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第7話 裏路地の氷菓



(せっかく、気合入れて来たのに……)


 出鼻をくじかれた気がして、ゾランはため息を吐いた。三番通りにある広場の石畳に打ち捨てられていたのは、クレイヨン出版の新聞だった。新聞は既に何人もの通行人によって踏まれたらしく、土に汚れてボロボロだった。こういう姿を見ると、やっぱり落ち込んでしまう。


(そりゃあ、読み終わったら、捨てるひとだっているだろうけど……)


 ハァと息を吐いて、ぐしゃぐしゃの新聞を拾い、ゴミ箱に捨てる。ゾランは良い記事はスクラップにして保存しているが、多くの人にとってはそれほど思い入れはないだろう。せめて野菜を包むとか、そういう用途に使って欲しいものだと思う。


(ふぅ。気持ちを切り替えないと。取材、取材!)


「えっと……。確かこの通りを入って、奥にある店――だよね」


 目的の店は大通りからずっと外れた、細道のほうにあるらしい。ゾランが事前に口コミで調べた店だ。若い女性客を中心に、たくさんの人が訪れ、休日には行列も出来ると聞いている。裏路地に入り込み、店を探してさ迷う。カシャロの街はいくつもの建物がひしめき、さながら迷路のようでもある。あたりをキョロキョロ見回しながら歩いていると、しばらくして目的の看板を見つけた。濃紺の看板に白い文字で『氷菓ジェニュアル』と描かれている。


 ゾランは店の入り口に近づくと、身分証を出しながら店員に近づいた。


「すみません、クレイヨン出版のゾランと申します」


「ああ、記者さん。こんにちは」


「すごい、美味しそうですね」


 ガラス越しに見えたのは、ボックスの中に詰まったソルベだ。赤いものはイチゴだろう。緑や黄色、青と、色とりどりのソルベが並んでいる。どれも果実の繊維が残った見た目にも美味しそうなソルベばかりだった。


「美味しいですよ。今日はクラウドベリーとブラックベリーがおすすめです」


「じゃあ、それを頂きます。それで、実は取材の申し込みをしたいんですが……」


 ようやく本題を伝えるゾランに、奥の方から店長らしい男性がやって来る。シェフコートを着た、髭の大男だった。


「取材だって?」


「あ、クレイヨン出版のゾランと申します。話題の氷菓があると聞きまして……」


 そう伝えている間に、注文を聞いた店員が手際よくカップにソルベを載せる。その様子に、ゾランは瞳を輝かせた。


「うわああぁぁ……。すごい、綺麗だ。これだけで気分が盛り上がっちゃいますね」


 ゾランの感想に、店長が眉を上げてにやりと笑う。店員は仕上げに新鮮なフルーツを飾り付けてゾランに差し出した。硬貨を手渡し、ソルベを受け取る。


「あ……。まず食べても……?」


「ああ。もちろん。溶けちゃ、せっかくのソルベが台無しだからな」


 ゾランはテラスに用意されていた席に座り、ソルベをひとさじ掬った。黄金の色をした、美しいクラウドベリーのソルベだ。ひやりとした感触が舌の上に乗ると同時に、ふわりと氷が解けて消えていく。ベリーの甘みとさわやかさが拡がり、優しい風味を残して消えて行った。


「んんっ! ……すごく濃厚で、ベリーをそのまま食べてるみたい。いや、それより、もっと濃いかも。それなのに、一瞬で消えちゃって……」


「気に入ったかな?」


 そう言いながら店長がゾランの向かいの席に座った。


「はい。もちろん!」


 ソルベは繊細らしく、そうしている間にもどんどん溶けだしてしまう。ゾランは溶ける前に食べてしまわないと。と、スプーンを動かす。クラウドベリーもブラックベリーも、どちらも美味しい。一口食べるごとに、幸せな気分になれる氷菓だった。


 ゾランが最後の日と口を食べるのを見届け、店長が口を開く。


「フルーツを専用の道具で仕込んで、凍らせて作ってるんです。材料は殆どフルーツだけで、砂糖は使ってません」


 店長の言葉に、ゾランは慌てて鞄からメモを取り出した。どうやら、取材に応じてくれるらしい。


「砂糖を使ってないんですか? それで、こんなに濃厚なんですか」


「道具の開発に時間をかけたんです。これが作れるのは、うちだけですよ」


 ニッと店長が笑う。かなり自信があるらしい。この味なのだから、納得だ。ゾランは頷きながらメモした。


「これだけの味ですから、人気なのも頷けます。どうしてこの場所に出店しようと思ったんですか?」


 大通りでも十分に勝負できる味だ。それなのに、裏通りに小さい店を構えた理由が気になって、ゾランは首を傾げた。店長は苦笑いして看板を見上げる。


「実をいうと、今のように人気になるには、かなり時間がかかったんです。うちは六年前からここにあるんですが、最初は鳴かず飛ばずで……」


 店長は思い出すように、視線をあげた。どのフルーツが向いているのか試行錯誤したり、道具を何度も改良したりと、今の味になるにはかなりの苦労があったらしい。その上、ようやく完成したものの、他の店との差別化に苦労し、長い間なかなか売れなかったらしい。


「今の店があるのは、ずっと支えてくれたお客様と、従業員のお陰だと思ってます」


「大変な努力と苦労の上で、お店があるんですね」


「はい。これからは、お客様と、一緒に働く従業員のみんなに、恩返しをして行きたいと思ってるんです」


 そう言うと、店長は歯を見せてニッと笑った。




 ◆   ◆   ◆




「――裏通りにある氷菓の店には、冷たくて美味しいソルベと暖かな人情が満ち溢れていた……」


 記事を推敲し、ゾランはホゥと溜め息を吐く。予定していた生活欄の記事は、これで問題ないだろう。あとはこれをルカに渡し、タイプライターで清書してもらうだけだ。完成した原稿は印刷所へ回され、明日の朝刊になる。


 無事に原稿が完成したことにホッとし、ゾランは横目にデスクを見た。隣のデスクは、今日は空いている。エセラインは会社に寄らずに帰ったか、まだ取材か。とにかく、事務所にはラドヴァンとルカ、それにゾランの三人だけだ。テオドレもどこかに行っている。


 肩を摩っていると、ルカがコーヒーを運んでくる。


「お疲れ様、ゾラン」


「あ、ありがとうございます」


「いいえ。こちらこそ、マドレーヌありがとう。とても美味しいね」


 エセラインにも渡したマドレーヌだが、たくさん作ったので事務所にも持ってきたのだ。ルカと社長にも好評なようで嬉しい限りである。


「エセラインと、上手くやれない?」


 核心を突かれ、ゾランは目を逸らした。


「済みません……。俺の方が後輩なのに」


「ううん。そうじゃない。彼も色々あるから。でも、ゾランが来てからは、随分笑顔を見せるようになったんだよ」


「そう、なんですか……?」


 ルカがニコリと微笑んだ。ゾランはいつもエセラインに突っかかってばかりだし、ライバル視ばかりしているし、正直、鬱陶しいと思われているのは解っている。だが、自分だって――そう思うたびに、空回ってしまうのだ。


「きっと、ゾランが良い影響を与えてるんだと思うよ。ゾランが入社してから、うちも随分、雰囲気が明るくなったから」


「そうだと良いんですけど」


 そうなら、嬉しい。ゾランはクレイヨン出版で、あまり役に立っていない。読まずに棄てられるような記事を書いているだけで、給料を貰っているのが、心苦しくて仕方がなかった。今はまだ、戦力として未熟だけれど、何かの形で貢献できているのなら、それでも良かった。


(少しずつ。少しずつだ)


 決意を新たに、ゾランはそう言い聞かせるように瞳を閉じた。






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