大通りを外れた細い路地を通り抜け、ホットドッグスタンドを横目に通り過ぎる。このホットドッグスタンドは、安いが大味で、あまり人気がない。ホットドック屋の親父が禿げた頭を撫でながらゾランに声をかけて来た。
「おう、クレイヨン出版の。食っていくかい?」
「悪いけど、朝食は済ませて来たんだ」
「なんだよ、残念だな。それで、次の旅行記は何処に行くんだ?」
二カッと笑いながら親父がそう言う。口を開けると歯が抜けているのがよくわかって、自然と口元を見てしまい、苦笑いを返す。
「うーん。何処だろう? まあ、楽しみにしててよ」
そう言って、スタンドを離れる。親父はまだ話したそうだった。
「前までうちの新聞なんか、読んでなかったのに」
「だな。根っからのオルク社派だった。ホットドッグが買いにくい」
「エセライン、あそこで飯買うの? その……、ちょっと、イマイチじゃん」
「パンとソーセージはイマイチなんだけどな……。サルサソースだけ美味いんだよ」
「え。マジで?」
「サルサソースは娘さんが作ってるんだと」
「なるほど」
それは、後で試してみないと。と思いながら、連れだって歩く。エセラインとは、最近こういう他愛のない話をすることが多い。エセラインは首都カシャロの出身なので、田舎出身のゾランよりもこの都市のことをよく知っている。
石畳の路地を歩きながら、道行く人に挨拶をする。この辺りは、クレイヨン出版社の近所とあって、知り合いが多い。花屋やパン屋、肉屋に総菜屋。酒屋、バー、レストラン。本屋に雑貨屋。小さな商店が軒を連ねており、休日にはマーケットも立つ。大通りの賑わいとは比べ物にはならないが、生活に必要なものがぎゅっと詰まっているような通りだ。その一角に、石造りの建物がある。一階は雑貨屋。二階にあるのが、クレイヨン出版社だ。
雑貨屋の店先で通りを掃いていた恰幅の良い夫人が、エセラインとゾランの姿を見つけて顔を上げる。
「あら、エセライン。それにゾラン。おはよう」
「おはようございます、ワルワラ夫人」
「おはようございます」
機嫌の良さそうな彼女に、エセラインが取り繕った顔をした。ワルワラ夫人はエセラインには特別、甘い。クレイヨン出版が家賃の滞納をしてイライラしていても、エセラインの顔を見ると矛を収める。以前はゾランのことが目に入っていなかったようだが、最近は顔を覚えてくれたらしい。
「見たわよぉ、旅行記。良いわよねえ、旅行なんて、行ったことないわ」
「今は街道もかなり安全ですから、一度行ってみたらどうですか?」
「そうねえ。でもねえ」
旅行記を書いて以来、ワルワラ夫人は何度か同じ話をしている。旅行記が相当気に入ったらしく、何度も読み返しているようだった。友人にも勧めてくれたらしく、雑貨屋にも新聞を置いてくれている。
この世界の人にとって、旅行は一般的ではない。一生に一度、聖地を訪れようとする聖地巡礼のようなものはあるが、観光目的の旅行は庶民にとっては憧れだ。王侯貴族のように避暑のために土地を離れるようなことは、殆どない。多くのものは一生を生まれた土地で過ごすか、ゾランのように仕事を求めて都市に来るだけだ。一番の理由は安全であり、次の理由は金銭的な理由だ。だがそれも、冒険者のお陰で昔よりは安全になっている。
冒険者。この職業が仕事として成立して、まだ半世紀ほどだ。それまでは兵士や各村の有志の人間が自治を行っていた。戦後仕事を失った傭兵たちが、仕事としてモンスター討伐を行い始め、それをまとめ上げたのが初代の冒険者ギルドマスターだという。冒険者という言葉が定着し、その仕事ぶりが認識され始まると、バレヌ王国のモンスターによる脅威は一気に下がったという。ゾランが子供のころには、村の周囲や街道沿いには殆どモンスターの脅威がなくなった。モンスターは山林や深い洞窟に追いやられ、日常的に目にすることはあまりなくなった。ゾランのような一般人が目にするモンスターは、繫殖力の高いネズミやウサギなどのモンスターくらいだ。
つまりは、現在は昔ほど、モンスターの脅威がない。生活に余裕がある層ならば、旅行も夢ではなくなったのだ。娯楽に乏しい世の中に、新しい娯楽が生まれたのである。
「うちには足の悪い義母さんもいるし、旦那はアレだし……」
困った困ったというワルワラ夫人に、ゾランは店番をする気難しそうな老婆の姿を思い出す。年齢は九十近いはずだが、矍鑠とした様子で、足が悪いようには見えない。旦那、と呼ばれた男性は、気弱そうでゾランは声を聴いた覚えがなかった。
「あー……、大変そうですね。えっと、それじゃあ、俺たち仕事に行かないとマズいんで」
「あら。そうなの? 残念だわ」
話が長くなりそうだと、慌ててそう言うと、ゾランはエセラインの袖を引っ張る。名残惜しそうなワルワラ夫人を背に、ゾランたちは逃げるようにその場を後にした。