ドン! という破裂音に、ゾランは驚いて戸棚の中で身を竦めた。突如、静かだった地下室が騒然となり、破壊音と共に男たちの怒声が響き渡る。
「クソ! 何者だ!」
「ぐああっ!!」
ガンガンガン! 激しい金属音に、耳を塞ぐ。何が起きているのか、今外がどうなっているのか、ゾランは恐ろしくてたまらなかった。
(一体、何が……)
自分が隠れているのがバレたのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。床に誰かが倒れる音と、戦っている音。ゾランには馴染みがないが、あれは銃の音だろうか。仲間割れか、襲撃か。とにかく、何かが起きている。
ゾランは戸棚の扉を少しだけ開いて、外を確認した。と、むわっと血の匂いと何かが焼け焦げる匂いが鼻をつく。
「うっ……」
思わず呻いたゾランの目に、男の姿が飛び込んできた。男と目が合って、ドクンと心臓が鳴る。
「ひっ……!」
ギョロリとした瞳が、ゾランを見ていた。だが、その瞳に光はない。血の海に倒れた男には、すでに生気がない。
「――っ!」
(死んで……、る)
ぞくり、背筋が粟立つ。殺された。何者かに、殺されたのだ。ぞわっと、恐怖が皮膚を這う。カタカタと手を震わせ、ゾランは戸棚の外へと飛び出た。当たりは、赤く燃えていた。何者かが、木箱に火を点けたらしい。ごうごうと炎を上げて、麻薬の葉が燃え上がる。
「――っ!」
甘い香りのする葉から立ち込める煙に、視界がくらりとした。
カツン。
靴音に、ゾランは視線をやる。
ごうごうと唸りをあげる炎の向こうに、人影が見えた。
「――…?」
ゾランは思わず、目を細める。
黒い、革のコートを着た、やせ形の男だった。全身黒で塗りつぶしたような、異様な姿。顔はフードを目深に被っており、解らない。その男の手に、ショットガンが握られている。
ドクン。
心臓が跳ねる。
「あ……」
掠れた声が、勝手に口から零れ落ちた。
ドクドクと、鼓動が鳴り響く。本能的に、目の前の男が、この惨状を作り上げた張本人だと理解した。じり、と後退る。逃げなければ。自分も殺される。
ずるっ!
ブーツが、血液に濡れた床に滑った。受け身も取れずに床に尻もちをつくゾランの前に、男が立ちはだかる。
「――っ……!」
ぞわ、男の冷酷な気配に、自然と怖気が走る。
死ぬ。殺される。
(まだ、何も出来てないのに――!)
無意識に、ポーチに手を伸ばす。何も策などない。勝てる知恵もない。逃げる方法も解らない。ただの、悪あがき。
「っ、く……」
小さく、呻く。自分を殺そうとする相手に、文句すら言えないほど。命乞いの言葉も出ないほど、何も出てこなかった。
(死にたくない。まだ、一人前の記者にもなってないのに。こんなところで、こんな風に死ぬなんて――!)
無我夢中だった。メモ帳を投げつけ、カメラを投げつける。短杖を取り出し、がむしゃらに振り回す。
「う、わあああ、あああ!!」
叫ぶことしか出来ず、杖を振る。虚しく宙を切る短杖を、男が蹴り上げた。
「っあ!!」
手から杖がすり抜け、床に転がる。ゾランも蹴られた反動で、床に倒れ込んだ。
カチャリ。
銃口がゾランを捕らえる。ヒュッと、口から息が漏れた。
「――あ――」
ゾランはぎゅっと、瞳を閉じた。
――その瞬間。
ガキン!
金属音が響く。同時に、聞き覚えのある声がして、ゾランは瞳を開いた。
「ゾラン!」
「っ……! エセ、ラインっ……!!」
エセラインは剣を掲げ、ショットガンを弾き飛ばす。黒ずくめの男は一瞬体勢を崩したが、武器を手放さなかった。それどころか、不安定な姿勢のままに、ショットガンを打つ。
ガン! という音と共に放たれた銃弾に、エセラインがゾランに覆いかぶさる。ザシュ! と音を立てて、エセラインの服が割けた。
「エセライン!」
「掠っただけだっ! 凍り付け――『氷晶』!」
エセラインの放った氷が、男を襲う。男が何かを呟いたと思うと、氷の刃が炎に飲まれて消えて行った。
(――! ランク4魔法使いのエセライン魔法が……!)
あっさりと魔法を防いで見せた男に、ゾランは驚いた。魔法を打ち消すほどの魔法を、瞬時に放つことが出来たということは、あの男はランク4か、ランク5魔法使いということになる。
「まさか……」
ゾランは男をじっと見つめた。目深に被ったフードの奥に、白い仮面が見える。仮面のせいで、表情は解らない。笑っているのかも知れない。怒っているのかも知れない。得体の知れない存在感に、恐怖心がこみ上げる。
ゾランは、知っている。ランク5魔法を扱うと言われている、凶悪な犯罪者の存在を。悪事を働く者の前に現れる、凶悪で邪悪な義賊を。
「『宵闇の死神』……」
ゾランの呟きに、『宵闇の死神』は反応しなかった。ただ、間合いを確認するように、エセラインとの距離を保っている。
ごうごうと、炎が燃える。柱が炭となり、白くなっている。建物が崩れるのは、時間の問題だった。エセラインも『宵闇の死神』も、どちらも動かずに睨み合う。
「エセライン! ゾラン! 無事か!」
緊張を崩したのは、テオドレだった。炎の向こうから現れたテオドレに、一瞬意識を向ける。その瞬間。
バッ! と革のコートを翻し、『宵闇の死神』が炎の中へと消える。
「待て!」
エセラインが駆け出そうとするのを、テオドレが止める。
「無理だ。それより、脱出が先だ」
「くっ……」
悔しそうに吐き出し、エセラインは剣を納める。それから、ゾランに手を差し出した。
「立てるか?」
「う、うん……、俺……っ」
「そういうのは後にしろ。今は脱出だ」
「うん」
エセラインの手を借りて、立ち上がる。床に落ちた手帳とカメラを、テオドレが拾う。
「ん? これ――っと、崩れるぞ、急げ!」
ギイィィと音を立て、柱が倒れる。ゾランたちは寸でのところで地下室を脱出し、レストランを飛び出した時には、空が赤く染まるほどに、炎が巻き上がっていた。