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第9話 エセラインの誘い




 海鮮の食欲をそそる香りに釣られるように、ゾランは店の扉を開いた。カシャロにあるシーフードレストラン『潮騒亭』は、海鮮料理を中心にこだわりの食材を味わえるカジュアルなレストランである。


「シュリンプスチームとフライのバケツ一つと、手長エビのグリル。それからビール一つで!」


 名物料理を注文し、ゾランはさっそくやって着たビールを啜った。ここのビールはワインレッド色をした、芳醇で香しい匂いのするビールだ。仕事終わりにグッとビールを啜る。この瞬間が、堪らない。


「ぷはーっ」


 息を吐き出すと、一日の疲れも取れるようだ。


「やっぱり、仕事終わりはビールだよね」

「やっぱ、仕事終わりはビールだぜ」


 と、同じ感想を口にした隣の男を見て、ゾランはギョッとした。ゾランの視線に、モヒカンの男も驚いた顔をする。


「マルコ!」


「おう、兄弟」


 ニヤリと、マルコが笑う。アムステー出版のライターで、ゾランに冒険者の集う酒場を紹介した男。エセラインによれば彼らとマルコはグルで、ゾランのような何も知らない人間をカモにすると言うが――。


「マルコ、あんた……」


「記事はどうした? 取材は上手くいかなかったのか?」


「良く言うよ! どうせ、知ってるんだろ?」


 ゾランだと気づいた瞬間、少し動揺したのを、ゾランは見逃していない。大方、あの二人の冒険者――カジムとアコから、ことの顛末を聞いているのだろう。


「イレギュラーはつきものさ。命があって良かったじゃねえか」


「いつか恨みを買うからな」


「お? ゾランは恨んでないと」


「恨んでるけど! まあ、俺も世間知らずだったし……」


 ハァと息を吐いて、ビールを啜る。寄りによった相手に出会ってしまった。気分よく飲んでいたと言うのに。ゾランの目の前に運ばれて来たバケツに、マルコが先に手を伸ばす。勝手にエビを一つ盗み食いするマルコを、テーブルの下で軽く蹴る。


「おい」


「良いだろ? ケチケチすんな。兄弟」


「誰が兄弟だっ」


 勝手に食べられるのは気に入らなかったが、バケツいっぱいのエビは量が多い。それに、一人で飲むよりも良いような気になった。


「俺は、悩んでるんだよ」


「なんだ? 先輩に相談してみろ」


「先輩ねえ……」


「俺は記者歴十年のベテランだぞ?」


「あー、おじさんか」


「ぶっ殺すぞガキ」


 ゾランは笑って、エビを口に運ぶ。新鮮でぷりぷりの海老は、甘みがあって美味しい。タルタルとチリトマトのソースのどちらも美味しいから、いくらでも食べられてしまう。


「何かいいネタないの? すごい、注目されるような」


「んなもんあったら、俺が書いてるわ」


 それもそうだ。と思い、ビールを啜る。思ったよりも酔いが早い気がする。頬杖をついて、溜め息を吐き出した。


「生活欄の記事は好きなんだよ……。でも、誰も読まないじゃん。俺、役に立ってないなぁ……」


「あん?」


「俺だって、凄い記事……書きたいのに……」


「……青いねぇ」


「せめて、チャンスがあれば……」


 また溜め息を吐いてしまう。後ろ向きな気分は嫌なのに。半ばやけくそに、ビールを一気に呷って、「お代わり!」と叫んだ時だった。


「お前、あんまり飲みすぎるなよ」


 と、背後から涼やかな声が掛かる。驚いて、顔をあげた。


「――エセライン」


「ちょっと良いか」


 エセラインがテーブル席の方を指さす。マルコは目を瞬かせ、肩を竦めた。エセラインがジロリとマルコを睨む。マルコは素知らぬふりをして、視線を逸らした。


「えーと、うん」


 頷き、ビールと料理を手にエセラインの席に向かう。エセラインは今来たばかりなのか、まだ何も注文していなかった。店員をつかまえて、ビールと、ケイジャンとニンニク味のシュリンプを注文する。


「いま来たの?」


「通りから、お前の姿が見えて」


「え。そうなの?」


 それでわざわざ来たのかと、ゾランは驚いた。ビールが届いて、エセラインは一口啜ってから口を開いた。


「雄鳥商店でも取引中止って、聴いたか?」


「あー……。うん、直接聞いたわけじゃないけど……」


「うちは冒険者ギルドと仲が良くないから、今後はもっと厳しくなるだろうな」


「仲が良くないって?」


「ギルドマスターとうちの社長、因縁があるんだと。元々同じパーティー所属の冒険者だったらしいんだけど、ラドヴァンのことを追放したらしい。それで、パーティーの不正を暴いてやるって息巻いて、出版社を立てたらしくて」


「え。なにそのドラマ。っていうか、社長って、元冒険者だったの? 全然……見えないね」


 ラドヴァンは瘦せ型で陰気で、とても元冒険者には見えない。人は見かけによらないものだ。それにしても、パーティーを追放された男と、追放した男では、悪縁にもほどがある。クレイヨン出版が冒険者ギルドに取材の申し込みをしないのは、単純に小さい出版社だからというわけではなさそうだ。


 どうしたものかと悩みながら、ゾランはチラリとエセラインを見る。昨日は様子がおかしかったエセラインだが、今はその面影はない。どうやら、元に戻ったようだ。


(売り上げもヤバイのに、エースが不調じゃ困るからな)


 ゾランが引っ張って行ければ良いのだが、現実にはエセラインの記事は人気だ。今のクレイヨン出版は、エセラインの記事で持っているようなものだった。


 悔しいけど、と涼しい顔のエセラインをチラ見して、ゾランはエセラインの注文したケイジャンソースのエビにも手を伸ばす。ケイジャンソースのおかげで、よりビールに合う味になっていた。エセラインが徐に口を開く。


「ゾラン。俺、ガウリロ戦士団の依頼に同行して、取材することになった。しばらく王都を出ると思う」


「ああ! そうだったな。密着取材させて貰えるんだっけ」


 冒険者の取材とは、うらやましい限りだ。その上、王都の外に出張だ。ゾランは出張に行ったことがないし、羨ましい。


「何処に行くの?」


「アシエ鉱山。閉山して大分たつが、モンスターが巣食ったらしい。領主が依頼主の大きい依頼だ。ガウリロ戦士団以外にも声が掛かってるらしい」


「すごい。特ダネじゃん」


 記事になれば、間違いなく一面を飾るだろう。ガウリロ戦士団が活躍すれば、さらに良い。


「それで――お前も、来ないか?」


「え?」


 思いがけない提案に、驚いて目を瞬かせる。


「長期取材だし、せっかくの密着記事だから写真も欲しい。俺のサポートをしながら、カメラを使って写真を撮ってくれたら」


「行く! 写真も撮るし、下調べもする! 雑用だって!」


 思わず身を乗り出して、ゾランは頷いた。エセラインはホゥと息を吐いて、ニッと笑う。


「よし。じゃあ、社長の許可は俺が取るから。お前は今日は飲むのはほどほどにして、出発の準備を頼む」


「解った。ガウリロ戦士団とはどこで落ち合うの?」


「ガウリロたちはもうアシェ村に向かってるらしい。向こうで会うことになっている」


「了解っ!」


(サポートとはいえ、俺も生活欄以外の記事に、関われるんだ……!)


「あと、お前は生活欄の記事もあるから――」


「大丈夫。ストックもあるし、何とかする!」


 まだ、一歩進んだと言えるような状況ではない。だが、確実に、新しい変化が起きるのだと、ゾランは胸が高鳴るのを感じたのだった。







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