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第10話 ミラの悩み


 ランチの忙しい時間を避けて、ゾランとエセラインは『クジラの寝床亭』を訪れた。ランチタイムの営業が終わり、人が一番少なくなる時間帯だ。急に訪れたゾランたちに、ミラは目を丸くする。


「どうしたんだい? 何かあったのかい?」


「ミラと話したくて。最近忙しそうで、時間も取れなかったから」


 そう言ってゾランたちは店内の丸テーブルに座り、ミラにも座席を促す。エセラインが紙袋を開けて、テイクアウトのコーヒーを差し入れする。


「せっかくだから、仕事モードは抜きにして」


「あら。なんだか悪いわね」


 そう言いながら座るミラは、なんだか嬉しそうだ。ゾランがクレイヨン出版に就職して以降、このダイナーはミラが一人で切り盛りしている。休む暇がないのは見ていても良く分かった。


「誰か雇ったりしないの? ミラ、忙しそう」


「そうね。いい出会いがあれば、考えるんだけど」


 コーヒーに唇をつけながら、ミラはホゥと息を吐く。近くのスタンドのコーヒーは、値段の割に良い豆を使っているらしく、薫り高く深みがある。


「……もし、下宿させるんだったら、俺出ていくからね」


「いやだゾラン。そんな気を遣わないで」


「でも……」


 ゾランの下宿は、ダイナーで働くことが前提だったと思う。それを、未だに好意で住まわせて貰っているのだから、ミラにとっては迷惑かも知れない。もちろん、そんなことはないというのは解っている。


 押し問答しそうな勢いの二人に、エセラインが横から声をかける。


「まあ、ゾランだってもっと生活が安定すれば、引っ越しするだろ。前からキッチンが欲しいって言ってたし」


「まあ――そうだけど」


「ああ、そう言えば、そんなこと言ってたわね」


 だから、それまでは世話になったら良い。と、エセラインが続ける。それならばミラもゾランもなんの問題もないわけなので、「そうだね」と頷き合った。


「ところで、二人とも仕事の途中でしょう? 大丈夫なの?」


「ちゃんと許可取ってるし、それより友達が元気ない方が、問題じゃん。何かあったの?」


 その言葉に、ミラは罰が悪そうに笑って「いやだわ」と首を振る。


「もしかして、心配掛けちゃったの? 大したことじゃないのに」


「ミラのことは、俺にとっては重要。家族みたいなものだし」


「俺にとっても、このダイナーは居心地が良いから」


「二人とも……。でも、本当に大したことじゃないの」


 ミラは困ったように笑った。


「大した事ないなら、それならその方が良いけど」


「まあ、なんにせよ話してみたらどうだ? 大したことかはともかく、何か悩みはあるんだろう?」


 エセラインが促すと、ミラは躊躇いながらようやく唇を開いた。


「……マルガリータのことよ」


「マルガリータの?」


 マルガリータはミラの恋人である。ゾランが『クジラの寝床亭』で働く以前より恋人同士で、ずっと仲の良い二人だ。彼女は普段、近くの花屋で働いている。


「ケンカ――というわけではなさそうだな?」


「ええ。ちゃんと仲良しよ。でも、もう十年も付き合ってるから。色々あるのよ。愛情は変わっていないつもりだけどね」


 ミラはそう言って、深いため息を吐いた。どうやら、マルガリータのことで悩んでいるというのは本当らしい。ゾランはホッとしたものの、相談に乗れるかどうかの自信が少しなくなった。今年二十一になるゾランだったが、故郷に居た時も、カシャロに来たときも、色恋とは無縁の生活をしていた。


 ゾランが何から話したら良いのか解らず、唇をもごもごさせていると、エセラインが「ああ」と頷いた。


「なんだ。マンネリなのか」


「そういうこと」


 肩を竦めるミラに、ゾランは「どういうこと?」とエセラインの方を見る。どうやら、エセラインには伝わったらしい。


「長く一緒に居ると、仲が良くても新鮮さが失われるだろ。ミラはそれに悩んでるんだよ」


「え。そうなの?」


 二人で居る時の雰囲気はとても良いので、そんなことに悩んでいるとは意外だった。


「そうなの。来月あの子の誕生日なんだけど。付き合って十年目の誕生日だし、やっぱり特別なものにしたいじゃない? でも、十年も過ごしていると、新しいことというのも難しいのよね」


「な、なるほど……」


 ハァとため息を吐くミラに、ゾランは曖昧に頷いた。どうやら、彼女の悩みは大きな問題ではあるものの、緊迫したものではなかったようだ。そのことに、少しだけホッとする。


「最近流行の旅行でも出来れば良かったんでしょうけど。私もマルガリータもお店があるし……」


 クスリ、ミラがゾランを見て笑う。ゾランの旅行記を一番に応援してくれているのは、ミラだろう。クレイヨン出版の新聞をわざわざおいてくれているし、来た客に必ずゾランの記事をお勧めしてくれる。ミラはゾランの、カシャロでの姉であり、母である。


「なるほどな。それなら、俺たちが力になれるかも知れないぞ」


「「え?」」


 ミラと同時に、ゾランも首を傾げる。ゾランには何のことかさっぱりわからなかった。


「おいエセライン、力になれるって、どういうことだよ?」


「流行の旅行をプレゼントするんだよ」


 きっぱりとそう言い切るエセラインに、ミラが戸惑った様子で首を振る。


「エセライン、ありがたいけど、私は店を開けるつもりは……」


「別に、遠くに行くことだけが旅行じゃない」


「それって……」


 困惑するミラに、ゾランもピンと来て机を叩いた。


「ああ! そうか。カシャロを特集するんだな?」


「そういうことだ」


 意図を理解したゾランに、エセラインは得意げに笑った。


(そうか。灯台下暗しってやつだな。カシャロを特集すれば良かったんだ)


 行き詰っていた次の旅行記の候補地。敢えてカシャロを特集しようというのだ。ゾランはエセラインの発想の柔軟さに、舌を巻く。


「任せてミラ! カシャロ、デートスポット特集! 絶対にミラたちが知らないような、穴場を探してくるから!」


「地元カシャロと言っても、最近はリオン王国の文化が入ってきたりと、様変わりした地域もある。忙しい二人なら知らない場所もあるだろう。何しろ、カシャロは広いからな」


「二人とも……」


 戸惑う様子のミラに、エセラインが「そうそう」と思い出したように口にする。


「俺たちも、次の旅行記をどうするか行き詰っていたところだったんだ」


「そう、なの?」


 遠慮がちなミラの心情を察して、ゾランも頷く。ミラの為だと言えば、ミラは遠慮するだろう。だが、そうではない。そればかりの話じゃないのだ。


「そうだよ。ミラには是非、新しい旅行記が出たら他の人みたいに、俺たちの作った旅行記を片手にデートして欲しいな」


 ゾランがそう言うと、ミラはようやく笑って頷いた。


「じゃあ、楽しみにしていなきゃね」


「ああ」


「任せて!」








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