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第6話 仲直りのマドレーヌ



「そういえば――エセラインは、どうしてここに?」


 ゾランの問いに、エセラインではなくガウリロが答えた。


「俺と手合わせしたのさ」


「手合わせ?」


「ガウリロ。その話は――」


「良いじゃねえか。同僚なんだろ? ガウリロ戦士団を取材させて欲しいっていうんでな。交換条件に、元C級冒険者様と手合わせを願い出たってわけさ」


「え。じゃあ、伝手って――」


 ガウリロのことだったのか。エセラインとガウリロは、手合わせの為にたまたま郊外に出て来たらしい。エセラインたちが来なかったら、今頃どうなっていたのだろうかと、思い出すだけで身体がブルりと震えた。


「じゃあ、エセラインはガウリロ戦士団を追うのか……」


 エセラインは自分とは違い、しっかり仕事をこなしてきたらしい。密着取材となれば、記事の内容も厚みが出るし、なにより独占的に記事を書ける。ガウリロ戦士団はB級も近いと言われている、所謂『次の英雄』だ。彼らの記事はクレイヨン出版の未来を左右するかもしれない。


「……じゃあ。俺は大人しく生活欄の記事を書こうかな……」


「おい、ゾラン」


「頑張って」


 溜め息を吐いて、ゾランはとぼとぼと、元来た道を引き返していったのだった。




 ◆   ◆   ◆




 ダイナーの扉を開いて、ゾランは「ただいま」と声をかけた。『くじらの寝床亭』は相変わらず賑わっており、席はいっぱいだった。


「お帰りなさいゾラン。ごめんね、今、席いっぱいでね」


「ううん。大丈夫。あとでサンドイッチ貰えるかな」


「用意しておくわ」


 ミラにそう言って、ゾランは店の奥にある階段を上っていく。ギシギシと音を立てて上った先に、小さな扉があった。鍵を開いて、中へと入る。この『くじらの寝床亭』の屋根裏にある小さな部屋が、ゾランの家だ。店主のミラが格安で貸し出している部屋で、ベッドと机を置くと、それでめいっぱいの小さな部屋だが、窓から眺める景色が最高で、ゾランは気に入っていた。


 ベッドに座り、ブーツを脱ぎ捨てる。日中にケガをした膝から流れていた血は、すっかり固まっていた。


「イテテ……。はぁ……、まさか、モンスターに襲われるなんて……」


 生臭い息と鋭い牙を思い出すと、ブルリと背筋が震える。あんな状況で、よくも生きていたものだと思う。


 ぽすんとベッドに寝転がり、天井を見つめる。屋根裏の剥き出しになった梁を眺めながら、ゾランはふとエセラインのことを思い出した。血相を変えて、ゾランに駆け寄ってきたエセライン。あんなに慌てた姿は、初めて見た。いつも冷静な彼らしくない。


「……そういえば、助けてもらったお礼、言ってない……」


 何故あの時、お礼を言わなかったのか。どんな顔をしてお礼を言えばいいか分からず、ゾランは顔をムニムニと動かした。気恥ずかしさ、感謝、自分への悔しさ。色々な感情がない交ぜになって、素直にお礼を言える自信がない。


「そうだ」


 ゾランはむくりと起き上がると、布の靴を履いて一階にあるダイナーへと降りていく。ピークタイムを過ぎたのか、客は大分少なくなっていた。


「あらゾラン。サンドイッチ作ったけど、どうする?」


「ありがとう。貰うよ。ミラ、このあと、オーブンを借りても良い?」


「良いけど。何か作るの?」


「うん。ちょっと」


 ミラからサンドイッチを受け取る。薄切りにしたパンに、野菜とハムをたっぷり挟んだサンドイッチだ。チーズも入っている。サンドイッチに齧りつくと、じんわりとうまみが口いっぱいに広がって、ゾランはホッと息を吐き出した。ゾランは改めて、生きていることを実感する。


「うんっ。ハムの塩気と新鮮な野菜、やっぱりミラのサンドイッチは美味しい」


(こうやって、美味しいご飯を食べて居られるのは、エセラインのお陰だよな)


 つい張り合ってばかりだけれど、エセラインは悪い奴じゃない。だから余計に、彼に認めて貰いたいと思う。せっかく同僚なのだから、肩を並べられるようになりたい。


 ハムの塩気が、胸に染みた。




 ◆   ◆   ◆




 ミラに断り、キッチンに立つ。用意したのは卵と砂糖、小麦粉。バターにバニラ豆だ。


「えーと、まずは卵をほぐして砂糖を少しずつ加える……」


 鍋に卵を割り、砂糖を加えて混ぜながらぬるめの温度になるまで弱火にかける。火を通し過ぎると卵が固まってしまう。ギリギリ、固まらないように気を着けながら混ぜていく。最適な温度になったら、火からおろして小麦粉を混ぜ、溶かしたバターとバニラを加えて混ぜる。


「うん。良い感じ」


 生地を型に入れ、オーブンで焼けば完成だ。バターの香りがキッチンに漂う。ミラが鼻をひくひくさせた。


「おいしそうな匂いだね」


「昔、母が良く作ってくれたんだ」


 故郷に居た頃は、よく母の手伝いをしたものだ。卵を割るのはいつだって、ゾランの仕事だった。今では片手で綺麗に割ることが出来る。


「甘くて、幸せな香りだね」


「そうだね」


 ミラが微笑むのに、ゾランもつられて微笑んだ。




 ◆   ◆   ◆




 翌朝、ゾランは新聞を片手にカフェオレを啜るエセラインの向かいの席に腰かけた。


「……よう」


 エセラインは顔を上げて「ああ」と返事する。ゾランはどう切り出そうか散々迷った挙句、無言で紙袋を差し出した。


「? なに?」


「昨日……。助けて貰ったのに、礼も言ってなかったって」


「――なんだ、そんなことか」


 フッと笑って、エセラインが紙袋を受け取る。袋の口を開けると、ふわりと甘い香りが漂った。


「――マドレーヌ?」


「お前朝、いっつもカフェオレだけじゃん。まあ、そういうこと」


「ふぅん?」


 エセラインは袋からマドレーヌを一つ掴み、ぱくんと口にした。他人に自分が作ったものを上げるというのは、なんとも緊張する。それがエセラインとなれば、なおのことだ。


(大丈夫、ミラも味見して、美味しいって言ってくれたし……)


 緊張で、じっとエセラインを見つめてしまう。エセラインはマドレーヌを三口で食べきると、ぺろりと唇を舐めた。


「ん。美味いな。これ」


「! よ、良かった! 子供のころ、友達とケンカすると、母さんが作ってくれてさ。それ、思い出して」


「俺とお前は、別にケンカしてないけどな」


「そうだけどっ。けど……その、コネとか言っちゃったし……。勝手に変な事いって、ゴメン」


 チラリとエセラインを見ると、彼は少し驚いたような顔をして、それからフッと笑った。蕩けるような笑みに、ドキリとする。顔が良いと笑うだけで様になるのだから、ズルイと思う。


「――ゾランが作ったのか?」


「そうだよ。こう見えて、料理だって出来ちゃうんだから」


 と、胸を張って見せる。記者になっていなければ、きっと料理人を目指していたかもしれないと、ゾランは思っている。


「さすが、食いしん坊」


「あのなあ。まあ、確かに食いしん坊は否定しないけどさ。屋根裏に住まわせて貰ってるのは安いしありがたいんだけど、やっぱりキッチンも欲しいんだよな。お金貯めて引っ越したいのに、貯金無くなっちゃったよ……」


「まあ、クレイヨン出版の安月給じゃ、厳しいよな」


「やっぱ、部数伸ばさないとダメだな。よし、頑張らないと!」


 そう言って、ゾランが立ち上がるのを見て、エセラインが顔を上げる。


「もう行くのか?」


「うん。今日は生活欄の取材。会社寄らずに直接行くから。じゃあ、エセラインも、頑張って稼げよ~!」


「……おう」


 ゾランが去るのを見送って、エセラインは「前向きなのは、アイツの良いところだよな……」と呟いた。






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