首都を抜けると、収穫を待つ夏の麦が拡がる風景が見えてきた。青い空と黄色のコントラストが美しい。辻を行く辻馬車から郊外に向かう馬車に乗り換え、最初の村に向かう。乗り合い馬車に乗っているのは首都を往き来する行商人が多い。皆、大荷物を抱えていた。
「
「ここらの領主様が良い方でね。領主様が首都に行くのに通るからって、領民が定期的に石を拾って草を刈ってるんだよ」
「それは凄い」
御者の言葉に感心して、手帳に書き込む。それをエセラインが覗き込んで、「へぇ」と感心した声を出した。
「何だよ」
「別に。熱心にメモしてるな」
「良いだろ。興味あることは何でも。気になったことは全部。それだけだ」
「記者の鑑だね」
「嫌味なヤツ」
エセラインは「褒めてるのに」というが、とてもそんな気にならない。どちらかというと、馬鹿にされているように思えてしまう。
「――ところで、なんで、誘ってくれたの?」
ガタゴトと、馬車が揺れる。手帳を鞄に仕舞って、ゾランはエセラインの隣に座りなおした。向かいの席では老婆が果実を乗客に手売りしている。
「あ? ああ――。まあ、お前の言う通り。チャンスは、あっても良いだろ」
「え?」
(俺が、チャンスさえあればって、言ってたから……?)
チャンスがあればというのは、ゾランはずっと言って来たし、今もそう思っている。チャンスがあれば記事を書けるかもしれない。けれど、チャンスがなければ何も始まらない。だが、クレイヨン出版は人が少なく、担当が自然と決まっているようなところがあった。チャンスが生まれにくい。ゾランは産休で休職したスタナという女性ライターの代わりにクレイヨン出版に入社した。自然と、彼女が担当していた記事を引き継いだ形だった。不満があるわけではないのだが、一面を書くチャンスは回ってこない。そのことを、ゾラン以外の人間はあまり気にしていなかった。日々の仕事に追われて、それどころではないのだろう。複数ある紙面を、たった四人のライターで埋めなければいけない。
「とはいえ、チャンスって言っても、取材に同行できるだけだ」
「それだって、関われるのと関われないのじゃ、全然違う。今回は無理でも、将来書けるチャンスがあるかもしれないだろ?」
「まあ、な」
ゾランはエセラインの横顔を見上げた。エセラインは淡々とした様子で、あまり表情を変えないが、ゾランには無理だと思っているわけではないらしい。応援しているわけでもないのだろうが、多少は認めてくれているのかも知れない。
(ふーん)
ゾランは無言でエセラインを見上げ、口端を上げた。
◆ ◆ ◆
首都カシャロを発って三日。村を二つ、山を一つ越えた先に、ようやくアシェ山が見えて来た。麓の村であるアシェ村から見える鉱山跡地は、まるで神殿のような厳かさがある。人の手で、目的をもって作られた痕跡だが、自然の中に忽然と姿を表す様は、なんとも言えない壮麗さがあった。
「思ったより賑わっているんだな」
「冒険者も集まっているし、他の記者も来てる。この村の規模だと宿泊先が厳しいか」
村は一時の騒動のお陰で、お祭り騒ぎのようだった。人が集まれば物も集まる。やって来た外部の者たち相手に商売しようと、行商人も集まっているらしい。
(武器を持っているのは冒険者か。あっちは商人だな)
キョロキョロと辺りを見回している間に、エセラインは慣れた様子で住人に聞き込みをし、宿の場所を確認したようだった。ゾランと目が合うと、肩を竦めて見せる。あまり良い情報はなかったらしい。
「やっぱり、宿は一軒しか営業していないらしい。厳しいな」
「取り敢えず、行ってみよう」
そう言って、ゾランたちは村の中央にある大きな宿屋に向かった。木像二階建ての宿屋は、巨大で重そうな屋根の乗った頑丈そうな造りだった。辺鄙な鉱山町のイメージに対して、思ったよりも立派だ。かつてはゾランが想像するよりも、ずっと栄えていたのかも知れない。
「すみません、生憎、冒険者の方で一杯でして……。カシャロ社の方もお見えになったのですが、大所帯ということで、近くの農家をお借りになったようです」
宿の女将が申し訳なさそうにそう言う。ライバル社も苦労しているらしいので、部屋を取るのは難しそうだ。この小さな町に、人口以上の人間が集まっているのだ。当然と言える。
「一部屋も無理かな?」
「すみません」
相部屋でも構わなかったが、それも無いらしい。エセラインは肩を竦める。
「もっと早く出るべきだったか」
「そうだな。いつもこうなのか?」
「まあ、割りと」
そう言うときはどうしているのだろうか。なんとなく、エセラインなら地元の女の子に助けて貰えそうだと思ったが、ヤボなことは聞かないで置いた。
「宿ではありませんが、紹介できる家なら」
「本当ですか?」
「ええ、ここから少し北に行ったところに、昔宿を経営していた家があるんです。そこなら」
「助かります。行ってみますね」
「私からの紹介と言っていただければ、無下にはされないかと」
女将の好意に礼を言い、ゾランたちは言われた家を目指す。村には朽ちかけた家がいくつも点在していた。屋根の崩れた家、草が生い茂り傾いた家。長いこと人の手が入っていないらしい家には、看板が掛けられている。昔は薬屋、散髪屋、酒場などがあったようだ。伸び放題の草が風に揺れている。
「こうしてみると、空き家も多いんだ? 昔はもっと栄えていたのかな」
「鉱山が閉山になる前は、もっと賑わっていたのかもな」
やがて、鬱蒼とした茂みの奥に、ポツンと赤い屋根の大きな家が見えてきた。かつて看板が掛かっていたらしい場所には何もなく、ランプだけが残っている。
「大きい」
「ああ。良い宿だ」
庭先に入ると、すぐに老女が気づいてやってくる。
「おやおや、どうされました?」
「突然すみません。私たちはクレイヨン出版というもので、廃鉱山に現れたモンスターの取材に来たんです。しかしながらこの騒ぎで宿がなく、こちらを『ツルハシ亭』の女将に紹介して頂きました」
「ああ、そうなの。うちはもう宿は閉めちゃったから、たいしたおもてなしは出来ないのだけど」
「とんでもない。眠るところさえあれば」
老女はニコニコ顔で俺たちを促し、宿の中へと案内してくれた。
「私ももう歳だから、部屋は一つしか掃除してないのよ。たまに、巡礼のお客さんが今でも利用してくれるから」
「巡礼、ですか?」
「ええ、ええ。もともとあの鉱山は、女神ドレの祠があってね、古代は金を採掘していたの。祠には青銅の女神像があってねぇ、建てられた当初は金が貼られていたらしいわ。それはそれは、立派な像なのよ」
「へぇーっ。見てみたいな」
「今はモンスターの危険があるな」
盛り上がった気分を、エセラインがすかさず釘を刺す。そのくらいは解っていると、ゾランは舌を出した。モンスターが駆除されないと、祠にも行けないだろう。坑道と祠の位置関係が解らないので、どのくらい危険なのか解らない。
「私が子供の頃は、巡礼のお客さんで一杯だったのよ。でも鉱山が出来て巡礼よりも鉱山労働者が増えて、忘れられてしまったのね」
そういう老女の横顔は、少し寂しそうだった。