キイィィ……。鈍い音を立てて扉を開く。店内は薄暗く料理の匂いはしてこなかったが、店の中は綺麗に掃除されていた。幾つも置かれた丸テーブルと椅子。奥の方にはカウンター席もある。平均的なレストランという風情だ。よく見れば暖かみのある絵が飾られていたり、雰囲気も悪くない。
「ごめんください……?」
言いながら首を捻る。人っ子一人いない。今日は定休日だっただろうか? 小首を傾げていると、店の奥から男の声が聞こえて来た。
「あん? なんだアンタら」
現れたのは、くたびれた中年の男だった。覇気のない顔で、目元が赤い。飲んでいるのかも知れない。
「あ。すみません。俺たち外の看板見て……『酔いどれ船底亭』って、レストランで合ってます?」
「……合っては、いるぜ」
歯切れの悪い言葉に、エセラインがドアを振り返る。ドアには「オープン」の札が掛かっていた。
「あ――すまんな、ルチア……娘が勝手にひっくり返しちまうんだ」
「えーっ……。じゃあ、お休みだったんですか……」
男の言葉に、ゾランはガックリと肩を落とす。すっかり腹が減って歩き回っていたうえに、店はやっていなかった。残念だ。
「……すまねえな」
追いやられるように外へ出て、ゾランはもう一度未練がましく看板を見上げた。
「はぁ……。どうする?」
「どこか、露店でも探すか。それにしても――。昨日今日、休みというわけではなさそうだな」
「――そうだね」
店は冷え切っていて、何日も店を開けていない様子だった。清掃こそされているが、何日も閉まっている。そんな雰囲気が感じ取られたのだ。
(娘さんがオープンにしちゃうって言ってたし……なにか、事情があるのかな……)
「取り合えず、大通りの方へ戻るか」
「うん」
鳴り響く腹を摩りながら、ゾランたちは再び大通りの方へと戻って行った。
◆ ◆ ◆
通りまで出ると、途中で道を一本間違えたらしく、レストランや屋台の多くあった通りから少し離れた場所へと出てしまった。辺りには雑貨屋や本屋などがあるが、レストランは見当たらない。当てが外れたとガックリする。
「もう限界なんだけど……」
「少し我慢しろ」
「ふへぇ……」
痛めた足がまた痛くなってきたこともあり、いい加減休憩したいところだが、ソングリエの街は広く、土地勘がないこともあって苦労してばかりだ。
「これ、次の旅行記は絶対、地図入れようね」
「いいアイディアだ」
足が痛いのをごまかしながら歩いていると、不意に怒鳴り声が響き渡った。
「あんたもしつこいな! 衛兵を呼ぶぞ!」
「ちょっと話を聞きたいだけじゃないですか。それとも、やましいことでもあるんですかァ?」
「おい、塩持ってこい!」
「また来ますよ」
店先から追い出されるように、長身の男が姿を現す。その後から「二度と来るな!」と怒鳴り声が追いかけて来た。ゾランは何事だろうと、驚いてエセラインを見た。エセラインも眉を顰めて声の方を振り返る。
「――テオドレ」
「いやあ、取り付く島もない……って」
店から追い出されるように出て来た男――テオドレの姿に、ゾランは目を見開く。テオドレもこんな場所で同僚に会うとは思っていなかったようで、驚いた顔をした。
「お前ら、なんで……」
「旅行記の取材。テオドレもソングリエに来ていたのか」
「まあ、な」
歯切れの悪いテオドレに、ゾランは(そう言えば、ソングリエの資料を読んでいたっけ……)と思い出す。
(マカール商会……)
テオドレが出て来た建物を見上げ、大手の商会であることを確認する。どうやらテオドレは、このマカール商会を追ってここまで来たらしい。
「テオドレ、昼はもう済ませた?」
「いや、まだだ」
「じゃあ、せっかくだから一緒にしようよ」
「とはいえ、俺たちも食いっぱぐれてて、まだ店も見つけてないんだけどな」
「ハハ。どうせなら、オレの飯代もお前らの経費で落として貰いたいもんだけどな」
この辺りにはレストランがないので、元来た道を引き返すことにする。
「テオドレは、宿はもう取ったの?」
「いや、まだだ。お前らは何処に泊まってるんだ?」
「俺たちは南通りの『アネモネ』だよ。値段の割に、良い宿だ」
「へえ。オレもそこにしようかねえ」
路地裏に一歩入ると、途端に喧騒が遠くなる。ソングリエは大きい通り以外はあまり人が多くないらしい。大きい街だとか、騒がしいとか、そんな話をしながら歩いていると、不意に甲高い悲鳴が響き渡った。
「キャー!」
少女の声に、エセラインとテオドレがピクリと反応する。ゾランは声がした方に向かって走り出した。
「行こう! こっちだ!」
「ゾラン、突っ走るな!」
先走るゾランを追いかけ、エセラインが叫ぶ。テオドレは脚を引きずるようにしながらその後を追う。白昼堂々、強盗の類だろうか。路地を進んでいくと、石畳に転がる幼い少女と、覆面をした男が二人いるのが見えて来た。
「何してやがる!」
テオドレが怒声を上げながら男たちの方へ走る。ゾランは警戒しながら少女の方へと走った。
「チッ!」
男が剣を抜く。振り払った剣を、エセラインの剣が受け止める。キン! と響く金属音に、ビクッと肩を震わせながらゾランは少女を助け起こす。
「大丈夫?」
「は、はい……」
腰が抜けてしまったらしい少女に手を貸し、引き起こして背中に庇う。腰に挿した短杖を構えて、身を護る。
「くそ、こいつら強いぞ!?」
エセラインとテオドレの剣に、男たちが怯む。エセラインはC級冒険者だし、テオドレも元冒険者だという。どうやら男たちは二人よりは強くないらしい。エセラインたちの強さに驚き、及び腰になっている。
「テメェら、何者だ? 素人じゃねえな?」
テオドレの言葉に、男たちは無言を貫く。強盗の類だと思っていたが、どうやら様子がおかしい。
「どちらにしろ、衛兵に突き出すだけだ」
エセラインが剣を構える。その様子に、男たちが目配せをした。何かしてくる。そう思った、次の瞬間――。
「光よ来たれ――『閃光』!」
「っ!」
男の一人が放った魔法が、光を放つ。まばゆい光に目が眩む。とっさにゾランは、少女を抱き寄せ庇った。
足音が遠ざかる。ようやく戻った視界に瞬きすると、周囲にはもう男たちの姿はなかった。
「逃がしたか……」
「怪我はねぇか?」
舌打ちしながらテオドレは剣を収める。ゾランも握っていた短杖をホルスターに戻した。
「大丈夫だったかい?」
エセラインが少女が落としたらしいカゴを拾い、少女に手渡す。カゴにはどんぐりカボチャが入っていた。少女は跪いてカゴを渡すエセラインに、ポッと頬を赤らめた。
「あ、ありがとうございました。おかげで助かりました」
「衛兵に通報したほうが良いだろう」
「あ……はい……」
通報という言葉に、少女が俯く。何か事情があるのだろうかと、三人は顔を見合わせた。
「そ、その、ご心配、ありがとうございました。でも……大丈夫です」
「大丈夫なんてこと、ないだろ? なんなら、一緒に行ってあげる――」
と、緊張が解けたせいか、ゾランの腹が再びぐうぅと盛大な音を鳴らした。その音に、テオドレがブハッと噴き出す。
「ちょっと! 笑う事ないだろっ」
エセラインは肩を竦めて苦笑いする。少女も少し笑い顔だ。ゾランは頬を膨らませ、腕を組んだ。
「仕方ないだろ。食いっぱぐれてんだから」
「あ、あの……」
少女がおずおずと、声を上げる。三人の視線が少女に向いた。
「よろしければ、うちに来ませんか? 簡単なものしか出してもらえないと思いますが。一応、レストランなんです」
少女のその言葉に、ゾランはエセラインたちの方を見た。このまま少女を一人帰すのも心配だし、どうせなら家の人に事情を説明して、衛兵に言うことを勧めた方が良いだろう。
三人の意見は一致し、少女の提案に乗ることにした。