「見たか、『宵闇の死神』の顔!」
興奮した様子で、男が叫ぶ。男の手にはバレヌ王国首都カシャロで最近話題の新聞社である、クレイヨン出版社の新聞が握りしめられていた。コーヒーとシガー。それに新聞というのが、首都の
「顔? 顔なんか見えないだろうが」
男の言葉に顔を顰め、テーブルに肘を突きながら男性がそう答える。新聞の一面に掲載されているのは、大きく引き伸ばされた写真だ。燃え盛る炎のなか、一人佇む黒ずくめの男が映っていた。男の表情は見えない。かろうじてフードから除く口元は、やはり仮面で覆われており見ることはかなわなかった。
「何言ってんだ。あの凶悪な顔が解らないか? 伝わって来るだろ。アイツはまさに殺人鬼ってヤツに違いない。快楽殺人犯ってヤツだよ!」
「小説の読みすぎだ。『宵闇の死神』といえば悪を退治する義賊だろ? 思ったよりも細身の男だったよな。俺はてっきり、大男だと思ってたぜ」
男の言葉に、興奮していた男は声を押さえて顎に手を当てた。男の言う通り、『宵闇の死神』の写真は背こそ高いが、体つきはそれほど大きくない。だいぶ、華奢な印象のある男だった。これまでイメージばかりが先行していたが、これが本物ならばどうして屈強な護衛や警備の人間を倒してきたのか、疑問が浮かんでくる。
「そう言われてみればそうだな。あの体躯で二十人近い警備の人間を倒したんだろ? 本物なのかねえ、あの写真」
そう言いながら、新聞をじっと睨むように見つめる。向かいの席に座った男は、その様子に下卑た表情を浮かべた。
「さてねえ。けど、これまで殆ど生きて帰った人間が居ないっていう『宵闇の死神』だぜ? 一体この写真を撮った記者は、どうやって生き延びたんだろうな」
「――じゃあ、これはやっぱり、偽物?」
「さてな。クレイヨン出版は割合マトモな出版社ではあるが――弱小だ」
小さな出版社の記事が、果たして信憑性があるのか。これまでクレイヨン出版の記事は、大きな事件は扱っていない。そうなれば、疑問は大きく膨らんでいく。
「確かに」
男はそう言って肩を竦めると「話半分に思ってた方が良いかもな」と言って、新聞をゴミ箱に放り投げた。
◆ ◆ ◆
下宿先でもあるダイナー『クジラの寝床亭』のテーブルに着き、ゾランはサンドイッチ片手に新聞を広げた。新聞の一面に書かれた文字に、ゾランは思わず口元を緩める。
『バレヌ王国を騒がせる『宵闇の死神』、ついにその全貌を現す』
ゾランが見ているのは、大手出版社であるオルク社の新聞記事である。記事の内容はソングリエで巻き起こった『宵闇の死神』の引き起こした事件の内容について。そして、注目しているのは『宵闇の死神』を捕らえた写真だ。そう、つまりこのオルク社の記事は、クレイヨン出版の新聞記事の、後追い記事ということになる。
「ふ、ふふ……。ついに、あのオルク社がクレイヨン出版の後追い記事だぞ!」
興奮して叫ぶゾランに、向かいの席にいつの間にか座っていたエセラインが、うるさいと言わんばかりに顔を顰めた。同僚でライバルのこの男は、カフェオレを啜る姿も様になっている。むさ苦しいイメージの強い新聞社ではなく、広告モデルか舞台役者と言われた方が納得できる美形だ。
「わかったから、落ち着け。営業妨害だろう」
「っと。つい。でも、見ただろ? エセライン。この記事!」
テーブルの上に新聞を拡げ、エセラインに見せつける。エセラインも当然、この記事は読んでいた。
「今回のオルク社の新聞、絶対に一部買おう!」
そう言いながら、いつも通りサンドイッチを齧ったゾランだったが――。
「っ、ん? あれ?」
「どうした? ゾラン」
カフェオレを啜る手を止め、エセラインが顔を上げる。何か変な顔をしているゾランに、首を傾げる。
「あー、えっと、ベーコンが入ってない?」
そう言ってゾランはサンドイッチを開いて、中の具を見せてやる。たっぷりのレタスと玉子。それに本当ならベーコンがは行っているはずだが、今日のサンドイッチには何故かベーコンが挟まっていなかった。
「入れ忘れか? 珍しい。ミラ」
エセラインが手を上げ、キッチンの方で忙しそうにしている女店主のミラに声をかける。ミラはエプロンで手を拭きながら、ゾランたちのテーブルへとやって来た。
「ん? 何だい?」
「ミラ、ベーコンが入ってなかった」
「これ」
サンドイッチを見せると、ミラが慌てた様子でキッチンから飛び出してくる。
「あら! 嫌だわ。ごめんねゾラン。今すぐ作り直すわ」
「あ、良いよ。もう行かなきゃだし……。その代わり、次に頼んだ時にサービスしてよ」
ゾランは苦笑して、「でも……」というミラに首を振る。ミラはしばらく申し訳なさそうにしていたが、やがて奥の席から注文が入ると、「ごめんね」と言って去って行った。
「忙しそうだからねえ……」
「ミラらしくないな」
エセラインはそう言って肩を竦めた。ゾランは野菜ばかりのサンドイッチを口に含みながら、ミラの背を見る。ダイナーはいつも満席で、ミラは忙しそうにしている。だが、エセラインのいう通り、少しミラらしくない気もする。どこか、集中できていないような、そんな感じだ。
(夜にでも、聴いてみようかな……?)
そう考えながら、ゾランは最後の一口を口に放り込んだ。