じっとりと額に浮かぶ汗をぬぐって、山を見上げる。山頂まであと少し。今日は天候のせいか、少し蒸し暑い。ゾランは息を大きく吸い込んで岩場を踏み歩く。冒険者の長い列の、一番後ろにくっついて、山を登る。森の方では人が行列を作る様子に警戒しているのか、ホーホーと獣の声がした。
ゾランは横を歩くエセラインの横顔を見つめる。一歩先を行くライバル。嫌味で、ちょっと嫌なヤツ。そんな風に思っていたけれど、ここに連れて来てくれたのはエセラインで、この同僚は自分の記事もきちんと読んでくれている。実は、嫌なヤツじゃない。どちらかというと、本当は良いヤツ。
『俺は、『宵闇の死神』に家族を奪われた、生存者なんだ』
感情のない声で、淡々とそう言った言葉が、余計に重く感じる。エセラインの中では、ずっと凍り付いた時間のはずだ。それを、ゾランの記事ひとつで、前向きになったと言ってくれる。
裏通りにある小さなソルベ屋。美しい氷菓は、食べるものを幸せにしてくれる。それだけの、何気ない記事。
(エセラインの妹さんが、好きだったって言ってたっけ……)
エセラインと妹が、笑いながら氷菓を食べる景色を妄想する。その幸せな光景が、失われてしまった。喪失感はたとえようがなく、ゾランは何と言って良いのか分からなくなる。
今にして思えば、ゾランが「コネでもあるのか」と言ったのを怒ったのは、そのこと事態に怒ったわけではないのだろう。エセラインにはもう、家族が居ない。デリカシーに欠ける言葉だった。
「どうした?」
エセラインが視線に気づいたのかゾランを見る。ゾランは目を逸らして、草を踏む。
「いや――。その……」
「なんだよ」
口ごもるゾランに、エセラインが肘で突いてくる。
「っ……! 色々、悪かったと思って!」
「は?」
「……だから、ちょっと、デリカシーないこと、言ったりとかしたからっ……」
「ああ――」
エセラインは菫色の瞳を瞬かせた。なんともバツが悪くて、ゾランは唇を曲げる。
「気持ち悪いな」
「おいっ!」
「嘘、嘘。冗談だって」
「ムカつくヤツ! お前、俺のことそう言う風に思ってたんだな!」
「いや、マジで冗談だって。俺は――お前のこと、好きなんだからさ」
「はっ……!?」
急に言われて、心臓が跳ねる。血液が一気に顔に集まって来た。
(え、好き……?)
エセラインがカラカラと笑う。その声が、胸をざわつかせた。
「見てて面白いし、昔飼ってた犬みたい――おっと」
「おいっ!?」
怒るゾランに、エセラインは「ゴメンゴメン」と口先だけで謝罪する。ゾランは腕を振りながら、先ほどまでの鼓動が急速に収まるのを感じた。
(なんだよ。好きって、そういう……)
勘違いして、今度は羞恥心がこみ上げる。
(くそっ……)
一瞬、
(くそ、イケメンめっ……!)
深呼吸して、気を取り直す。恥をかいたが、緊張は幾分解れたような気がした。
(……昔飼ってたか……)
その犬も、今はいないのだろうな。そう思うと、少しだけ寂しかった。
◆ ◆ ◆
鉱山の入り口にたどり着くと、あらかじめ段取りが決められていたらしく、冒険者たちが一気に行動を開始した。ゴブリンたちをあぶりだすため、煙玉に火を点けて坑道内に投げ込む。そこから、一気に騒がしくなった。
「奴らが出て来るぞ! 構えろ!」
煙に燻されて飛び出してきたゴブリンたちが、奇声を上げながら坑道から飛び出して来る。それを、待ち構えていた冒険者たちの弓が次々と射貫いていった。
「グギャ!」
「ギャア!」
悲鳴を上げて倒れるゴブリンたち。うち漏らしたゴブリンを、冒険者の斧が容赦なく叩き潰していく。戦闘経験のないゾランは、その光景を見て思わず「ヒッ」と小さく悲鳴を漏らした。
「ゾラン、カメラ!」
エセラインの声に、ハッとしてカメラを構える。土煙の立ち込める現場にカメラを向けて、シャッターを連続で切った。カメラの先では、ガウリロたちが武器を手に暴れている。その様子を、カメラに収めていく。
だんだんその光景に慣れて来たゾランは、無我夢中でシャッターを切った。地面にはゴブリンたちの死体が投げ出され、生臭い悪臭を放つ。夢中で写真を撮っていたゾランは、いつの間にか前に出ていたらしく、ブーツでその死体を踏みつけてしまった。ぐちゃりとした嫌な感触に、ゾッとして慌てて足を退ける。
(うっ……。これが、現実か……)
カメラ越しに見た、新聞に描かれた記事とは違う、現実。荒々しく、乱暴で、戦いというよりも暴力だった。
「あと一波だ! 気合い入れろ!」
「おう!」
気炎を上げる冒険者に、声が続く。その最中、大量のゴブリンに脚を取られ、冒険者の女が足を滑らせて転倒した。襲い掛かるゴブリンに、思わず「危ない!」と叫んでしまう。
「貫け――『石礫』!」
隣から声がしたと思うと、ナイフのようにとがった石の礫が、女に襲い掛かったゴブリンの額を貫いた。思わず見上げると、エセラインは素知らぬ顔をしている。女にケガはなかったようで、立ち上がるとまたゴブリンの方へと駆けて行った。
「びっくりした……」
「あると便利だぞ。『石礫』。それほど高くない」
「あー、そう聞くね。俺も買おうかな……」
「これからも現場に出るなら、あった方が良い」
「そうするか……」
生返事をしながら、足元のゴブリンを見る。そうは言っても、モンスターに攻撃して、血が出る様子を想像すると、放てる気はしなかった。
「俺、冒険者は向いてないかも……」
込み上げる吐き気を堪えて、ゾランはため息を吐いた。