『クジラの寝床亭』を出て、クレイヨン出版の事務所に戻って来たゾランたちは、さっそくデスクの上にカシャロの地図を広げ始めた。
「改めて見ると、カシャロってやっぱり広いよな」
「五十万人も住んでいる大都市だからな。カシャロを隅々まで歩いたという人間は、そうそう居ないと思うぞ」
バレヌ王国の首都・カシャロは、人口五十万人を抱える大都市である。十二の区域に別れた街は、一番から十二番までの番号が割り振られており、やはり番号のついた主要道路で繋がっている。かつてはそれぞれの街に名前が着いていたのだが、時代とともに忘れ去られ、番号で呼ばれるようになったという。
かつて巨大なダンジョンだった土地の上に作られた都市は、地形を利用した貯蔵庫や地下通路が走っており、ダンジョンの痕跡を見ることが出来る。
「しかし、デート特集か。エセラインは何かアイディアあるわけ?」
「観光という意味では、ゾランの方が解るんじゃないか? 俺はカシャロ出身だから……」
「そりゃ、そうだけど。でもデートと言う定義になるとさぁ……」
曖昧に言葉を濁すゾランに、エセラインも腕を組んで考え始める。その様子に、ゾランは好奇心がムズムズと沸き上がって、つい聞いてしまった。
「お前は、どうなんだよ?」
「? 何がだ?」
「だから、デートだよ。どんなところでデートしたんだよ?」
「――」
エセラインは口を開きかけて、そのままキュッと唇を結んだ。ゾランはその様子に、「なんだよ、勿体ぶるなよ」とさらに詰め寄る。エセラインは詰め寄るゾランに顔を背ける。
「それは、マナー違反だろ」
「ええっ?」
「ゾランはどうなんだ。聞いたんだから、言えるだろ」
「いや……」
ゾランの回答に、エセラインが「ほら見ろ」と言わんばかりの顔をする。その様子に、ゾランはむぅと唇を尖らせた。
「秘密にしたくて言えないんじゃなくて、経験がなくて言えないんだよっ。意味合いが違うだろ」
「――付き合ってる相手は居ないのか?」
「どこを見て、そう思うんだよ。一番一緒にいるの、お前だぞ」
「そ、そうか……」
何故か目の下を赤くして顔を背けるエセラインに、ゾランは眉をしかめる。
「上京する前も、今も、そんな相手居ないし。お前の方はモテるだろ?」
「モテないよ」
「嘘つけ」
近所のおばさまたちに人気じゃないか。と、ゾランは鼻息を荒くする。
「嘘じゃない。アカデミー時代は勉強ばかりだったし、そんな機会もなかった。冒険者になった時はそれどころじゃなかったし……。それに、俺だって、一番一緒にいるのはお前だ。ゾラン」
「う」
そう言われ、言葉に詰まる。確かに、モテると恋愛は別問題かもしれないと、黙り込む。
「俺たち、安請け合いしすぎた?」
「まあまあ、なんとかなるさ。俺たちは記者だろ。足で稼がないと」
そう言って再び地図とにらめっこを始めたところで、外回りから帰ったらしいルカがやって来た。
「どうしたんですか? 地図なんか引っ張り出して」
「あ、ルカ」
お帰りなさいと言いながら、ゾランはため息とともに伸びをする。
「次の特集、カシャロにすることにしたんだけど」
「カシャロ? また、随分近場にしましたね。興味をもって貰えますかね?」
ルカは顎に手を当て、首をかしげる。
「クレイヨン出版社の旅行紀部が書いたとなれば、多少の注目はされると思う。だが、問題は中身だ」
「うん。中身が伴わないと、次はないってことだよね」
「ネタ切れと想われないためには、工夫が必要だ」
エセラインの言葉に、ゾランは改めて難しい特集だったかもしれないと、喉を鳴らした。
「つまり、何かアイディアがあるんですね?」
「デートスポット特集にしようと思ってる」
エセラインの言葉に、ルカは「ああ、なるほど」と手を叩いた。
「テーマを絞るのは良いアイディアだと思います。旅行に手が出なかった若い層や、近場にしか行けない事情がある人たちにも響くでしょう」
「うんうん、だよね。やっぱ、エセライン、スゴいな」
「褒めても何も出ないぞ。それで、ルカは何か意見がないか? デートに関して明るくなくてな」
ルカは「ふむ」と鼻を鳴らして、それから口にした。
「デートとはなんぞや? ですね」
「えーっと……?」
「ゾランはデートに、なにを望みますか?」
質問され、ゾランは「えっ」と言葉に詰まる。デートをしたことがないのに、急に言われても出てこない。
(デート……。デートか……)
自分がもしデートするとしたら。そう考えて、頭を捻る。
「う、うーん。俺だったら、美味しいものが好きだから、一緒にお茶したり、美味しいものを食べに行ったり……とかかな? それで、感想を言い合ったりして……」
そう考えながら、ゾランは一連のことをエセラインとしかしていないことに気づいて、気恥ずかしくなった。
(いやいや、あれはデートじゃないし)
そうすると、デートの定義とは何なのだろうか。
「俺も、食事は大事だな。あとは美術館に行くのも好きだ」
「そうなんだ」
ゾランは(なるほど)と感心する。エセラインの家は商家で、希少品を扱っていたらしい。それもあって、美術品や宝石などを見るのが好きなのかも知れない。
何事もなかったなら、エセラインはきっと、商人として働いていたに違いない。
「そうです。つまりデートというのは、体験の共有です」
「体験の共有?」
「美味しい、美しい、楽しいといった感情の共有。価値観の擦り合わせ。そういったことが、デートの定義でしょう。一緒に行って楽しいと思えない相手とは、過ごせませんから」
「な、なるほど……」
ルカの言うことは、なかなか深い話だったが、ゾランにもなんとなく、デートの何が楽しいのかが理解できてきた気がする。
エセラインのいう美術館が好きだという情報も、どんな絵画が好きなのかという話も、お互いの感覚や認識の擦り合わせ、体験の共有なのだろう。
(考えてみれば、エセラインが好きなことってあんまり知らないし)
朝一番はカフェオレを飲むこと。元冒険者だということ。意外に優しいこと、頼りになること。たくさん知っていることが増えた気がしていたが、美術館が好きなのは知らなかった。
ゾランは美術館に行ったことは一度もない。
「互いを知り、同じことを体験するのは、親しくなるのに必要な経験だと思います。ですが、長く過ごすとどんなに仲の良い人同士でも、新鮮さが失われるのは事実でしょうね」
「そっかあ……」
変わらない日々を過ごすような、穏やかな日々も良いものだ。けれど、季節の変わり目や記念日など、特別な日を大切にすることで、刺激のない日々でも楽しくやれるのだと、ゾランは思う。両親は仲が良かったが、特別な日はちゃんと、特別なことをしていた。それが、工夫だったのだろう。
「もちろん、価値観の押し付けはダメですけどね。提案という意味では、良い企画なんじゃないでしょうか」
「うん。ルカの言いたいこと、解る。頑張ってやってみるよ!」
気持ちを引き締めたところで、ルカが人の悪い笑みを浮かべた。
「手っ取り早い方法が、あると言えばありますよ?」
「なに? そんな方法が?」
ルカの提案に、エセラインも興味を向ける。ゾランもつい、身を乗り出した。
「なになに?」
手っ取り早い方法なんて、聞いてしまったら教えて貰わないわけには行かない。なにしろ、ゾランもエセラインも、デートのことは良く解っていない。
ルカがクスクス笑いながら、人差し指を立てた。
「ゾラン、エセライン。あなたたち二人で、デートしてきなさい」
「「は?」」
ルカの提案に、ゾランとエセラインはポカンとして、それから目を合わせて顔を赤くした。