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第17話 思い出の氷菓



 人の気配で目を覚ましたゾランは、すぐ近くにエセラインの顔があって、驚いて飛び起きた。


「わっ!?」


「ああ、起こしたか。これ、取りたくて」


 そう言ってエセラインは枕元に置いてあった筆記用具を見せる。エセラインは風呂から出てきた所らしく、まだ髪が濡れていた。雫がポツリと落ちる。


「あ――……。寝てた……」


「今日は登山してるしな。ベッド使うなら、使って良いぞ」


「あはは……。ソファ行くよ」


 ゾランはのそりと起き上がると、ソファの方へ移動する。ランプの明かりに照らされた、エセラインの背中を見つめた。シャツ越しでも鍛えられた筋肉が解る。剣を使える人間の背中だ。


「――なあ、なんで冒険者、辞めたの?」


 不意に、口から出てしまった。余計なことを聞くつもりはなかったのに、何故か口から吐いて出た。エセラインは一瞬だけゾランを振り返り、また背中を向けた。


「色々あった――」


「ふーん?」


 なんだ。言いたくないヤツか。そう思って、ゾランは唇を尖らせる。少しだけ、面白くない。


「……本当に、色々」


「良いよ。別に。無理しなくて」


 ゾランはそう言って、毛布を被る。これじゃあ、拗ねているみたいじゃないか。ギシ、エセラインがベッドに座った気配がした。


「……冒険者だった頃、すごく――荒れてたんだ」


「……お前が?」


 毛布からチラリと顔を出して、エセラインを見る。薄闇のせいで、表情はよくわからなかった。ランプの光に照らされ、ゆらゆらと影が揺れる。いつも冷静で落ち着いた様子のエセラインが、荒れていたと言われてもにわかに信じがたかった。


「ああ。それで、結構危険なことにも飛び込んで」


「意外」


 エセラインがクッと笑う。エセライン自身、過去の自分の行動に思う所があるのだろう。どこか、自嘲めいた笑いだった。


「ラドヴァンに。社長に、諫められる機会があって――。それが縁で、クレイヨン出版に入ったんだよ」


「へえーっ。そうだったんだ」


(社長、ヒョロヒョロしてるイメージだけど――社長も、元冒険者だっけ)


 意外なことを知ったと、少しだけエセラインのことを知れた気がした。それが、何故か嬉しい。


 エセラインは何か思うことがあるのか、掌を見つめている。その表情が、やけに真剣で、ゾランはエセラインの綺麗な横顔をじっと見つめる。菫色の瞳が、闇に浮かんで見えた。


「俺は、焦ってたんだ。冒険者の時も、記者になってからも。真実がすべて指から零れて消えてしまいそうで。何もかも無駄になってしまいそうで、焦燥感ばかりが募って」


「エセライン……?」


 ゾランはエセラインの弱音を、初めて聞いた。いつも先を行って、クレイヨン出版ではエースで、なんでも出来て、その上冒険者で。ゾランの持っていないものを、たくさん持っていると思っていたのに。


「……ゾランは、『宵闇の死神』って、知ってるか?」


「――『宵闇の死神』?」


 その名前は、ゾランも聞き覚えがあった。バレヌ王国全土を騒がす、連続殺人鬼だったはずだ。神出鬼没で、誰もその正体を見たことがない。宵闇に紛れて現れ、襲撃した先では生存者がいないと言われるほどに凄惨な事件を引き起こすその殺人鬼を、誰が名付けたのか『宵闇の死神』と呼んだ。商人や政治家、大物ばかりが狙われ、紙面も時折騒がせている。


「俺は、『宵闇の死神』に家族を奪われた、生存者なんだ」


「――っ」


 エセラインの告白に、ゾランは息を呑んだ。思わず起き上がり、エセラインを見る。エセラインの表情は解らない。哀しんでいるのか、怒っているのか――。


「いつか、『宵闇の死神』の正体を暴く。そう思って、生きて来た。剣での復讐を考えていた俺に、ペンでの復讐を教えてくれたのが、ラドヴァンだ。復讐を果たすまでは。そう思ってるのに、クレイヨン出版にいると、すごく気持ちが穏やかになって、何もかも悪い夢だったんじゃないかって、そう思うたびに、俺だけが生きていることに罪悪感が募って。そんな風に考えちゃダメだって、自分に罰を与えるみたいに生きてた」


「エセライン……」


 ゾランは、聴いていいことだったのか、迷った。だが、聴いて良かったと、思った。エセラインの胸の内を知ることが出来て、少なくとも、ゾランは良かった。


「氷菓の記事、書いただろ」


「え? あ、うん……」


 急にゾランが書いた記事の話を振られ、戸惑う。


「あの記事を見て、思い出した。妹が、好きだったんだ。俺は、そんな大事なことも忘れて――」


 エセラインがギュッと拳を握る。ゾランは、エセラインが氷菓の店の前で一日中ボンヤリしていた日のことを思い出した。あの時、様子がおかしかった理由を知って、胸が痛くなる。


「幸せな味だって、お前、言っただろ。氷菓を食べて、思い出したんだ。妹も、幸せそうに食べていたって。あの笑顔を、思い出したんだ。ずっと、忘れかけてたのに」


「――うん」


「それで、俺も、笑顔を忘れてたって、気づいた」


 エセラインが、ぎこちなく笑う。


「お前の記事が、そう思わせてくれたんだぞ」


「――え?」


 顔を上げる。エセラインがこちらを見て、微笑んでいた。


「お前は自信ありげに言うけど、いつだって自分の記事に後ろ向きだ。でも、お前の記事は間違いなく、誰かを幸せに出来る。――俺が、そうなんだから」


 自信を持て。そう言って、エセラインはランプの明かりを消した。


「――」


 ゾランは、なんと言って良いか分からず、唇をぎゅっと結んだ。胸が押しつぶされるような感情が、奥底から湧きあがって来る。目の奥が熱い。鼻がツンとする。


 ゾランの目標は、一面を取ることでも、スクープを取ることでもなかった。自分が助けられたように、真実を通じて、誰かを助けたかった。記者を目指したあの日、心に思ったことを、思い出す。


(ラウカ……。俺、理想の記者に、近づけたかな)


 遠い日の憧れを想いながら、ゾランはそっと、瞼を閉じた。








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