(昨日は結局、ミラに話を聞けなかったな……)
石畳の道を歩きながら、ゾランはフゥと息を吐く。昨晩はマルガリータが来ていたこともあって、話を切り出すことが出来なかった。彼女のお陰か、ミラも元気に見えたが、一応話は聞いておきたい気がする。何もないのなら、それで良いのだ。
(まあ、エセラインも心配してたし、アイツに予定を聞いてからかな)
そう思って、エセラインが『ああ、確かに。そうだな。じゃあ、そうしてくれ』と言っていたのを思い出す。『そうしてくれ』というのは、どういう意味だったのだろうか。事務所に寄れという意味だろうか。
「うーん、聞いておくんだった……」
取り敢えず、事務所によれば問題ないか。と思い、道を行く。生活欄の記事ネタは、歩いていると遭遇する。大抵は日々に寄り添った行事や文化にまつわるものや、季節の定番品の紹介、評判の店などを話題にする。小さな新聞社の小さな記事でも、見た人は店に行ったりしてくれるらしく、記事にした店から声をかけられることも多い。そうやって、ゾランの知り合いは増えていく。
(あ、そう言えば五番通りにあるミートパイの店、取材したいんだよな。後で取材前に一度、食べに行ってみよう)
今日の夕飯はミートパイかな、と思いながら路地に差し掛かった時だった。
「あれ?」
呼び声に、足を止める。振り返ってゾランは、ドキリとして目を見開いた。長い赤い髪が風に舞う。白い染色した革のコートを着た、長身の男だ。
「ラ、ラウカっ……」
憧れを前に、ゾランはついしどろもどろになる。ラウカは自分を見ていて、一瞬勘違いかと思ったが、やはり視線はこちらに向いている。
「えっと、確かクレイヨン出版の――ゾラン。だったかな」
「はっ、はい! 覚えていてくれたんですね」
名前を憶えていてもらったことに、感激して目を輝かせる。ラウカは苦笑して見せた。
「新聞、見たよ。『宵闇の死神』――」
「あ――。はい。運が良かったというか、悪かったというか……」
はは、と笑って、ゾランは頬を掻いた。写真に捉えたのは運が良かったかも知れないが、遭遇したことは不運だった。だが、生き残れたのだからやはり幸運だったのだろうか。ゾランは自問する。一歩間違えば、ゾランどころかエセラインとテオドレの二人だって危なかった。
「そういうの、『悪運が強い』って言うんだろうね。記者としては、天性の才能かも知れないよ」
「そう言われると、そうかも知れないですね。まあ、危ないのはこりごりなんですけど……」
「ははは。記者なんて、恨まれて何ぼのところもあるからね。真実も、誰かにとっては秘密だったりする。それを明らかにすれば、面白くない奴も出て来るさ」
「……そう、ですね。身を守れるようにします」
ラウカは事実、命を狙われる。表立っての襲撃は減ったようだが、裏では今でも狙われているのかも知れない。ラウカの腰のホルスターには、短銃が納められている。
フッと笑いながら、ラウカがゾランの胸を拳で軽く叩いた。
「そう。そうしないと、『宵闇の死神』の顔を見た君を、『宵闇の死神』は殺しに来るかもしれない」
「――っ……!」
ラウカの黄金の瞳が、妖しくギラついた。ぞくりと背筋を粟立て、ゾランは慌てて首を振る。
「ちょっ、怖がらせないでくださいよっ!」
「はっはっは。怖がるくらいで丁度いいだろう。『海鳴り』も振り回すんじゃ勿体ない。ラドヴァンに使い方を聞くと良いよ」
ラウカはそう言うと、片手をあげてコートを翻す。ゾランはろくに挨拶も出来ないまま、ラウカの後姿を見送った。
「……行っちゃった」
路地に取り残され、ゾランは掌を見つめる。この前は、助かった。全員生き残っている。けれど、今度もそうとは限らない。
ゾランが目指す先がラウカならば、安全な場所で誰からも恨まれない記事だけを書く記者ではないだろう。そうなれば、やはり自衛出来るだけの手段を持っていないのは不安かも知れない。
「それにしても、『海鳴り』の使い方……? 社長、殴っても良いとしか言ってなかったけど……」
もしかして、何か特別な使い方でもあるのだろうか? と首を捻る。そもそも、杖に名前が付いているのも聞いていない。ラドヴァンが元冒険者で、所属していたクランから追放されたことは聞いているが――。
「考えても仕方ないか。あとで社長に聞こう。それで、自衛の手段については、エセラインかテオドレに相談すれば良いかな」
唸りながら頭を捻る。考えてみれば、ゾランは街に顔見知りは多いが、何かを相談できる友人は少ない。エセラインやテオドレたちは頼りになるが、友人である前に同僚だ。
(あれ、俺、友達少ない……?)
上京してから仕事周りにしか、友人が居ない。社会に出てしまえばそんなものかも知れないが、気づいてしまえば少し哀しい気分になる。
「あとは――」
思い出した人物に、ムッと顔を顰める。アレは、友人と言って良いのだろうか。何だかんだやり取りしているし、何度か成り行きで飯を食ったことのある仲ではあるが、仲が良いとは言いにくい。強いて言うなら悪友。正しく言うなら同業者。
「……まあ、一応、聞くだけ聞いてみるか」
モヒカン頭の男を思い出し、ゾランはハァとため息を吐いた。