「リオン王国の内紛が激化。市民400人が巻き添えに……」
新聞を読みながら、ゾランは「うーん」と唸った。片手には『くじらの寝床亭』の店主ミラが作った特製のサンドイッチ。塩気のあるハムに野菜、玉子の挟まったサンドイッチは、ゾランの好物だ。
「聞いたか。レンヌで飛行船が墜落事故だって」
そう言いながらゾランの座るテーブルに、金色の髪の優男が座った。片手にカフェオレ、片手に新聞といういつものスタイルだ。
「断ってから相席しろよ!」
「おはようゾラン?」
「おはよう! ったく……」
ゾランはムッとしながら新聞を畳んでサンドイッチに齧りついた。クレイヨン出版のエースであり、同僚のエセラインは、相変わらずゾランに対していやに気安い。半分くらい舐められているような気もするが、良い意味での気安さなのだろうと信じてぐっと堪える。
「飛行船の事故って、先月もなかったか?」
「ああ、あったな。あの時は緊急停止したはずだが」
「しかし墜落か……乗員乗客は?」
「何人かは生存者もいるようだが。厳しいな」
エセラインから新聞を受け取る。代わりに、自分が読んでいた新聞を差し出した。『くじらの寝床亭』では毎日三社の新聞を取り揃えている。大手新聞社のカシャロ社、カシャロ社と同じく全国誌のオルク社。それに地方新聞のクレイヨン出版社。三社の新聞が自由に読めるとあって、朝から晩まで人が多い。この世界の人にとって、新聞は娯楽の一つであり、文化だ。コーヒーとシガー、それに新聞。人々はカフェやダイナーに集い、新聞を読んではその内容で盛り上がる。
サンドイッチを口に押し込み、パンくずを払うと受け取った新聞を開いた。エセラインは優雅にカフェオレを啜っている。
「なるほどねえ。こうやって見てると、飛行船もちょっと怖いよな。エセラインは乗船したことある?」
「アカデミーに入学した時に、一度だけ」
「入学の時だけ? 卒業の時は?」
「まあ、事情があったからな」
言葉を濁すエセラインに、ゾランは(あ……)と思い当たって口を閉じる。エセラインは表情を一切変えず、ゾランが渡した新聞を開いている。
エセラインのいう『事情』が、家族が巻き込まれたらしい事件と関係があるのだと、直感的に解った。
(『宵闇の死神』――か)
バレヌ王国は平和そのもので、人々は穏やかに暮らしている。戦争は他国の話で、ここ百年は起こっていない。モンスターは出没するが、都市を脅かす規模の侵攻はなく、世間はいたって平和そのものだ。だからこそ、人々は冒険者の活躍に、自分ではなし得ない冒険に心打たれて、それが娯楽となる。冒険者の仕事が娯楽になる――それだけ、平和ということなのだ。
そんな王国にあって、『宵闇の死神』の存在は異質だった。ゾランが聞いたことのある『宵闇の死神』関連の事件と言えば、『ゲバール男爵邸襲撃事件』だ。男爵が襲撃されるという事件は、遠いゾランの住む田舎にも届くほど、ショッキングなものだった。男爵邸に住んでいたゲバール男爵一家の他、使用人までもが惨殺された、凄惨な事件だ。屋敷は火をつけられ、生存したのはたまたま暇を貰っていた小間使いの少女一人だけだったという。『宵闇の死神』という名前の存在が、強く印象付けられた事件だった。
エセラインは、そんな『宵闇の死神』の起こした事件の、生き残りだという。王国の闇を想像し、背筋がゾワリとした。
「――聞いてるのか? ゾラン」
エセラインの声に、ハッとして顔を上げる。
「あ、ゴメン……。ちょっと、考え事」
「次の取材先のことだ」
「ああ――」
ゾランは頷いて、むぅと唇を曲げる。
ゾランとエセラインによる、アシェ鉱山探訪の旅行記は、クレイヨン出版創業以来の大ヒットとなった。出版社にはたくさんの反響が届き、クレイヨン出版存続の危機はひとまず去ったと言える。そして今、第二段の声が望まれているのだが――。
「何処にするか、だよね」
「ああ。いくつか条件がある。①首都から行きやすいこと ②名物があること ③名所があること。他にも魅力はいくらでもあって良い」
「ルカにもせっつかれてるし……。早く決めなきゃな」
「あのルカが予算取ってくれるって言ってるんだ。頑張って探そう」
「おう」
ゾランはそう言って、ぬるくなったコーヒーを飲み干した。