「取材行ってきます!」
鞄を担いで元気にそう言うと、ゾランは事務所を飛び出した。ゾランは相変わらず、生活欄の記事を書く日々だ。貯金も無くなってしまったし、無理な取材はもう出来ない。良い経験にはなったが、結局記事にはならなかった。
(三か所取材して、帰ったら資料室に籠って……)
ここ最近、ゾランは考えを改め、地道に生活欄以外の記事を書けるようになることを模索し始めた。どんな記事に需要があるのか、冒険者の記事や事件の記事をどのように書くのかを知るため、資料室にある過去の記事を読むことにしたのだ。ゾランが新聞を読むようになったのは、七年前。十四歳の頃だ。故郷の田舎では、大手出版社の新聞が二日遅れて届いた。それも、新聞が置かれていたのは村役場だけで、村の人間は新聞を殆ど読んでいないようだった。そんな環境だったこともあり、ゾランは記者を目指して上京したものの、たくさんの記事を読み込んできたわけではない。
「もっと勉強しなきゃ……!」
階段を下りて、通りを掃き掃除しているワルワラ夫人に挨拶する。まずは二番通りの方へ出ようと、足を向けた時だった。通りの向こうから、エセラインが足早に歩いてくる。
「ん? おーい、エセライン」
エセラインはゾランに気づいて顔を上げ、それからビクリと肩を揺らした。エセラインの瞳が揺れる。
「? どうかしたのか?」
「あ――…」
顔色が良くない。手が僅かに震えているのに気づいて、ゾランは眉を寄せた。
「おい、具合でも……」
「お前、今日の記事」
「え?」
(今日の記事? クレイヨン出版の朝刊の話か?)
「今日の記事がどうかした? 何か問題?」
もしかして、何かやらかしただろうか。サッと顔を青くするゾランに、エセラインが肩を掴む。突然のことに、ゾランは驚いて思わず後退った。
「えっ、ちょっ」
「あの店、どこにある?」
「え?」
あの店。と言われ、今日の記事が先日取材した、路地裏の氷菓の店だと思い出す。
「氷菓の店のこと? 住所も掲載したと思うけど……三番通りの路地の奥で、見落としやすいんだけど濃紺の看板が目印だよ」
「解った……」
エセラインはそう呟くと、背を向ける。どうやら、三番通りの方へ向かうようだ。
「あ、おいっ。会社寄るんじゃないのっ?」
ゾランの声が聞こえないのか、エセラインはそのまま通りの奥へと消えて行った。
「何だ、アイツ……」
エセラインのことは気になったが、追いかけるわけにもいかない。ゾランは肩を竦め、自分は二番通りの方へと向かった。
◆ ◆ ◆
三か所の取材を終えて、ゾランは予定通りクレイヨン出版へと帰ってきた。一日中歩き回っていたせいで、足がだいぶ痛かった。
(うーん。くじらの寝床亭も良いけど、たまには別の店でご飯食べて帰ろうかな……)
海老をグリルしたものや、ラム肉の香草焼き、パスタなんかも良いかも知れない。そんなことを考えながら、扉に手をかけた時だった。話し声に、思わず手を止める。
「雄鳥商店でも取引中止か……」
「長年扱ってくださっていたのに、残念ですね」
「あそこは代替わりしたからね。先代のご厚意でおいてもらっていたようなものだから」
ラドヴァンとルカの話し声に、きゅっと唇を結ぶ。また、契約が切られたらしい。本当に、クレイヨン出版は崖っぷちのようだ。ラドヴァンの陰気な表情が、余計に暗く見える。
「――……」
ゾランは今帰ってきたように、わざと大きな音を立てて扉を開いた。
「ただいま帰りました!」
「あ。ゾラン、お帰り」
「お疲れ様です、ゾラン」
深刻な話をやめ、二人はいつも通りゾランを出迎える。ゾランはデスクに鞄を置くと、そのまま資料室の方へと向かう。
「今日も資料読みしてから帰りますね」
「少しくらい休んだほうが良いですよ」
ルカが微笑みながらそう言う。
「大丈夫です。休憩しながら読むので」
「うんうん。ゾランは頑張り屋さんだなあ」
二人に見送られ、事務所の奥にある資料室へと入る。資料室は、過去の新聞記事や、取材資料などが保管されている。大切なものなので、持ち出しは出来ない。部屋の中は日が差さないよう窓がないため、少し埃っぽかった。
「えーと、この前は冒険者の記録ばっかり読んだけど……。うちって結構、社会面の記事も多いんだな」
資料を探りながら見ると、一部の項目だけ、資料が多く保管されている。誰かが重点的にその記事を書いているということだ。
(ん。これ、テオドレの作った資料か……)
領収証の扱いも適当だし、勤務態度も不真面目なテオドレだが、どうやら取材はマメに行っているようで、資料はかなり細かく丁寧に作られていた。取材相手がどこの誰で、何者だとか、どういう人物と繋がりがあるとか、取材した際のクセまで書かれている。
(うわー、意外)
パラパラと資料を捲っていると、ゾランも知っている大きな事件も記事にしていたようだ。ああ見えて、優秀な記者らしい。
「あれ? この戸棚は鍵が掛かってるや」
その戸棚だけ、鍵が掛かっている。ガラス越しにファイルの背表紙が見て取れた。
「……ネマニア事件」
ゾランは聞いたことのない事件だ。こんな風に厳重に保管されているということは、未解決の事件なのかもしれない。興味は湧いたが、今はそれよりも考えることがある。『売れる』新聞を考えなければ、本当に会社が失くなってしまうかも知れない。
(うーん……。やっぱり、もっと目新しい記事を書かないと、売り上げが伸びないのかな……)
老舗二社は全国誌なのもそうだが、やはり知名度が違う。アムステー出版はギャンブル関連の記事が強いという特徴がある。ラウカ社は過激でセンセーショナルな記事が多く、購買意欲を掻き立てられる。それに比べると、クレイヨン出版は『普通』だ。
ゾランは一社員に過ぎないが、他人ごとではない。呑気に構えて何もしないでいれば、来年はここにいないかも知れない。
(やっぱり、何か必要だよな……)
その『何か』が何なのか、ゾランにはまだ解らなかった。
◆ ◆ ◆
資料読みに没頭していたゾランは、あたりがすっかり暗くなっているのに気がついて、慌てて資料室から飛び出した。事務所ではルカがコーヒー片手にタイプライターを打っている。
「もうこんな時間!」
「随分、こもってたみたいですね」
「うっかりしちゃった……。あれ、エセラインのヤツ、まだ戻ってないの?」
「そうですね。連絡もないんですが……どうしたんでしょうか」
ボードをみると、エセラインの予定は空欄のままだった。テオドレは『直帰』と記入されている。ゾランは朝方、エセラインの様子がおかしかったことを思い出して眉を寄せた。
(どうしたんだろ……)
何か事件でもあったのだろうか。そう思い首を捻る。
(まあ、良いか。エセラインなら、危険なこともないだろ。逆に特ダネ拾ってくるかも知れないし)
ボードの表示を帰宅に変更し、ルカとラドヴァンに挨拶をして事務所を出る。外に出ると、空は赤紫と濃紺の雲に覆われていた。
「うわ、綺麗な空。……そう言えばエセラインのやつ、氷菓がどうとか言ってたっけ……?」
ゾランが書いた記事のことを、しきりに気にしていた。なんとなく気になって、三番通りの方へと足を向ける。濃紺の看板に白い文字で書かれた『氷菓ジェニュアル』という文字を見たゾランは、その店の前にあるベンチにたたずむ長身の男の姿を見つけ、目を丸くする。
「エセライン?」
エセラインはハッとした表情で、ゾランの方を見た。
「あ――」
「お前、何やってんの? いつからここに……」
まさか一日中ここに居たのだろうか。そう思い、顔を顰める。エセラインは動揺した様子で、視線をさ迷わせた。
「――」
様子のおかしいエセラインに、ゾランはふぅと息を吐き出すと、「ちょっと待ってろ」と言って店のカウンターへと向かう。
「こんばんは」
「あれ? 記者さん。こんばんは。記事見たよ。良い記事を書いてくれてありがとう」
店長は顔をシワシワにして笑いながら、「記事を見て来てくれる人も居るよ」と言ってくれる。ゾランはそれが嬉しくて、釣られるように笑った。
「良かったです。えっと、まだ残ってます?」
「一番人気のクラウドベリーは売り切れてしまいましたが、ホシイチゴならまだありますよ」
「じゃあ、一つ下さい」
ホシイチゴのソルベを受け取り、エセラインの方へと向かう。ゾランは無言でソルベを差し出した。
「え……?」
「ん」
差し出されたソルベを、エセラインが恐る恐る手に取る。その手が、震えていた。スプーンで一匙掬って、口に運ぶ。何かを堪えるような顔をするエセラインに、ゾランは隣に腰かけて空を見上げた。藍色の空には、星が輝き始めていた。
「幸せな味、するだろ?」
「――ああ……」
『氷菓ジェニュアル』のソルベは、食べた人を幸せにしてくれる。店の前でソルベを楽しむ人々は、皆笑顔だ。笑い合いながら、「美味しいね」と囁き合う。その光景が、美しい。
「良くわかんないけど。まあ――元気出せって。お前がそんなんじゃ、張り合いないし」
「……おせっかいなヤツ」
エセラインの返事に、眉を上げる。横を見れば、先ほどまで白い顔をしていたエセラインだったが、少しは元気になったようだ。その様子に、ゾランはホッとして立ち上がる。
「腑抜けてたら、俺が良い記事書いて、一面取っちゃうからなっ」
そう言うと、ゾランはその場を立ち去った。エセラインが見ているのは解ったが、振り返ったりはしなかった。