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第4話 バターと蜂蜜がたっぷりのクルミケーキ



 エセラインとの食事は、思いのほか会話が弾んだ。最初は仕事の話ばかりだったのが、休日なにをしているかとか、どこの店が美味しいだとか、そういう他愛のない会話になった。考えてみれば、上京してからというもの、友人らしい友人のいなかったゾランは、こうして誰かと食事を楽しむことは少なかったように思う。日々、忙しさの中で一人食事をすることだけが楽しみのような生活をしていた気がする。


「三番通りの『赤い屋根』って店のシチューが美味いんだ。カシャロでもう五十年もやっている店で」


「へぇ、行ったことないな。三番通りにそんな店あったんだ」


 食事の余韻を楽しみながら、石畳の道を歩く。パリパリに焼いたチキンも、料理に合う赤ワインも、チーズも美味しかった。会話が弾んだおかげで、いつもよりワインがはかどってしまった。


「エセラインって、俺のこと食いしん坊だとか言うけど、自分も結構あちこちお店知ってるよね」


「まあ、一人暮らしだとどうしてもな」


 一緒に食事をしていると思うが、エセラインも案外グルメだ。食べることは嫌いではないようで、料理の話は弾むし、食材に関しての知識もある。店にも詳しい。


「自炊はしないの?」


「アパートにキッチンはあるんだけどな。本当にたまにしか」


「えー、良いな、キッチン! 俺だったら絶対、自炊するな」


 ゾランは料理もする方だ。母親の手伝いもしていたので基本的なことは出来るし、簡単なものならお菓子も作れる。下宿している部屋にはキッチンがないので、ゾランは必然的に外で食事を済ませていた。外食も好きだが、自分で作ることも好きだ。キッチンのある部屋に移るのは、ゾランの目標でもある。


「なあ、エセラインのアパートって、家賃はどのくらい?」


「ん? 月六万バレヌってとこだな」


「あー、それなら、何とか? なるほど。そういう物件もあるのか」


「その代わり、築年数は古いし、すきま風が酷い」


「あはは」


 今の下宿先の金額が、水道代込みで月三万五千バレヌだ。キッチン付きの部屋はもっと高いと思っていたが、思ったよりも手が届きそうな気がして来た。最近は新聞の売り上げも上がってきているし、先日は臨時収入もあった。しっかり貯金をして、引っ越し資金を貯めなければと、気持ちを新たにする。


「うん。まずは貯金。社長、ベースアップしてくれないかなぁ」


「それを希望するなら、まずは俺らが良い記事を書かないとな」


「確かにー」


 返事しながら、ゾランは石畳につま先を引っ掻けた。足元がふらつくのを、エセラインが腕を掴んで止める。


「わ」


「っと……」


「ごめん。飲みすぎたかな」


「気をつけろ」


 足元をよく見れば、靴ひもが解けかけている。直そうと手を伸ばそうとするのより早く、エセラインが跪いて靴ひもを結びなおし始めた。金色のつむじを見下ろして、ゾランは驚いて声をあげる。


「ちょ、エセラインっ」


「転ばれるより良い」


「そんな簡単に転ばないよ」


「酔っぱらいは大体そう言う。この石畳で、何人の酔っぱらいが歯を折ってきたと思う?」


「うー……」


 確かに、田舎の舗装されていない土がむき出しの道と違って、カシャロの街に敷かれているのは硬い石畳だ。歯を折るのを想像して、ゾクリと背筋を震わせる。


「ホラ、出来た」


「ありがとう」


 つま先をトントンと鳴らし、靴を確認する。問題ないようだ。ゾランを見守るように見つめるエセラインの視線に気づいて、気恥ずかしくなって目を逸らす。何故そんな目をしているのか、解らない。


「は、早いところ『クジラの寝床亭』に行こう。もうそろそろ、店も落ち着いてるだろうし」


「そうだな」




 ◆   ◆   ◆




『クジラの寝床亭』に着く。店から客が出るのと入れ替わりに店内に入ったゾランは、店内を見回した。客は殆どはけており、賑やかな時間は終わったようだ。ミラの話を聞く準備は出来たとばかりに、カウンターに近づいて、ゾランは「あ」と思わず声を漏らした。


 ゾランの声に気が付いて、ミラとカウンター越しに談笑していた女性が振り返った。


「ああ、ゾラン。お帰り。エセラインも来たのかい。もう火落としちゃったんだけど……」


「大丈夫。食べて来たから。お茶でもと思ったんだけど――」


 そう言いながら女性の方をチラリと見る。カールした赤毛を腰まで伸ばした、華やかな印象のする女性。ミラの恋人である、マルガリータだ。普段は花屋で働いているチャーミングな女性だった。


「あら。クルミケーキじゃない。私それ、大好き」


 マルガリータがそう言うのを、ミラはニコニコ顔で見つめる。甘い表情に、ゾランはなんとなく当てられている気になる。


(これは、話を聞く雰囲気じゃないな……)


 ゾランは苦笑して、ミラに手土産のケーキを手渡した。


「ありがとう、ゾラン。エセライン。じゃあ、私はケーキをカットしようかね」


「俺がコーヒー淹れるよミラ」


 ごく自然にカウンターの中に入り、コーヒーの準備をする。キッチンに立つミラとゾランを、マルガリータが優しい瞳で見つめる。


「ゾランがカウンターに居るの、懐かしいわね」


「懐かしい?」


 カウンターに座りながら、エセラインが首を傾げる。マルガリータはグラスに入った赤ワインを傾けながら頷く。


「ええ。元々、ゾランはここで働いていたのよ。ラウカ出版に入るんだ! って言って、仕事が決まるまでの間ね」


 マルガリータは懐かしそうに眼を細め、クスクスと笑う。お酒が入っているせいで、口が軽くなっているのだろう。ゾランは昔話は少し気恥ずかしかったが、あの当時の想い出は良い経験だったと思っている。上京して右も左も解らない子供だったゾランを助けてくれたミラとマルガリータには、感謝してもしきれない。


「五年くらいね。上京して、お金もなかったし……。ミラに拾ってもらわなかったら、野垂れ死にしてたかも」


「大げさねえ」


「大げさじゃないよ」


 あの当時のゾランはお金もなかったし、生活力もなかった。見知らぬ少年を下宿させるのは、女性には勇気が必要だったと思う。ダイナーで働いたことで、街にもすぐに馴染めたし、生活欄の記事を書くための下地が出来上がったと思う。ミラは顔が広く、マルガリータはとても親切だった。


「それで、ラウカ出版には行かなかったのか?」


 エセラインの言葉に、ゾランはカップを並べながら唇を曲げた。


「行ったよ! もちろん。でもあの時、何か事件関係でゴタゴタしてたみたいでさ。ラウカ出版も設立したばっかりで、過激な記事のせいで狙われたりとかあったみたいだし……」


「ああ――確かに、あったな。ボヤ騒ぎやら襲撃やら、あったと聞いているな」


 ラウカ出版は設立からずっと、政治家や冒険者の汚職や、舞台女優のスキャンダルなど、過激な記事を扱っている。地方の問題も多く取り上げ、災害や疫病などの問題にも切り込み、政府の対応の遅さを批判するなど、攻撃的な記事が多かった。読者にとって痛快なその記事は、当然、書かれた側にとっては面白くない。ラウカ出版には脅迫や嫌がらせが相次ぎ、ラウカ出版の入ったビルはボヤ騒ぎや襲撃などで、度々移転した。それだけ、ラウカ出版の影響は大きかったのだ。


 結局、ラウカがランク5魔法使いということが公になり、襲撃者を返り討ちにしたこと。ラウカ出版を狙う情報にラウカが多額の懸賞金を掛けたことで、動きは終息した。


「ケガ人も出て、大変だったみたいよ? ラウカ出版に入っていると狙われるって噂もあったから、私たちもゾランに考えなおしたら? って何度も言ったんだもの」


「結局、入れなかったんだけどね……」


 そう言ってコーヒーを淹れ、カップをカウンターに置く。ミラも薄切りにしたケーキを手に、カウンターの方へと回った。


「カシャロ社とか、オルク社には行かなかったのか?」


「書類審査で落ちた。アカデミー出身じゃないと、門前払いっぽい……。俺はクレイヨン出版のことは知らなかったんだ。村にはブロック紙は来ないし。ミラがね、新しく取った新聞社で、従業員がいなくなるからライター募集してるって、教えてくれて」


「なるほど。それで、クレイヨン出版に」


「そ。だから、ミラは恩人なんだ」


 エセラインの隣に腰かけ、ケーキを口に運ぶ。ずっしりとしたケーキは、バターと蜂蜜の風味が強く、ローストしたアーモンドが良いアクセントとなっている。


「んーっ、美味しいっ」


「ゾランは本当、美味そうに食うよな」


 横で柔らかな笑みを浮かべるエセラインに気づいて、グッと喉に詰まらせる。慌ててコーヒーに手を伸ばし、ハァと息を吐いた。


「なんだよ、もう。食いづらいだろ」


「悪い。つい」


 その様子を見ていたマルガリータが、ニマニマと唇を緩める。


「なあに? 二人とも付き合ってるの?」


 その言葉に、今度はエセラインがコーヒー吹き出しそうになる。ゾランは慌てて首を振った。


「なに言ってんの! 同僚だからっ!」


「……」


 エセラインは無言で口元をハンカチで拭っている。何を言い出すのだと顔を赤くするゾランに、ミラとマルガリータはクスクスと笑っていた。








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