の整備が追い付いていない。そんな内容だった。


(税金とか治安の問題はあるんだろうけど、お互いの文化を知れるのは良いよね)


 知らない料理も、食べてみたい。そんな風に思った、その時だった。


「お兄さん、記者さんなの?」


「え?」


 不意に話しかけられ、ゾランは足を止めた。見慣れない男だ。少し薄汚れた格好が気になった。


「さっき、ベーカリーから出てくるの見たよ。記者さんなんだろ?」


「そう……ですけど」


 なんとなく、ザラリとしたものを感じて、口ごもる。男は口許に笑みを浮かべ、手を差し出した。


「もしかして、今流行りのクレイヨン出版のひと? オレ、ファンなんだよ」


「あ、そうなんですね」


 ファン。その言葉に、ゾランは警戒を解いた。ホッとして、差し出された手を握り返そうと手を伸ばす。


 その瞬間、男が嫌な笑みを浮かべた気がして、咄嗟に手を引いた。キラリと、男の袖が光った気がした。


「っ!?」


 手が、熱い。切られたと気づいた次の瞬間、じくじくと手のひらが痛みだした。石畳にポタポタと、鮮血が落ちる。


「チッ!」


 男が舌打ちする。驚いて声も出せなかったゾランの代わりに、通りかかった女性が悲鳴を上げた。


「キャアアア! 人殺し!」


 女の声に、周囲の視線が集まる。男は顔を歪め、路地裏の方へと走り去ってしまった。


「っ……」


 手を押さえながら、ゾランは路地を睨む。追いかけるのは危険だ。


「あんた、大丈夫かっ!?」


 通行人がゾランに声をかけてくる。


「だ、大丈夫です……」


 ホッとしたが、見知らぬ人に近づかれるのは、少し怖かった。


 ザワザワと、周囲が騒がしくなる。衛兵を呼べと、怒声が飛ぶ。


「何の騒ぎ……ゾラン!」


「エセ、ライン」


 エセラインの顔を見て、ゾランはようやく緊張を解いた。途端に、ドッドっドッドと、心臓が激しく脈打つ。ぶるり、背筋が震えた。


「ゾラン、血が……!」


 エセラインが青い顔をして、ゾランの手を握った。


「だ、大丈夫。思ったより、浅かったっぽい……」


「誰にやられた?」


「わ、かんない……。知らない、男」


 エセラインがハンカチを取り出し、ゾランの傷を縛った。


「特徴は?」


「茶色の瞳に、紺碧の髪……。少し、服が汚れてた。そう言えば、俺がクレイヨン出版の記者か確認してきた」


「――雇われたか」


「雇われ……?」


 どう言うことかと、視線をさ迷わせる。


「ただの強盗じゃないってことだ。……やっぱり、迎えに行けば良かった」


「え?」


「……狙われてると、思ってた。あんな記事が出たから」


 エセラインの言葉に、動揺して唇が震える。狙われる。記事。


「記事って……、『宵闇の死神』の? どうして……」


「やっかみ、嫉妬。愉快犯。有名になったから。理由は幾らでもある。『宵闇の死神』の報復もあり得る」


「――報復……」


「俺やテオドレは、自衛出来るから……。魔法屋、付き合うって言ったのに」


「あ――…、もしかして、一人で帰らせないように、してた?」


 エセラインの無言は、肯定だと思った。今日だって、わざわざ八番街まで来てくれたのだ。


「ありがとう……。エセラインの顔見たら、安心した」


 ゾランの言葉に、エセラインは難しそうな顔をしながら、笑みを返した。










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