案内されたのは、特別な客をもてなすための部屋だろう。レストランホールではなく、奥まった場所にある個室だった。部屋は贅を尽くした調度品で飾られ、眩しいほどだった。
(なんか、すごい場違いだったかも……)
ゾランは自分とテオドレを見て、気後れする。ただエセラインだけが、この雰囲気の中で違和感なく座っている。顔が良いとなんでも許されるようだ。
「ワインリストのワイン、桁が違うな……」
うんざりした様子でテオドレがそう言う。ゾランもリストを眺め見て、目を見開き驚いて閉じてしまった。とても経費で落ちるとは思えない。
「ちょ、ちょっと。ワインがこれじゃ、料理も相当じゃないの……?」
「例のエイコンスクワッシュの詰め物は、一皿一万六千バレヌだな。なかなかだね……」
「一万六千っ……!?」
五千バレヌあればカシャロのダイナーでおなか一杯飲み食い出来る。たった一皿の料理の値段としては、大分攻めた料金だろう。『酔いどれ船底亭』では同じエイコンスクワッシュの詰め物を千三百バレヌで提供していたそうなので、実に十倍以上の値段だ。
「こういうのって、雰囲気も含んだ値段だろうけど……」
それでもレシピを盗んだという実態を知らずに入っていたなら、「高級レストランならこのくらいするものなのだろうな」と納得してしまっていた気がする。
「お前らも、デートに使うならこのくらいの店は知っておいても良いかもな? カシャロにもそれなりに老舗のレストランはあるぞ」
「そういうテオドレはどうなの?」
「オレに浮いた話があると思うか?」
「いや、全然」
「即答すんな」
雑談しながらも、店側の勧めるエイコンスクワッシュの詰め物を注文し、ついでにワインもグラス一杯だけ注文する。経費で落ちることを祈りながら老紳士が立ち去るのを見送って、ゾランはホッと息を吐いた。個室の部屋は入り口部分こそ開いているが、他に人の目はない。
「それで、どうする?」
「まずは料理を食って、だな。裏側もみられりゃ良いんだが」
「バックヤードを見せてもらえるか交渉するってことか?」
「ああ。この店のバックはマカール商会って言っただろ。仕入れもマカール商会が担っているはずだ。オレの勘がざわざわしてる」
「――それは、『宵闇の死神』が関わっていると?」
「関わってるというか、逆だ。アイツは義賊を気取ってる。悪人のところにゃ、『宵闇の死神』がやって来る」
『宵闇の死神』は不正を行っていた商人や役人、貴族たちを殺している。その側面から、『宵闇の死神』を正義の味方のように考える市民もいる。だが、『宵闇の死神』は他者を巻き込むことを厭わない。正義というには、あまりにも犠牲者が多すぎる。
「その、テオドレは『宵闇の死神』を追ってるの?」
ゾランの問いかけに、テオドレはグッと押し黙った。難しい顔をするテオドレに、ゾランは聞いてはマズかったかと唇を結んだ。だが、少し間をおいてテオドレが口を開く。
「――まあな」
「俺にも追わせて欲しい」
テオドレの呟きに、エセラインが被せるように口を開いた。テオドレは顔を顰め、エセラインを睨む。エセラインの菫色の瞳とテオドレの鳶色の瞳が見つめ合う。
「理由は?」
「俺は、ネマニア事件の生き残りだ。イェリネク商会。知ってるだろ」
「ああ――そうか。お前、そうだったのか……」
テオドレはテーブルに置かれた水を呑み込み、ハァと息を吐いた。
「何と言うか、変な縁もあるもんだ」
テオドレの吐き出した息は、重く沈んで留まっているようだった。自身の手のひらを見つめながら、視線はもっと遠くを見ている気がした。
「オレが元冒険者なのは、聴いたか?」
「うん。ルカに……。怪我が元で引退したって」
ゾランはテオドレの足を見た。普段は気にならないが、僅かに引きずっているのを知っている。雨の日には痛むというのを、先日初めて知った。
「『鉄剣戦士団』って、A級冒険者だった。知ってるか解らんが、ルナー男爵という貴族がいてな。その貴族の、護衛任務をしたのが最後だ」
「A級冒険者……!」
A級冒険者と聞いて、ゾランは驚いた。強いのだろうとは思っていたが、まさかそこまでの実力者だったとは。今のテオドレからは、その雰囲気はない。剣を置いて随分経つのだろう。
「ルナー男爵が悪事に手を染めていたのを知ったのは、事件の後だ。カシャロに移動中の馬車が『宵闇の死神』に襲撃され、俺たちは歯も立たなかった。たった一人の男に、A級冒険者のオレたち『鉄剣戦士団』のメンバー六人、ルナー男爵の私兵数十人が、赤子の手を捻るように、やられちまった」
そう言ってテオドレは、右足を摩った。思い出して傷が疼くのかも知れない。
「オレは生死の境をさまよい、なんとか生き残った。けど――……」
テオドレはそれ以上は紡がなかった。『宵闇の死神』に巻き込まれ、生き残った人間はほとんどいない。テオドレが生きていたのは運だろう。今は脚に後遺症を残し、生きながらえている。テオドレの仲間は全滅し、一人残されたテオドレは冒険者を辞めたのだ。
「正義って、なんだろうな?」
テオドレの呟きに、ゾランもエセラインも、応えることは出来なかった。