目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第2話 スクープの噂は



「おはようございます」


「おはようございますーっ」


 クレイヨン出版社の扉を開き、ゾランとエセラインは大声で挨拶をする。室内には既に、社長のラドヴァンとルカがいて、顔を上げて返事をした。


 クレイヨン出版の入っているビルは、一階が雑貨屋、二階にクレイヨン出版の事務所が入る小さな雑居ビルだ。レンガ造りの小さな建物で、キッチンと小さなシャワー、仮眠室もある。シャワーの水量が安定しないのがイマイチだが、窓からはカシャロの街が見渡せて、ゾランはこの場所が気に入っている。


「おはよう、エセライン、ゾラン」


 ルカはコーヒーの準備をしながら、ラドヴァンは原稿のチェック作業をしながらだ。いつも陰気な雰囲気のラドヴァンは、今日も目の下に隈を作っている。


「オルク社の後追い記事見ました? 話題になっているって、実感しますね」


 席に着きながら、ゾランは今朝みた新聞の記事を話題にする。ラドヴァンの席の前に、四つ机が並んでおり、窓側の席がゾランの席だ。隣にエセラインが腰かける。


 エセラインの向かいはルカ。ゾランの向かいはライターであり、先輩のテオドレの席だ。社員は全員で五人しかいない、小さな出版社。これが、クレイヨン出版社である。主な仕事は新聞記事の作成。ゾランはライターだ。営業などの仕事はラドヴァンとルカが行っている。人手は足りていないが、小さな出版社ではこれで精一杯なのだ。


「カシャロ社の方からも、あの写真について問い合わせが来てるんですよ。まあ、こちらは慎重なようですけど」


 コーヒーを各人のテーブルに配りながら、ルカがそう言う。カシャロ社はバレヌ王国で最も権威があり、古くからある新聞社である。全国紙はカシャロ社とオルク社の二社しかない。クレイヨン出版はいわゆるタブロイド紙というやつだ。


 ラドヴァンがコーヒーを啜りながら頷く。


「写真の真偽については、色々言われているようだね。でも、本物なことは間違いないからね」


「はい」


 写真の真偽――ねつ造ではないのか。というのは、新聞を発行してしばらくしてから、囁かれ始めた。あまりにも至近距離での撮影だったことや、記事に関わったクレイヨン出版社の三人のライターに、犠牲者が出ていなかったから、そういう憶測が出たようだ。


 ゾランとしては少し面白くはないが、写真そのものが、そもそも偶然撮れた産物に過ぎなかったため、そこまで憤慨はしていない。それよりも、『宵闇の死神』を間近に見たことの恐怖心や、生き残れた幸運のほうが、先に立つ。


 話題を切り替えるように、ラドヴァンがニコリと笑みを浮かべた。


「それはそうと、ソングリエ紀行も伸びが良いよ。今回は特にマップを付けたのが良かったみたいだ」


 マップは、アシェ鉱山の特集の時には付けなかったものだ。アシェ村は半日で回れるほど狭かったし、何より目ぼしいものが少ない。今振り返ると、少し物足りない記事だったと思う。今ならゾランは、もっと周辺まで視野を拡げて、旅行記を書いただろう。


「ソングリエ、広かったからな」


「うんうん。絶対、地図がないと迷っちゃう。俺たちもまだ知らない場所あるし」


 ソングリエは、カシャロと比べても見劣りしない、大都市だったと思う。農作物が豊富というイメージで、田舎の街だと思っていたのが恥ずかしい。


 滞在中はあちこちレストランへ行ったり、景観の良い場所を巡ったが、とても回りきれなかった。後になって知った名所もあるので、もう一度行ってみたいと思う街である。


「時間をおいて、また特集するのもありかも知れないですね」


「そういうのも良いかもね。まあ、取り敢えずは、次の企画も考えないとね」


 ルカの言葉にラドヴァンも同調する。同じ街を特集するのは考えていなかったが、切り口を変えたら新しい発見があるかもしれない。


「解りました」


 ゾランは頷いて、メモに加える。愛用の手帳は、赤く染色した革の表紙が付いている。憧れの人であるラウカから預かっている手帳と、同じ色合いの表紙だ。


(この手帳、あげるって、ラウカは言ってたけど――)


 記者を志すきっかけとなった、ラウカの手帳だ。手元に置いておきたい気持ちはあったが、約束の件もある。当面は保留しておこうと、ゾランは机の端に手帳を置く。


(さて、アシェ鉱山もソングリエも好評だったからな。次はどこにしようか)


 物珍しさもあってか、旅行記は今のところ好調である。そうなると、『次も』と期待されるというものだ。実際、旅行記のファンだという街の人も、チラホラ居る。その人たちは等しく、逢う度に感想と激励ををくれる。嬉しいが、少しだけプレッシャーだ。


「エセラインは、アイディアある?」


 ゾランはペンを手にしながら、エセラインの方を見た。涼しげな菫色の瞳がこちらを向く。


「そうだな……。アシェ鉱山が、歴史と田舎がメインの、遠方の候補地で、ソングリエが風光明媚な景色と都市の美しさだろ。実際に行って便利なのは都市だが、田舎の穏やかな空気も良いんだよな」


「エセラインは都会出身だから余計かもね。俺はアシェ村は、ちょっと故郷の村を思い出したな。ソングリエは、カシャロみたいな大きい都市が他にもあるんだって、ビックリした」


 感じ方や捕らえ方にも違いが出る。そのことを心に留めながら、互いに意見を出し合う。


「いずれにしても、何かテーマが欲しいな。漠然としたままじゃ候補地も見つからないし、特集もやりにくい」


「確かに、そうかも」


 テーマか。メモを走らせ、ゾランは新たな悩みに、頭を抱えたのだった。






この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?