「え? ここ……」
路地裏の先に、小さな看板のかかった店が見えた。『酔いどれ船底亭』と書かれた古びた看板に、目を丸くする。見覚えのある店に、ゾランとエセラインは困惑した。
「ここ、私の家です。どうぞ」
「あ、うん」
驚いた様子のゾランとエセラインに、テオドレは「なんだぁ?」と首を傾げた。ゾランたちは少女に導かれるまま、店の中へと入る。すると、テーブル席に座っていた店主が、ゾランたちをみて顔を顰めた。
「なんだ、アンタら……ルチア? 何で一緒に……」
困惑の表情を浮かべる店主に、エセラインが一歩進み出た。
「それは、俺の方から説明いたします」
◆ ◆ ◆
「ルチアが世話になった!」
何度も頭を下げる男に、ゾランたちは恐縮して首を振った。
「いえ。それよりも衛兵に訴えた方が良いかと……。我々も証言しますので」
「それは――…」
歯切れの悪い男に、ゾランは首を傾げた。様子を見ていたテオドレが「なるほどね」と呟く。
「テオドレ? どういうこと?」
「この店の様子じゃ、まともに営業していないのは解る。関係あるんだろうよ」
「――…」
店主が俯く。ルチアは男のエプロンを掴んでうなだれた。襲撃した男と、開いていない店。この店はどうやら、妙な連中に目をつけられ、『開けることが出来ない』状態に追い込まれているようだった。
「衛兵には……言っても無駄だと思います。もう、何度も訴えて居るんですが、この有様で……」
店主の言葉にエセラインも目を細めた。ゾランは「そんな……」と呟いた。一体、何があったというのだろうか。困惑するゾランだったが、腹の虫は空気を読まずに鳴り響く。その音を聞いて、店主がくしゃっと笑った。
「店がこの調子なんでろくなもん出せませんが、良けりゃ食べて行ってください」
「是非、お願いします」
「お兄さんたち、こっちこっち!」
ルチアが顔を上げ、ゾランたちをテーブルに案内する。久し振りのお客さんで嬉しいのだろう。この店の細やかな清掃は、この幼い少女が行っているのかも知れない。
◆ ◆ ◆
「うわーっ」
テーブルに並べられた料理に、ゾランは感嘆の声を上げた。色どり豊かな野菜のグリルに煮込み料理、自家製ソーセージに新鮮なサラダ。どの料理も良い香りが漂ってくる。
「こりゃスゲェ」
「店主はなかなかの腕前のようだな」
なすのキャセロールをハフハフと頬張り、ゾランは「ん~~」と舌鼓を打つ。シンプルな料理だが、素材が良いのか腕が良いのか、今まで食べたどんなキャセロールよりも美味しく感じる。
「親父さん、すごい美味しい!」
「こんな裏路地の店だってのに、かなり洗練されてるな」
テオドレがフォークで素材を確認するように弄る。店主は照れくさそうに笑った。
「こう見えても、元々はソングリエの領主邸で料理人をしていたんだ。独立して小さなレストランを開いたのは良かったんだが……ね」
「一体、何があったんですか? これだけの料理なら、場所が悪く立って人が来そうですけど」
ゾランの言葉に、店主の口は重い。そこに、ルチアが横から甲高い声を上げた。
「全部、アイツが悪いんでしょ!? お父さん!」
「ルチア! 滅多なことを言うな!」
店主の様子に、ゾランとエセラインは目を見合わせた。何とか話を聞きたかったが、この様子では話してくれそうにもない。どうしたものかと思っていると、テオドレが懐から身分証を提示しながら声をかけた。
「ご主人。俺たちはカシャロにあるクレイヨン出版社のライターです。どうか、取材させて頂けませんか」
「記者――さん?」
店主が驚いた顔をする。
「このまま、黙っていて良いんですか? お嬢さんの為にも、何か出来ることがあるかもしれません」
普段は粗野な態度の目立つテオドレの様子に、ゾランは感心する。多くの社会面の記事を書いてきたテオドレは、こういう難しい交渉にも慣れているのだろう。店主はさんざん悩んだ様子だったが、やがて小さく呟いた。
「じゃあ、話だけ……」
その言葉に、ゾランはホッと息を吐き出した。
◆ ◆ ◆
「レシピが、盗まれた……!?」
店主――ステファンの言葉に、ゾランは驚いて思わず声を上げた。ステファンは悔しそうに顔を顰めながら、コクンと頷く。
「元々、小さいながらもそれなりに人気店だったんです。ところがある日――看板料理の、エイコンスクワッシュの詰め物と全く同じ料理を、『酒舗・黄金の櫂』でも出し始めて……」
「『酒舗・黄金の櫂』って――あの店か」
中央の大通りにある人気店を思い出し、エセラインも顔を顰める。もともと、郷土料理だったエイコンスクワッシュの詰め物を、ステファンが独自のレシピでアレンジして提供していたらしい。ステファンのエイコンスクワッシュの詰め物は、領主邸で働いていた経験から、洗練されており、これまでの概念を覆したと一気に人気になったそうだ。
「最初は、気にしていなかったんです。ところが、そのうち……うちの店に、勝手にエイコンスクワッシュの詰め物を作っているとクレームが入って……。うちが先だったと、そっちが真似じゃないかと言い張ったんですが……」
「レシピが盗まれて、証明できなくなった――か」
「はい……」
「レシピ帳には、登録日が記載されていたんです。あれさえあれば、大手を振ってまた店を再開できるのに――! 今じゃ、盗用野郎と言われて……」
「酷すぎる……」
ゾランは自分のことのように悔しくなった。ステファンはこんなに苦しんでいるというのに、盗んだ犯人である『酒舗・黄金の櫂』はあんなにも繁盛している。ゾランは少しだけ、自分の過去と重なるような気がした。盗んでいないのに犯人扱いされ、どれほど苦しんだだろうか。
こんな理不尽を許して良いはずがない。真実を探し、伝えることこそ、自分たちの仕事ではないか。そう、強く思う。――かつて、ラウカが自分にしてくれたように。
店主がルチアとともに食器を下げ、洗い場に向かったところで、テオドレが口を開いた。
「は。『酒舗・黄金の櫂』ね。バックに居るのはマカール商会だ。あそこは色々と、胡散臭い」
「マカール商会って、テオドレがさっき取材しようとして断られてた?」
「そう言えばテオドレ、あんたは何の取材でここに来たんだ?」
エセラインがテオドレに話を振る。確かに、なんの為に来たのかはまだ聞いていなかった。
「情報ギルドからのネタでな。ソングリエ最大の商人。マカール商会が、ここのところ大荷物を隣国に運んでいるって聞いたもんでな」
「隣国というと、シヤン王国か?」
「ああ。品目はワイン、紙、梨ってことになってる。まあ、普通だわな」
「まあ、ソングリエからの品物としては不審なところは何もないけど」
何が気になるのだろうと、ゾランは首を傾げる。エセラインは何か気づいたようで、目を細めた。
「――麻薬か」
「どうだかな」
エセラインの言葉に、テオドレは結論は出さなかった。まだ何も確実なものがないのだろう。
「え? どういうこと?」
不穏な単語に、ゾランは驚いて身を乗り出す。エセラインが声を押さえろと合図した。キッチンからはまだ食器を片付ける音が響いている。
「シヤン王国の貧民層で、麻薬が蔓延してるんだ。バレヌ王国から流れているという噂がある」
「え……でも」
ゾランの瞳が揺れる。麻薬は、シヤン王国でもバレヌ王国でも禁止されている。麻薬の危険性や依存性は、長年論じられて来ている。ヤクザ者がそういう危ない薬を扱っていることは知っているが、身近なところで聞くとは思っていなかった。
「こういうのは、貧困層から広がるんだ。楽になりてえから薬に手を出して、一度出しちまうと一生抜けられねえ。タチが悪い。シヤン王国では代金に支払われる銀の流出が止まらないんで、大分大きな問題になってる」
「……知らなかった」
「記者ならそれぐらい知っておけ」
「う」
世界情勢に明るくないゾランは、テオドレの言葉に反省する。情報への感度が低いのは、記者としてあるまじきことだ。
「テオドレは、絡んでると思ってるのか」
「ただの勘だけどな。疼くんだよ。古傷がよ」
テオドレはそう言って、視線を足に向けた。テオドレは右足を引きずっている。雨の日には痛むという古い傷だ。
「こういう時は、決まってアイツが動き出す」
「アイツって?」
テオドレは何処か遠くを見るような目をして、静かに呟いた。
「『宵闇の死神』」