事務所の階段を上って、扉の前にたどり着いたところで、テオドレと出くわす。テオドレの方も取材帰りだったようだ。テオドレは「おう」と片手をあげ、扉に手をかける。
「テオドレも、今帰り?」
「ああ。ホットドック屋のオヤジに捕まった。ったく、話がながくて……」
「ははっ。テオドレでも、回避できないんだ」
ゾランも良く知るホットドック屋台の親父は、話し好きで有名だ。ちょっと話しかけられたかと思うとあちこちに話が飛ぶので、なかなか話が終わらない。テオドレに苦手意識のあったゾランだったが、ソングリエでの一件以来、その感情は薄れたような気がする。足のことや彼の事情を知ったということもあるが、存外、根は真面目だということも解って来た。取材態度や領収書の扱いは適当だが、記者としての仕事ぶりは見習うべきところも多いと、ゾランは思っている。特に取材メモは細かく、良く調べているのが解る。
二人そろって事務所に入る。室内にはデスクで作業をするエセラインの姿と、来客用のテーブルを拭くルカの姿があった。ラドヴァンは不在だ。外出して、そのまま直帰らしい。
「ただいまー」
「おかえりなさい、ゾラン。テオドレも」
「遅かったな」
エセラインが執筆の手を止め、顔を上げる。鞄をデスクに置きながら、ゾランは「マルコに会って来たんだ」と返した。エセラインの眉がピクリと動くのを見て、思わず笑ってしまう。やはり、マルコのことは気に入っていないらしい。
「実はラウカにも逢ってさ、自衛したほうが良いってアドバイス貰って」
「――…。まあ、当然だな」
エセラインはそう言いながら、「なんでそれでマルコが出て来るんだ?」という顔だ。ゾランは苦笑する。ゾランは考えに至らなかったが、エセラインはそう思っていなかったというのが、なんとなく滲んだ。言ってくれたら良かったのにと思いながら、言えばゾランが過剰に怖がると思って言わなかったのだと、なんとなく察する。そういう意味では、ラウカから言われたのは丁度良かったのかも知れない。
「自衛の手段を聞いてきたんだよ」
「あいつに? なんで俺に聞かないんだ」
ムッとした様子でエセラインが顔を顰めた。向かいに座っていたテオドレが、笑いながら冷やかすように割り込んでくる。
「なんだエセライン。嫉妬か?」
エセラインはテオドレの方をチラリとみたが、無視することにしたようだ。エセラインは無言で視線を戻す。相手にされず、テオドレは肩を竦めた。ルカが「揶揄うから」と苦言する。ゾランはおかしくて笑ってしまった。
「エセラインにも聞こうと思ったけど、やっぱり
ゾランは自分が普通だと思っているが、エセラインやテオドレも同じだとは思っていない。特に戦うとなったら、雲泥の差があるはずだ。ゾランの言葉に共感したのか、ルカが「ああ、そうですね」と頷く。
「エセラインはランク4魔法使いですし、テオドレも怪我があるとはいえ、それなりに優秀な冒険者だったんですものね。確かに、参考にはならないですね」
「だよね。まあ、それで威嚇用の魔法は買った方が良いって話にはなったからさ。あとで付き合ってよ」
「……もちろん」
エセラインはまだ納得していないようだったが、付き合うという言葉には素直に頷いた。これで、当面の問題は解決だ。
「――まだ、仕事していくのか?」
「ううん。事務所に寄っただけ。記事は明日から纏めるつもり」
問いかけられ、そう答える。エセラインはそれを聞くと、ファイルを閉じて片づけを始める。エセラインも帰ることにしたようだ。
「じゃあ、二番街にあるヌードルの店に行かないか?」
「へえ、行ったことない。良いね」
ヌードルはリオン王国の麺料理で、動物ベースのスープや魚介類のスープが特徴の店だ。本場では麺を楽しむらしいが、バレヌ王国ではスープ料理として広がっている。気になっていたがなかなか行く機会がなかった店だ。
立ち上がって鞄を斜に掛けながら、メモ書きを拡げるテオドレを見る。
「テオドレはどうする?」
「オレはまだ残ってくぜ。二人で行ってきな」
「そっか、残念」
ルカも残るようなので、今日もエセラインと二人きりだ。
(最近、多いような?)
以前は一人で帰ることが多かったが、ここのところエセラインに誘われることが多い気がする。先日もわざわざ探しに来てまで一緒に食事をした。微かな違和感を覚えたが、あまり気にすることでもないかと頭の隅に追いやって、ゾランはエセラインとともにクレイヨン出版を後にしたのだった。