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第8話 茜空の下で



「取材行ってきます!」


 鞄を担いで元気にそう言うと、ゾランは事務所を飛び出した。ゾランは相変わらず、生活欄の記事を書く日々だ。貯金も無くなってしまったし、無理な取材はもう出来ない。良い経験にはなったが、結局記事にはならなかった。


(三か所取材して、帰ったら資料室に籠って……)


 ここ最近、ゾランは考えを改め、地道に生活欄以外の記事を書けるようになることを模索し始めた。どんな記事に需要があるのか、冒険者の記事や事件の記事をどのように書くのかを知るため、資料室にある過去の記事を読むことにしたのだ。ゾランが新聞を読むようになったのは、七年前。十四歳の頃だ。故郷の田舎では、大手出版社の新聞が二日遅れて届いた。それも、新聞が置かれていたのは村役場だけで、村の人間は新聞を殆ど読んでいないようだった。そんな環境だったこともあり、ゾランは記者を目指して上京したものの、たくさんの記事を読み込んできたわけではない。


「もっと勉強しなきゃ……!」


 階段を下りて、通りを掃き掃除しているワルワラ夫人に挨拶する。まずは二番通りの方へ出ようと、足を向けた時だった。通りの向こうから、エセラインが足早に歩いてくる。


「ん? おーい、エセライン」


 エセラインはゾランに気づいて顔を上げ、それからビクリと肩を揺らした。エセラインの瞳が揺れる。


「? どうかしたのか?」


「あ――…」


 顔色が良くない。手が僅かに震えているのに気づいて、ゾランは眉を寄せた。


「おい、具合でも……」


「お前、今日の記事」


「え?」


(今日の記事? クレイヨン出版の朝刊の話か?)


「今日の記事がどうかした? 何か問題?」


 もしかして、何かやらかしただろうか。サッと顔を青くするゾランに、エセラインが肩を掴む。突然のことに、ゾランは驚いて思わず後退った。


「えっ、ちょっ」


「あの店、どこにある?」


「え?」


 あの店。と言われ、今日の記事が先日取材した、路地裏の氷菓の店だと思い出す。


「氷菓の店のこと? 住所も掲載したと思うけど……三番通りの路地の奥で、見落としやすいんだけど濃紺の看板が目印だよ」


「解った……」


 エセラインはそう呟くと、背を向ける。どうやら、三番通りの方へ向かうようだ。


「あ、おいっ。会社寄るんじゃないのっ?」


 ゾランの声が聞こえないのか、エセラインはそのまま通りの奥へと消えて行った。


「何だ、アイツ……」


 エセラインのことは気になったが、追いかけるわけにもいかない。ゾランは肩を竦め、自分は二番通りの方へと向かった。




 ◆   ◆   ◆




 三か所の取材を終えて、ゾランは予定通りクレイヨン出版へと帰ってきた。一日中歩き回っていたせいで、足がだいぶ痛かった。


(うーん。くじらの寝床亭も良いけど、たまには別の店でご飯食べて帰ろうかな……)


 海老をグリルしたものや、ラム肉の香草焼き、パスタなんかも良いかも知れない。そんなことを考えながら、扉に手をかけた時だった。話し声に、思わず手を止める。


「雄鳥商店でも取引中止か……」


「長年扱ってくださっていたのに、残念ですね」


「あそこは代替わりしたからね。先代のご厚意でおいてもらっていたようなものだから」


 ラドヴァンとルカの話し声に、きゅっと唇を結ぶ。また、契約が切られたらしい。本当に、クレイヨン出版は崖っぷちのようだ。ラドヴァンの陰気な表情が、余計に暗く見える。


「――……」


 ゾランは今帰ってきたように、わざと大きな音を立てて扉を開いた。


「ただいま帰りました!」


「あ。ゾラン、お帰り」


「お疲れ様です、ゾラン」


 深刻な話をやめ、二人はいつも通りゾランを出迎える。ゾランはデスクに鞄を置くと、そのまま資料室の方へと向かう。


「今日も資料読みしてから帰りますね」


「少しくらい休んだほうが良いですよ」


 ルカが微笑みながらそう言う。


「大丈夫です。休憩しながら読むので」


「うんうん。ゾランは頑張り屋さんだなあ」


 二人に見送られ、事務所の奥にある資料室へと入る。資料室は、過去の新聞記事や、取材資料などが保管されている。大切なものなので、持ち出しは出来ない。部屋の中は日が差さないよう窓がないため、少し埃っぽかった。


「えーと、この前は冒険者の記録ばっかり読んだけど……。うちって結構、社会面の記事も多いんだな」


 資料を探りながら見ると、一部の項目だけ、資料が多く保管されている。誰かが重点的にその記事を書いているということだ。


(ん。これ、テオドレの作った資料か……)


 領収証の扱いも適当だし、勤務態度も不真面目なテオドレだが、どうやら取材はマメに行っているようで、資料はかなり細かく丁寧に作られていた。取材相手がどこの誰で、何者だとか、どういう人物と繋がりがあるとか、取材した際のクセまで書かれている。


(うわー、意外)


 パラパラと資料を捲っていると、ゾランも知っている大きな事件も記事にしていたようだ。ああ見えて、優秀な記者らしい。


「あれ? この戸棚は鍵が掛かってるや」


 その戸棚だけ、鍵が掛かっている。ガラス越しにファイルの背表紙が見て取れた。


「……ネマニア事件」


 ゾランは聞いたことのない事件だ。こんな風に厳重に保管されているということは、未解決の事件なのかもしれない。興味は湧いたが、今はそれよりも考えることがある。『売れる』新聞を考えなければ、本当に会社が失くなってしまうかも知れない。


(うーん……。やっぱり、もっと目新しい記事を書かないと、売り上げが伸びないのかな……)


 老舗二社は全国誌なのもそうだが、やはり知名度が違う。アムステー出版はギャンブル関連の記事が強いという特徴がある。ラウカ社は過激でセンセーショナルな記事が多く、購買意欲を掻き立てられる。それに比べると、クレイヨン出版は『普通』だ。


 ゾランは一社員に過ぎないが、他人ごとではない。呑気に構えて何もしないでいれば、来年はここにいないかも知れない。


(やっぱり、何か必要だよな……)


 その『何か』が何なのか、ゾランにはまだ解らなかった。



 ◆   ◆   ◆



 資料読みに没頭していたゾランは、あたりがすっかり暗くなっているのに気がついて、慌てて資料室から飛び出した。事務所ではルカがコーヒー片手にタイプライターを打っている。


「もうこんな時間!」


「随分、こもってたみたいですね」


「うっかりしちゃった……。あれ、エセラインのヤツ、まだ戻ってないの?」


「そうですね。連絡もないんですが……どうしたんでしょうか」


 ボードをみると、エセラインの予定は空欄のままだった。テオドレは『直帰』と記入されている。ゾランは朝方、エセラインの様子がおかしかったことを思い出して眉を寄せた。


(どうしたんだろ……)


 何か事件でもあったのだろうか。そう思い首を捻る。


(まあ、良いか。エセラインなら、危険なこともないだろ。逆に特ダネ拾ってくるかも知れないし)


 ボードの表示を帰宅に変更し、ルカとラドヴァンに挨拶をして事務所を出る。外に出ると、空は赤紫と濃紺の雲に覆われていた。


「うわ、綺麗な空。……そう言えばエセラインのやつ、氷菓がどうとか言ってたっけ……?」


 ゾランが書いた記事のことを、しきりに気にしていた。なんとなく気になって、三番通りの方へと足を向ける。濃紺の看板に白い文字で書かれた『氷菓ジェニュアル』という文字を見たゾランは、その店の前にあるベンチにたたずむ長身の男の姿を見つけ、目を丸くする。


「エセライン?」


 エセラインはハッとした表情で、ゾランの方を見た。


「あ――」


「お前、何やってんの? いつからここに……」


 まさか一日中ここに居たのだろうか。そう思い、顔を顰める。エセラインは動揺した様子で、視線をさ迷わせた。


「――」


 様子のおかしいエセラインに、ゾランはふぅと息を吐き出すと、「ちょっと待ってろ」と言って店のカウンターへと向かう。


「こんばんは」


「あれ? 記者さん。こんばんは。記事見たよ。良い記事を書いてくれてありがとう」


 店長は顔をシワシワにして笑いながら、「記事を見て来てくれる人も居るよ」と言ってくれる。ゾランはそれが嬉しくて、釣られるように笑った。


「良かったです。えっと、まだ残ってます?」


「一番人気のクラウドベリーは売り切れてしまいましたが、ホシイチゴならまだありますよ」


「じゃあ、一つ下さい」


 ホシイチゴのソルベを受け取り、エセラインの方へと向かう。ゾランは無言でソルベを差し出した。


「え……?」


「ん」


 差し出されたソルベを、エセラインが恐る恐る手に取る。その手が、震えていた。スプーンで一匙掬って、口に運ぶ。何かを堪えるような顔をするエセラインに、ゾランは隣に腰かけて空を見上げた。藍色の空には、星が輝き始めていた。


「幸せな味、するだろ?」


「――ああ……」


『氷菓ジェニュアル』のソルベは、食べた人を幸せにしてくれる。店の前でソルベを楽しむ人々は、皆笑顔だ。笑い合いながら、「美味しいね」と囁き合う。その光景が、美しい。


「良くわかんないけど。まあ――元気出せって。お前がそんなんじゃ、張り合いないし」


「……おせっかいなヤツ」


 エセラインの返事に、眉を上げる。横を見れば、先ほどまで白い顔をしていたエセラインだったが、少しは元気になったようだ。その様子に、ゾランはホッとして立ち上がる。


「腑抜けてたら、俺が良い記事書いて、一面取っちゃうからなっ」


 そう言うと、ゾランはその場を立ち去った。エセラインが見ているのは解ったが、振り返ったりはしなかった。





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