「っくしゅん」
自分のくしゃみに驚いて、ゾランは目を覚ました。冷たい床に倒れていたせいで、身体はすっかり冷え切っていた。身体のあちこちに痛みがあるのは、階段から落ちたためだろう。幸い、頭を打ったわけではないようだ。
(ここは……?)
周囲は真っ暗で、何も見えなかった。手を伸ばすと木箱のようなものがあるのは解ったが、他にはよくわからない。冷たい床は、石造りのようだ。どのくらいこの場所に居たのか、自分でもよくわからなかった。
(確か……絵の後ろが隠し部屋になっていた……んだよな?)
つまりここは、絵画の裏に隠されていた秘密の部屋という事だろう。怪しいのは解っていたが、隠し部屋まであるとはいよいよだ。つまりここは、『酒舗・黄金の櫂』の、見せたくない部分のはずである。ゾランはゴクリと喉を鳴らす。
(と、とにかく、何か明かりを……)
このままでは、歩くことすらままならない。幸い、どこからも明かりが漏れてこないということは、誰もこの部屋には居ないという事だろう。ゾランはフゥと息を吐いて、手を伸ばした。
「光よ――」
エセラインから譲り受けた光の魔法が、役に立った。魔力を込めると、掌にポゥと小さな光が現れる。と、周囲の状況が浮かび上がった。
(……倉庫、かな?)
部屋の中いっぱいに、木箱が置かれていた。部屋はあまり立ち入りがないのか、少し埃っぽい。木箱には焼き印が押してあり、品目は『ワイン』『梨』『紙』だ。一見すると怪しいところはないが――。
(いや、レストランで、紙?)
紙も使うだろうが、それほど必要だろうか。しかもこの箱は、輸出用の箱だ。バレヌ王国からシヤン王国が行先になっている。確かめねば。そう思い、木箱に手をかける。釘で打ち付けられた蓋はなかなか開かない。なんとか少し浮いたところに短杖を挿し込み、強引にこじ開けた。
バキッと音を立てて開く蓋の音に、ゾランはビクッと肩を揺らす。大きな音がしたが、人が来る気配はない。ホッと胸をなでおろし、木箱の中を覗き込んだ。光が、内部を照らす。
「なんだこれ。お茶――」
中に入っていたのは、甘い香りのする葉っぱだった。四角いブロック状に固められ、麻の紐でくくられている。その束が、数百個詰められていた。
(じゃ、ない)
茶の香りではない。それに、テオドレが言っていたではないか。
『シヤン王国の貧民層で、麻薬が蔓延してるんだ。バレヌ王国から流れているという噂がある』
ドクン、心臓が鳴る。手を伸ばし、葉を一枚鼻に近づけた。
(麻薬……!!)
見たことも使ったことも当然ないが、知識だけは少しはある。青臭く、独特の甘い臭いがある。間違いないだろう。テオドレが言っていた麻薬だ。
ゾランはゴクリと喉を鳴らし、他の箱も手当たり次第に確認していく。そのすべてに、麻薬の束が詰まっていた。
(こんな量……! こんなにシヤン王国に流れてるの? こんなの――)
国が、立ちいかなくなる。これを輸出しているというマカール商会というのは、良心などないのだろうか。恐ろしい事実に、うすら寒くなる。シヤン王国では貧民層を中心に、薬が蔓延しているという。貧しい暮らしから逃れるように薬に手を出し、依存して抜けられなくなる。シヤン王国では麻薬の代金となる銀の流出が著しいという。
ゾランは首を振って、深呼吸した。
(驚いている場合じゃない。俺は、記者なんだから――!)
ポーチからカメラを取り出し、麻薬の山に向けてシャッターを切る。魔力が吸われた感覚がして、紙が排出される。証拠となりそうな麻薬の束と、マカール商会の印の入った箱を写真に収めていく。
「よし、これだけあれば――…」
(問題は、ここからどうやって抜け出すか、だよな……)
階段を上がって絵画の扉を押してみたが、引っ掛かった感触がある。仕掛けが壊れてしまったのか、開け方があるのか。あるいは内側からは空かないのか――。
「なんで開かないんだよ……!」
焦りでつい、絵画を叩いてしまう。と、絵画の向こうから人の声が聞こえた。
『何の音だ?』
『誰か倉庫にいるのか?』
(マズ……!)
人がいると思わなかった。慌てて絵画から離れ、階段を駆け下りる。どこか、隠れる場所。キョロキョロと辺りを見回し、倉庫の奥へと身体を滑らせた。出していた光を消し、闇の中に隠れる。
キィ。と音がして、回転扉になっている絵画が、開く音がした。階段を誰かが降りる音がする。
(どう、しよう)
ドクン、ドクン……。心臓が鳴る。
「真っ暗だな。誰も居ないのか?」
「……薬の匂いが強い。――おい! 誰か箱を開けやがった!」
男が光を灯した。倉庫の中が明るくなる。室内が照らされ、より鮮明に倉庫の様子が露になる。ゾランは頭を低くして、箱の隙間に隠れた。すぐ近くに、男たちの気配がする。
(っ……、怖い……。俺、殺される……?)
ゾク、背筋が粟立つ。喉が渇く。心臓がバクバクと音を鳴らす。汗がじっとりと皮膚を濡らした。
(――一人で、来るんじゃなかった……)
『おいゾラン』
エセラインが、心配そうに引き留めたのを思い出す。あの時、辞めておけば良かった。けど、そうしたら、ここの麻薬は見つけられなかったかもしれない。
ハァと吐息を吐き出し、撮影した写真を手に取った。この写真があれば、マカール商会を告発することが出来るだろう。そのためには、何としても生き残らなければならない。ゾランが捕まれば、当然秘密を知ったゾランは殺され、証拠も隠滅されるだろう。これだけの組織犯罪を行ってるヤツらだ。ゾラン一人など、どうということはないに違いない。
男たちが侵入者を探す声がする。バクバク鳴る心臓を押さえる手が、震えていた。
何か、ないだろうか。身を隠す場所を探す。先ほどは暗くて見えなかった室内を、箱の陰から観察する。
(あ――)
ゾランの視線の先に、戸棚があるのが目に入った。食器棚ほどの大きさの小さな棚だが、下の部分に観音扉がある。ゾランは小柄なので、運が良ければ身を隠せるかもしれない。棚は幸い、今男たちがいる方からは死角になっているようだ。箱の陰から身を乗り出し、男たちの視線がそれた瞬間を狙って、戸棚の方へと移動する。
(っ……、はぁ、はぁ……)
緊張に、戸棚を開ける手が震えた。
(お願い……、入れる構造であって……!)
そっと戸棚の扉を開き、中を確認する。幸運にも、中には手帳が一冊放り込まれているだけで、他には何もなかった。ゾランは身体を丸め、素早く戸棚に入ると、扉をそっと閉じた。明かりが届かなくなり、薄暗くなる。埃っぽい空気に咳き込みそうになって、慌てて口を閉じた。
(見つかりませんように……)
祈るように、身体を縮める。ブーツの先に、手帳が触れてカサッと音を立てた。
(そう言えば――)
手を伸ばし、手帳を手に取る。この手帳はなんだったのだろうか。こんな場所に放り込まれているということは、重要な証拠かもしれない。そう思い、手に取る。扉の隙間から零れる一筋の光に照らして、手帳に書かれた文字を確認する。
(えーっと……『レシピノート』――あっ!)
ステファンのサインが入っている。『酔いどれ船底亭』の盗まれたレシピだ。
(こんなところに――)
この手帳は持ち帰らなければならない。死ねない理由が増えた。
(絶対に、生き残らないと)
ゾランは腹に手帳を隠して、ベルトで挟み込んだ。見つかったら殺される。怖くて、仕方がない。
(エセライン、テオドレ……。二人とも、心配してるよな……)
祈るように、ゾランは身体を震わせる。男たちの気配が近い。足音が、すぐ傍で聞こえる。
その時だった。
「居たぞ! 侵入者だ!」
その声に、ゾランはビクリと肩を震わせた。