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第22話 束の間の日常



 空を赤く染める炎に、ゾランは呆然と燃え盛るレストランを見つめる。輝かしい荘厳な建物は、見る影もなく朽ち果て、燃え尽きようとしていた。駆けつけた消化隊が水魔法で鎮火を行っているが、まだまだ火は消えそうにない。通りには野次馬が集まってきており、衛兵が警戒に当たっていた。


「エセライン、俺――」


 ゾランはガクガクと足を震わせながら、エセラインの方を見た。死ぬ思いをした恐怖が、今更ながら蘇る。倉庫で男たちに見つかっていれば、殺されていた。エセラインが来ていなければ、『宵闇の死神』に殺されていた。ゾランが生きていたのは、たまたまに過ぎない。焼ける建物を見て、それを強く実感した。


 エセラインにまた怒られるだろう。だが、仕方がない。自業自得だ。そう思い、エセラインを見上げた。菫色の瞳は怒気を孕んでいた。だが、それ以上に、哀しい色をしていて、ゾランは一瞬言葉を詰まらせる。


「――っ!」


 何か叫びそうな口元に、ゾランはビクリと身構えた。だが、言葉は振ることなく、代わりにぎゅうっと、エセラインの腕がゾランを抱きしめた。


「――エセ、ライン」


「――この、馬鹿……」


 呟きに、ゾランは緊張の糸が解け、ジワリと眦に涙を滲ませた。震える手をエセラインの背中に回し、胸に顔を埋める。


「ごめ……」


 心配を、掛けてしまった。エセラインの腕が震えているのを見て、生きていたことを強く実感する。


(生きてて……良かった……)


 生きていて、良かった。そう、強く思う。


 ゾランが死んだりしたら、きっと、エセラインは酷く傷ついていたはずだ。また・・誰かを喪うような気持ちを、味わっていたはずだ。


(ゴメン……)


 エセラインの心を傷つけてしまった。そのことを、酷く後悔する。


「もう、勝手に、行動すんなよ」


「……っ、うん」


 エセラインの手が、ゾランの髪を撫でる。その感触が心地よくて。あんなに怯えていた気持ちが、ゆっくりと溶けていく。ゾランはエセラインの腕の中で、自分が随分、彼のことを信頼しているのだと、実感したのだった。




 ◆   ◆   ◆




 その後のゾランたちは、衛兵から事情聴取をされるなど、長い時間を事件の後始末の為に拘束されることになった。レストランに不法侵入したエセラインたちではあったが、テオドレの機転によってうやむやになり、咎められることはなく注意ということで終わりになった。


「テオドレが居なかったら、正直ヤバかったよね」


「そうしたら、今頃良くて罰金、最悪は檻の中だったな」


 エセラインはそう言って肩を竦める。燃え盛るレストランからゾランたちが出て来たのは、多くの野次馬たちが目撃していたため、言い逃れするのは難しかった。代表してテオドレが証言したのだが、記者のゾランが麻薬密輸を目撃し、誘拐され、冒険者の身分としてテオドレとエセラインが救出に向かったという言い訳になったらしい。多少怪しまれたようだったが、それよりも『宵闇の死神』の出現のほうが、事態は大きかったため、見逃されたようだ。ゾランとエセラインだけだったら、馬鹿正直に答えて不法侵入で捕まっていただろう。


「あの人、そういう悪事やってるんですよ。いつも」


 そう言って不機嫌そうな顔をしたルカに、テオドレが悪態を吐く。


「どういう意味だ、ルカ。オレがいつ、悪事を働いたっていうんだ? ええ?」


「私は誰とは言いませんでしたけど。自覚があるようで」


「テメェ……。犯すぞ!」


「返り討ちにしますけど?」


 ルカとテオドレのやり取りに、ゾランは苦笑いした。エセラインも肩を竦めている。こうして、いつもの風景を見ていると、安心する。今回は本当に、危なかった。


「まあまあ、ルカ。それより、みんな無事で良かったよ。あの『宵闇の死神』に出会って生き残れるのは、なかなかないことだからね」


 そう言ってラドヴァンがため息を吐いた。ゾランは『宵闇の死神』の死神を思い出す。炎の中立っていた、漆黒のコートを纏った死神のような男。怪物のようであったが、人間なのだろう。その事実に、思い出すだけで背筋が寒くなる。


「まあ、収穫もあったな……」


 テオドレはそう呟いて、机の上に置かれた新聞に目をやった。今日発売の、クレイヨン出版が発行する新聞だった。この記事が、バレヌ王国中の話題をさらうのは明白だ。ゾランたちも神妙な面持ちでその記事を見つめる。


 新聞の一面は、ソングリエの商会襲撃事件。一面を飾るのは、これまで謎に包まれており、一度もその姿を捕らえられたことのない、『宵闇の死神』の姿だった。


「まさか、ゾランが『宵闇の死神』の写真を撮っているとはね」


 ルカの呟きに、ゾランは首を振った。


「たまたま、カメラが作動したんだよ」


「悪運の強さは、ゾランらしい」


 無我夢中で投げたカメラが、炎の中に立つ『宵闇の死神』を捕らえたらしい。写真はブレて、炎の中だったため鮮明ではなかったが、これが史上初めて、『宵闇の死神』をおさめた写真となった。記事を書いたのは、今回商会を追って、麻薬取引について調べていたテオドレが担当した。


「ゾランの手柄はそれだけじゃない。麻薬取引については写真が証拠になったからな」


『酒舗・黄金の櫂』が燃えてしまったことで、物証も消えてしまったのだが、ゾランが撮影していた写真が証拠になった。衛兵たちはそれを以って、マカール商会に連なる人物を逮捕することになった。もっとも、マカール商会の人間の殆どは、『宵闇の死神』によって殺害されたのだが――…。


「さあ、これで事件が終わったわけじゃない。『宵闇の死神』はまだ捕まっていないし、我々は真実を追い続ける。それに、ゾランとエセラインは旅行記もな」


「そうですよ。ゾランたちの言っていた『酔いどれ船底亭』というレストランも、営業再開したんでしょう? 記事にしてあげたら、きっと喜びますよ」


「だね。『酔いどれ船底亭』のエイコンスクワッシュの詰め物は食べ損ねちゃったけど、ステファンさんの料理はどれも美味しかったし」


「ソングリエは良い街だったな。事件が落ち着いたら、また行っても良い」


「そうだね!」


 エセラインの発言に、ゾランも頷く。ゾランはそんなエセラインの様子を見て、ホッと息を吐き出した。『宵闇の死神』と対峙して、心中穏やかではないだろうが、エセラインの様子は表面上は穏やかだ。一時は随分、ゾランのことを心配したようだったが、今はそれも落ち着いている。


(本当、心配かけちゃったな……)


 我ながら、無茶なことをしたと思う。振り返ると反省ばかりだ。


「ゾラン、聴いてるか?」


「えっ?」


 エセラインがゾランの頬に手を伸ばす。驚いて、ゾランは肩を揺らした。


「っ、ゴメン、聴いてなかった」


「ハァ……。しっかりしろよ?」


 思いがけずエセラインの顔が近くにあって、驚いて心臓が跳ね上がる。トクトクとなる心臓に、無意識に胸を押さえた。


(あれ……?)


 驚いた――。にしては、奇妙な感覚に、胸がざわりとする。胸を押さえ、ほんのりと熱くなる頬に首を振る。


「なんですか、この領収書。こんなもの、降りるわけないでしょ?」


「ああっ! テメェ、ルカ! 破るな!」


 いつも通りのテオドレとルカのやり取りに、意識を引き戻される。先ほどの奇妙な感覚は、なんだったのだろう。そんな気持ちを振り切り、資料を取り出したエセラインの方へ意識を向ける。


「それで、どこまで纏めたっけ?」


「ソングリエの歴史を纏める話と、特集はレストランの他に、ホテルも入れようというところだな」


「じゃあ俺、歴史を纏めるよ」


 胸のざわめきを見なかったことにして、ゾランは手帳を取り出した。取材に使っている赤い革の手帳と、ゾランを記者の道へと歩ませた、古い革の表紙の手帳。ゾランは傷だらけの古い手帳を撫でて、口元に笑みを浮かべた。


『世の中には、理不尽なことがいっぱいあるもんさ。まして、立場が弱い人たちは、掬われずに見捨てられることも多い――オレらは、そういう人たちの声を、拾い上げなきゃならない』


 ゾランの背中を押した言葉が、耳の残っている。あの夏の日を、ゾランは忘れない。




 ◆   ◆   ◆




 その後、クレイヨン出版から出版された、旅行記第二段『ソングリエ紀行』は前回以上の人気を博し――。名物のエイコンスクワッシュの詰め物を食べようと、『酔いどれ船底亭』は連日多くの人が訪れるようになったのだった。




2章完



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