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第19話 近づく距離


 じっとりと額に浮かぶ汗をぬぐって、山を見上げる。山頂まであと少し。今日は天候のせいか、少し蒸し暑い。ゾランは息を大きく吸い込んで岩場を踏み歩く。冒険者の長い列の、一番後ろにくっついて、山を登る。森の方では人が行列を作る様子に警戒しているのか、ホーホーと獣の声がした。


 ゾランは横を歩くエセラインの横顔を見つめる。一歩先を行くライバル。嫌味で、ちょっと嫌なヤツ。そんな風に思っていたけれど、ここに連れて来てくれたのはエセラインで、この同僚は自分の記事もきちんと読んでくれている。実は、嫌なヤツじゃない。どちらかというと、本当は良いヤツ。


『俺は、『宵闇の死神』に家族を奪われた、生存者なんだ』


 感情のない声で、淡々とそう言った言葉が、余計に重く感じる。エセラインの中では、ずっと凍り付いた時間のはずだ。それを、ゾランの記事ひとつで、前向きになったと言ってくれる。


 裏通りにある小さなソルベ屋。美しい氷菓は、食べるものを幸せにしてくれる。それだけの、何気ない記事。


(エセラインの妹さんが、好きだったって言ってたっけ……)


 エセラインと妹が、笑いながら氷菓を食べる景色を妄想する。その幸せな光景が、失われてしまった。喪失感はたとえようがなく、ゾランは何と言って良いのか分からなくなる。


 今にして思えば、ゾランが「コネでもあるのか」と言ったのを怒ったのは、そのこと事態に怒ったわけではないのだろう。エセラインにはもう、家族が居ない。デリカシーに欠ける言葉だった。


「どうした?」


 エセラインが視線に気づいたのかゾランを見る。ゾランは目を逸らして、草を踏む。


「いや――。その……」


「なんだよ」


 口ごもるゾランに、エセラインが肘で突いてくる。


「っ……! 色々、悪かったと思って!」


「は?」


「……だから、ちょっと、デリカシーないこと、言ったりとかしたからっ……」


「ああ――」


 エセラインは菫色の瞳を瞬かせた。なんともバツが悪くて、ゾランは唇を曲げる。


「気持ち悪いな」


「おいっ!」


「嘘、嘘。冗談だって」


「ムカつくヤツ! お前、俺のことそう言う風に思ってたんだな!」


「いや、マジで冗談だって。俺は――お前のこと、好きなんだからさ」


「はっ……!?」


 急に言われて、心臓が跳ねる。血液が一気に顔に集まって来た。


(え、好き……?)


 エセラインがカラカラと笑う。その声が、胸をざわつかせた。


「見てて面白いし、昔飼ってた犬みたい――おっと」


「おいっ!?」


 怒るゾランに、エセラインは「ゴメンゴメン」と口先だけで謝罪する。ゾランは腕を振りながら、先ほどまでの鼓動が急速に収まるのを感じた。


(なんだよ。好きって、そういう……)


 勘違いして、今度は羞恥心がこみ上げる。


(くそっ……)


 一瞬、そういう意味・・・・・・かと思ってしまった自分を恥じる。よくよく考えてみれば、そんな瞬間、一度だってなかったはずなのに。一瞬でも思ってしまった自分が恥ずかしい。


(くそ、イケメンめっ……!)


 深呼吸して、気を取り直す。恥をかいたが、緊張は幾分解れたような気がした。


(……昔飼ってたか……)


 その犬も、今はいないのだろうな。そう思うと、少しだけ寂しかった。




 ◆   ◆   ◆




 鉱山の入り口にたどり着くと、あらかじめ段取りが決められていたらしく、冒険者たちが一気に行動を開始した。ゴブリンたちをあぶりだすため、煙玉に火を点けて坑道内に投げ込む。そこから、一気に騒がしくなった。


「奴らが出て来るぞ! 構えろ!」


 煙に燻されて飛び出してきたゴブリンたちが、奇声を上げながら坑道から飛び出して来る。それを、待ち構えていた冒険者たちの弓が次々と射貫いていった。


「グギャ!」


「ギャア!」


 悲鳴を上げて倒れるゴブリンたち。うち漏らしたゴブリンを、冒険者の斧が容赦なく叩き潰していく。戦闘経験のないゾランは、その光景を見て思わず「ヒッ」と小さく悲鳴を漏らした。


「ゾラン、カメラ!」


 エセラインの声に、ハッとしてカメラを構える。土煙の立ち込める現場にカメラを向けて、シャッターを連続で切った。カメラの先では、ガウリロたちが武器を手に暴れている。その様子を、カメラに収めていく。


 だんだんその光景に慣れて来たゾランは、無我夢中でシャッターを切った。地面にはゴブリンたちの死体が投げ出され、生臭い悪臭を放つ。夢中で写真を撮っていたゾランは、いつの間にか前に出ていたらしく、ブーツでその死体を踏みつけてしまった。ぐちゃりとした嫌な感触に、ゾッとして慌てて足を退ける。


(うっ……。これが、現実か……)


 カメラ越しに見た、新聞に描かれた記事とは違う、現実。荒々しく、乱暴で、戦いというよりも暴力だった。


「あと一波だ! 気合い入れろ!」


「おう!」


 気炎を上げる冒険者に、声が続く。その最中、大量のゴブリンに脚を取られ、冒険者の女が足を滑らせて転倒した。襲い掛かるゴブリンに、思わず「危ない!」と叫んでしまう。


「貫け――『石礫』!」


 隣から声がしたと思うと、ナイフのようにとがった石の礫が、女に襲い掛かったゴブリンの額を貫いた。思わず見上げると、エセラインは素知らぬ顔をしている。女にケガはなかったようで、立ち上がるとまたゴブリンの方へと駆けて行った。


「びっくりした……」


「あると便利だぞ。『石礫』。それほど高くない」


「あー、そう聞くね。俺も買おうかな……」


「これからも現場に出るなら、あった方が良い」


「そうするか……」


 生返事をしながら、足元のゴブリンを見る。そうは言っても、モンスターに攻撃して、血が出る様子を想像すると、放てる気はしなかった。


「俺、冒険者は向いてないかも……」


 込み上げる吐き気を堪えて、ゾランはため息を吐いた。








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