「うわー、美味しそう!」
「複雑な味がするのに、随分澄んだスープだ」
一口食べてそう感想を言うエセラインに続いて、ゾランもスープを啜る。あっさりとした口当たりのスープだが、奥深い味わいがある。見た目はさっぱりしているのに、かなり濃厚だ。一緒にヌードルを啜ると、スープが絡んでたまらなく美味しい。付け合わせらしい玉子と、煮込んだ肉もかなり美味しかった。
「リオン王国の料理って食べたことなかったけど、美味しいんだ。この調味料もすごいね」
「醤というらしいな。これでもヌードルは庶民の味らしいぞ。宮廷料理はもっと凄いらしい」
「うわー、リオン王国、行ってみたいかも」
「情勢が悪くなければな……」
エセラインの言葉に、「そうかー」と残念な気分になる。リオン王国は今、情勢が不安定だ。隣国から移り住む者がいるのも、そう言う理由からだろう。このヌードルも、そういう事情があってやって来た人間から伝わった料理が、バレヌ王国風にアレンジされて提供されているのだ。異文化交流は良いものだと思うが、その事情まで考えると複雑な気持ちもある。
「いずれ、国外旅行も出来るようになると良いよね」
「そうだな。そのくらい、治安が良くなって、国交があると安心だ」
そのためには、どうすれば良いのだろうかとゾランは思う。国同士のことだから、関係のないことだろうか。そうではない気がする。だが、出来ることとは何だろうか。
(俺は、記者、だよな)
ゾランはずっと生活欄の記事を書いてきた。今食べているヌードルやリオン王国の情勢は、果たして生活欄とは無関係だっただろうか? 脂の浮かぶスープをかき混ぜながら、そう思う。
(一面とか、エセラインに勝つとか、そういうことにこだわり過ぎていたのかも)
物事を見る力が、足りていなかったように思える。そしてゾランがそう思えるようになったのは、その力が付いた――成長したという事だろう。ではなぜ、成長したのだろうか。
ゾランは目の前で品よくスープを啜るエセラインを見る。伏せられた長いまつ毛から覗く菫色の瞳が、店内の明かりに照らされてぼんやりと光っている。
エセラインを、嫌っていた――わけではなかったが、それに近い感情を持っていた。なにがきっかけだったのか、今となっては思い出せないが、先に手を差し出したのはエセラインだったように思える。お高く止まっていて、ゾランの書く記事など興味がないと思っていたが、そうではなかった。旅行記を提案してくれたのもエセラインだ。
エセラインと関わるようになって、カシャロに住んで初めて、街の外へ出た。苦手だったテオドレと普通に話せるようになった。冒険者にもなった。危険な目にも遭ったけれど、いつでも助けてくれた。
ゾランの視線に気づいたのか、エセラインが顔を上げる。
「どうした?」
「う、ううん。何でもない」
慌てて視線をヌードルの入った器の方へと向ける。じっと見ていたことが、急に気恥ずかしくなった。トクトクと心臓が鳴る。胸がざわざわとざわめいて、なんだか落ち着かない。
(俺、エセラインに助けられてばっかりだ……)
「そ、そう言えば、エセラインの方は記事は順調なワケ? 旅行記の方も大事だけど、そっちに支障が出たらマズいしさ」
「ああ。今はガウリロ戦士団の方も遠征していないしな。この前は近郊の農村でCランクのモンスターが出て、その討伐に行ったところだ」
「Cランクモンスター? この近くに出たってこと?」
「リオン王国の内紛の影響で、モンスターがバレヌ王国側に流れているらしい。冒険者ギルドの方でも通達が出ていた」
「そうだったんだ……」
戦争がきっかけで、モンスターが移動するというのを、ゾランは初めて知った。ギルドが定期的に冒険者を派遣しているため、大きい被害はないようだが、ゾランにとっても身近な問題だ。以前取材した村や畑は大丈夫だろうかと、無意識に考える。
(あ、そうか……。これも、生活欄と無関係じゃないんだ……)
全ては地続きでつながっている。そんなことも解っていなかった、視野の狭い人間だったのだと、改めて愕然とする。
この世に、無関係なことなんかない。それを、ゾランは知らなかった。では、ゾランだけだろうか? もしかしたらゾランのように、自分の身の回りのことで精いっぱいで、それを解らない人も居るかも知れない。ならば、伝えることは出来ないだろうか。ゾランはライターだ。『伝える』ことこそ、ゾランの仕事ではないのか。
実体験を通じて伝えるのは、きっと無駄ではない。そして関心を持つことは、きっと何かの役に立つ。『宵闇の死神』のことだって、知らなかったからこそ、遠い存在だった。けれど今は、以前よりももっと身近に感じている。姿を捕らえたことばかりではない。『宵闇の死神』はエセラインの家族を奪い、テオドレの仲間と足を奪った。ぼやけた輪郭をしていた怪人は、情報によって肉付けされ、生身の人間を浮き彫りにした。
そしてその正体を暴き、知らしめることこそ、クレイヨン出版に所属するライターたちの役目ではないのだろうか。
「……エセライン、俺、もっとライターの仕事、頑張る」
「急に、どうした?」
「急じゃないし!」
せっかく決意を新たにしたのに。と、鼻息を荒くするゾランに、エセラインは「すまん、すまん」と苦笑する。
「でも、そうだな。俺ももっと、頑張ろう。旅行記の方もな。楽しみにしている人も多いみたいだし」
「そうだね! 早いところ次の旅行記も作らないと。マルコにだけは負けたくないし!」
「それは当然だな」
二人意見を合わせながら、次の旅行記についてアイディアを出していく。森か、山か、湖か。街か、荒野か、牧場か。話題は尽きることなく、二人は長いこと話し込んでいた。