「冒険者登録?」
クレイヨン出版のエースであり、同僚のエセラインの提案に、ゾランは目を丸くした。冒険者というのは、モンスターと戦う戦闘員のことであり、出版社で小さな記事を書くライターであるゾランとは、縁遠い存在だ。その上、ゾランは剣を握ったこともなければ、魔法ランクも2しかない。
魔法というのは、生まれた時に才能として生じる。スロットという枠がそれぞれ生成され、その数に応じてランクが決まるのだ。枠の数は生涯変わることはない。つまり、魔法ランクは生まれ持っての才能である。枠の数によって、使用できる魔法の数が変わり、ランク1の魔法使いで0から2つ。ランク2の魔法使いで3から8。ランク3の魔法使いで9から15と、使用できる最大数が変わってくる。ゾランの場合は生まれついて持っている枠は8つ。ギリギリランク2だった。
その魔法も、元々持っている『種火』と『水滴』。自分の意志で使用することの出来る状態になっていない魔法。それから、最近カメラを使うためにエセラインから譲渡された、『光』があるだけだ。戦闘に向いている魔法は、一つも覚えていない。
眉を顰めるゾランを気にした風もなく、エセラインが頷く。
「ああ。今後、外に出る機会も増えるだろうし、記者としての身分以外にも、冒険者のライセンスがあると便利なことがある。情報収集もしやすいしな」
「ああ――…」
ゾランは以前、冒険者ギルドを通じて取材を申し込もうとした時のことを思い出した。クレイヨン出版のような弱小出版社では、話を聞いてもらうのに時間も手間もかかる。だが、同じ冒険者としての立場であれば、直接話を聞くことも出来るし、何より騙されることも減るだろう――。
「でも俺、戦えないけど?」
「ヒクイドリを倒した実績があるだろ」
エセラインがゾランの鞄を指さす。ゾランの鞄には、ヒクイドリの羽で作ったアクセサリーが着いていた。倒したというより、一緒に落下し、下敷きにしただけだ。しかも止めを刺したのは自分ではない。そう思ったが、冒険者に興味がないというのは嘘になる。
(まあ、登録だけなら……)
依頼は受けるつもりがないし、登録だけならば問題ないだろう。冒険者にしか入ってこないような話も、ギルド経由で伝えられるだろうし、冒険者と親しくなれば、遠方の様々な様子も解るようになる。これから旅行記を書くにあたっても、世界中を旅する冒険者に話を聞けるというのは、メリットしかないように思えた。
「うん。解った。登録してみる」
◆ ◆ ◆
冒険者登録のための受付は、依頼用のカウンターとは少し雰囲気が異なるようだ。依頼カウンターが事務的で
「登録ですね。保証金二千バレヌが掛かりますがよろしいでしょうか?」
「はい。大丈夫です」
保証金の二千バレヌは、ライセンスカードの発行手数料らしい。この他にも会費が依頼料から徴収されるらしい。依頼を受けてもそのまま自分の懐に入るわけではなく、税金を引かれ、冒険者ギルドの仲介手数料を引かれ、会費を徴収されて、残った分が冒険者の取り分となるようだ。低ランクの依頼だけを受け続けても、生活できないようになっているらしい。
(なるほど。冒険者は『夢』だな)
一攫千金を夢見て冒険者を志しても、ある程度のランクにならなければ、生活もままならない。そのようにシステムが作られているらしい。だが、中級程度になれば、生活はまあまあ良くなる。会費はそのまま冒険者たちへ還元される。怪我で働けなくなった際の保険、退職金、死亡した際の遺族への一時金などが、会費から徴収される仕組みのようだ。冒険者ギルドは冒険者が生活するための機関ということだろう。
その他にも、提携している商店の割引などがあるようだ。魔法や武器、道具などが安く変えるのは十分なメリットに思える。
(うーん。もっと早く知ってれば、安く買えるものもあったかな。まあ、冒険者が使う道具で自分も使うものなんて、ランプとか鞄くらいか……?)
ゾランは野営などはしないので、キャンプ道具などは持っていない。キッチンがあれば鍋やフライパンを買うのだが、残念ながらゾランの借りている部屋にはキッチンはなかった。
職員に説明を受けていると、奥の扉が開いて背の高い男がカウンターの方に顔を出した。ガタイの良い、精悍な顔立ちの男だ。奥の扉から出て来たということは職員なのだろうが、冒険者と言われたほうがしっくり来た。
「マリア、この書類だが――っと、対応中か」
「ギルマス。済みません、新人登録なので~」
マリアと呼ばれた受付の女が、男をギルマスと呼んだ。ギルマス。つまり、ギルドマスターであるシキ・マノヒナだ。冒険者ギルドの現在のトップということらしい。ゾランはぺこりとお辞儀をした。
(へえー、この人がギルドマスターか)
なるほど、
「新人か。なんだ、あまり戦闘向きじゃないようだな――」
と、言いかけて、眉を寄せた。視線が、ゾランの腰に挿した短杖に注がれている。
「その杖――。『海鳴り』か」
「へ?」
何の話か分からず、杖を見る。古びた、何の変哲もない木の杖。杖を譲ってくれたクレイヨン出版の社長ラドヴァンは、「殴っても良い」などと言っていた。
「ラドヴァンの杖だろう。なんだ、『クレイヨン出版』か?」
「あ。はい……」
その言葉で、ゾランは不意にエセラインの言葉を思い出した。
『ギルドマスターとうちの社長、因縁があるんだと。元々同じパーティー所属の冒険者だったらしいんだけど、ラドヴァンのことを追放したらしい。それで、パーティーの不正を暴いてやるって息巻いて、出版社を立てたらしくて』
(あ……)
因縁の相手というギルドマスターとは、この男だろう。眉間に深い皺を寄せて、じっとゾランを睨むように見つめて来る。その威圧感に、ゾランはビクリと肩を揺らした。
「チッ。あの野郎、本気でもう辞めるつもりか……」
ボソリと呟かれた言葉に、ゾランは首を傾げた。シキは溜め息を吐いて、杖を指さす。
「良いか。その杖は、お前みたいなド素人が使うような杖じゃない。くれぐれも、その杖でぶん殴るような真似、するんじゃねぇぞ!」
「えぇ……」
ラドヴァンからは殴れと言われているのに、シキは殴るなという。どうすれば良いのだと、ゾランは曖昧に頷いた。
(この杖、そんなに良い杖なの? ……そうは見えないけど……)
シキはそれだけ言うと、奥の部屋へと引っ込んでしまった。姿がすっかり消えて、受付のマリアが苦笑いする。
「ゾランさん、クレイヨン出版の方なんですね」
「あ、はい」
そう返事して、内心ゾランは気まずい笑顔を浮かべた。出版社の人間が、真面目に冒険者をするわけがないのはバレたはずだ。
「優秀な冒険者がみんなクレイヨン出版に取られちゃうんで、ギルマスはあんまり面白くないみたいなんです」
「あー……」
エセラインはC級冒険者で、ランク4魔法使いだ。彼のような人物が出版社に引き抜かれたというのは、冒険者ギルドとしては損失なのだろう。その上、社長のラドヴァンは過去の因縁から、冒険者ギルドとはあまり仲が良くない。
(社長、結局パーティの不正は暴いたのかな……?)
何にせよ、冒険者の記事は人気なのだ。過去の因縁があるのは解るが、ビジネスはビジネスとして割り切って欲しいものだと、ゾランはため息を吐いて、発行したばかりの冒険者ライセンスを受け取ると、冒険者ギルドを後にした。
◆ ◆ ◆
カーテンの隙間から、赤毛の青年がギルドから出ていくのを見送って、シキは眉を寄せた。
「はぁ……。『海鳴り』を手放すだと……?」
シキは拳をグッと握り、誰に言うでもなく呟く。『海鳴り』はラドヴァンが冒険者だった頃、何よりも大切にしていた杖だったはずだ。その杖を手放すということは、もう冒険者への未練はないということなのだろう。
溜め息を吐いて、シキは引き出しからカードを取り出す。バレヌ王国の冒険者ギルドが発行する、冒険者のライセンスカードだ。冒険者には下はF級から。上はA級を超えS級が存在している。最も、このS級というものは、ランクというよりも肩書に近い。実績をもつ真の『英雄』だけが持てるライセンスである。S級になるには災害級のモンスターを討伐した実績、数多あるダンジョンの攻略、その上、人格までもが審査される。これまでにS級を認定された冒険者クランは、『剣を掲げよ』ただ一つ。
シキが手にしていたライセンスカードには、『『剣を掲げよ』S級冒険者』という肩書と『ラドヴァン・ルセフ』という名前が刻まれている。
シキは椅子にドカッと腰かけ、天井を仰いだ。何処でボタンを掛け違ったのか、十年以上、この幼馴染みとは疎遠になっている。冒険者になろうと息巻いた時も、故郷を飛び出した時も、クランを結成した時も、隣にいたというのに、今や顔を見ることもなければ、嫌われているらしい。
あの時も、背中を任せて居れば、違ったのだろうか。ギルドマスターなどやらずに、一緒に世界を駆け巡っていたのだろうか。
「――馬鹿が」
誰に対する言葉だったのか。呟きが静かに部屋の中に霧散して行った。
幕間 終