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第5話 ゾランの失敗




 バレヌ王国の首都カシャロは、城壁に囲まれた都市だ。中心にそびえる巨大な門を中心に、九つの通りが伸びている。古くは町にも名前があったのだが、いつしかその通りの番号で呼ばれるようになったらしい。六番通りを抜けた先にある城門から外に出ると、どこまでも広がる農場がある。カシャロの食を支える巨大な農場には、多くの小型モンスターが出没する。定期的にそれを駆除するのが、冒険者たちの仕事だった。


「郊外には出たことくらいあるんだろ?」


「ええ。ワインで有名なヴィン村や、焼きもので有名なヴァーズなど、取材で行きました」


「ああ、ヴィン村のワインは極上だよなあ。あのワイン畑にゃ、グレートミューサングが出るんだ。知ってるか? アイツらは果実を食い荒らす。退治しても肉が臭せぇ」


「ちょっと隙間があると、入り込んでくるしな。本当に厄介だ」


「なるほど……」


 カジムたちの話を聞きながら、ゾランはペンを走らせる。前にワイン畑を取材したときは、収穫の話ばかり聞いたが害獣の話は聞かなかった。どうせなら、あの時に聞いておけば良かったと後悔する。だが、知っている情報をカジムたちに聞いたことで、より具体的な想像が出来るような気がした。


(十万バレヌは痛かったけど、同行を頼んで良かったかも……!)


 貯金をつぎ込んでしまったが、この取材は『あたり』だと直感した。カジムたちがベテラン冒険者らしいのも幸いだ。ゾランは手ごたえを感じながら、彼らの後に着いていく。道中は、穏やかなものだった。どこまでも続く畑の風景。そよそよと渡る風。しばらく進むと、畑のすぐ近くに林が見えて来た。カジムによれば、魔物たちはこの林からやって来るらしい。


「錬金薬で魔物除けしちゃいるらしいが、効果は微妙なところだな。そんなもんがあるなら、ダンジョンも楽に攻略出来るだろうよ」


「確かに」


「しかし、魔物が居ねえな。誰かが狩りに来たか?」


 アコが地面をじっと見る。足跡や糞などの痕跡を辿って、巣穴を駆除するらしい。冒険者というのは剣をふるったり魔法を使って戦ったりと、華やかな活動をイメージしていたが、思ったよりも地味で地道な作業をしているようだ。


(こういう地道な活動のおかげで、畑が守られてるのか……)


 感心する反面、正直なところ、少しだけがっかりもしていた。これでは、いつもの生活欄の記事となんら変わらない。出来れば、魔物と遭遇して戦闘になるのが望ましいのだが。


「えっと、カジムさんたちは、今までで一番の強敵は、どんな敵でした?」


「ああん? そうだなあ。プレリー山で遭遇した、ツインヘッドディアーだろうな。アイツは魔法も使ってくる。かなり強敵だった」


「アイツに遭遇した時は、生きた心地がしなかったよな」


(ツインヘッドディアーか……。たしかCランク相当のモンスターだって話だよね)


 俊敏な上に魔法も使う、非常に厄介なモンスターだと聞いている。このモンスターは人里にはめったに降りてこないので、もし集落近くに出たら大騒ぎになるだろう。


「すごいですね。倒したんですか?」


「はは。倒したというか、まあ、倒された、という所だな」


「近くにいた『鉄剣戦士団』って奴らに取られちまってな」


「『鉄剣戦士団』ですか。聞いたことないですね」


「ああ。二年くらい前に解散しちまった。結構、強かったんだけどな」


 頷いて、ゾランは『鉄剣戦士団』とメモに記した。引退してしまった冒険者という話に、少しだけ興味が湧いた。強かったと言うのなら、過去の新聞に記事が残っているかもしれない。


「しかし当てが外れたな。このままだと手ぶらで――うっ!?」


 カジムが表情を変える。アコも、短剣に手を伸ばして林の奥を睨みつけた。ふわり、生臭い臭いが空気に混ざる。ゾランはゴクリと喉を鳴らした。


「何かいやがるな……」


 静かだった林が、ザワザワと音を立てる。鳥たちが一斉に羽ばたく音が聞こえた。何かが、来る。


「来るぞ!」


「チッ!」


 カジムが剣を抜いた。ゾランは鞄を前に構え、前方を見つめる。木がバキバキと音を立て、引き裂かれる。獰猛な獣の声があたりに響き渡った。


「グルルルル……!」


 生臭い息を吐き出し、木の陰から赤い毛皮の熊が現れた。ぞくり、背筋が粟立つ。のそりと立ち上がった赤い熊は、大人の男の身長をはるかに超えていた。


(で……かいっ……!)


「っ! レッドウェアベアだ!!」


「Cランク相当の魔物だぞ!? どうしてこんな街の近くにっ!!」


「こいつの相手は無理だ! 逃げるぞ!」


「えっ!」


 カジムの声に、アコが走り出す。左右に分かれて走り出した二人に、ゾランは一瞬どうして良いか分からず反応が遅れてしまった。


「あっ、待っ……!」


 慌てて追いかけようとしたゾランの背中に、生臭い空気が漂う。獣の匂いと、体温を感じて、ゾクリと背筋が粟立った。


「あ――」


 足が地面にくっついてしまったかのようだ。すぐに走らないと。そう思っているのに、ガクガクと震えるばかりでピクリとも動かない。レッドウェアベアの鋭い牙から、だらりと唾液が零れ落ちた。


「っ――」


 頭が真っ白になって、地面に尻もちをつく。カジムたちはゾランを助けに来る様子はない。あっという間に走り去って、居なくなってしまった。どうやら、見捨てられたらしい。


(どうしよう。どうしよう)


 あの二人が戻って来て、倒してくれないだろうか。ゾランが居ないことに気が付いて、助けに来てくれるんじゃないか。そんな甘い妄想が、脳裏をかすめる。だが、そんな妄想とは裏腹に、現実ではゾランは一人、モンスターの餌食になりかけている。


 じりじりと、目線を合わせたまま後退る。レッドウェアベアは瞳をギラギラさせてゾランを見つめていた。


(どうしよう、どうしよう)


 ゾランは丸腰で、ナイフの一本も持っていない。武器になりそうなものは愛用のペンくらいのものだった。魔法はあまり得意ではなく、喉を潤す程度の水を生成する『水滴』と、火おこしにつかう『種火』。あとは使用できない魔法があるだけだ。


(こんなことなら、『石礫』くらい買っておけばよかった……!)


 それよりも、こんな取材に来たことを、後悔する。おとなしく生活欄の記事を書いていれば、こんなことにはならなかったのに――。


(もう、ダメだっ……!)


 頬に生臭い唾液が零れ落ちた。赤い口を大きく開けて、レッドウェアベアが近づいてくる。


(父さん、母さん、社長、ルカ、テオドレ……エセラインっ……!)


 牙が迫る。ゾランの頭をかみ砕こうと、レッドウェアベアが迫ってくる。


 ゾランは歯を食いしばり、拳をレッドウェアベアの口に突き出した。


「燃えろ――『種火』!」


 小さな炎が発現し、ゾランの手の中に握っていた袋に着火した。袋は燃え上がり、中身のコショウを一気にぶちまける。


「グルルル、グルルルゥ!!」


 レッドウェアベアが頭を大きく振りかぶり、暴れ出す。コショウがきいたのか大声を上げて暴れ出した。


「げほっ! げほっ!」


(いまだっ……!)


 コショウのせいでむせ返りながら、ゾランは這うようにその場から逃げ出す。何とか立ち上がろうとするが、足に力が入らない。


「くそっ、動けよ、足っ……!」


 ガクガクする足を無理やり動かし、林を駆け抜ける。背後でレッドウェアベアの獰猛な唸り声が聞こえた。


(マズいっ……!)


 あの巨体にぶつかられたら、ただでは済まない。誰か人のいる場所に逃げなければ。そう思い、走る。レッドウェアベアは相当に怒っているようで、木々にぶつかりなぎ倒しながら迫ってくる。


「くっ……!」


(エセラインに、謝ってない、のにっ……!)


 別れ際の、冷たい表情を思い出す。あんな顔が最後だなんて。


 林の入り口が見えた。あと少しだ。畑に行けば、誰かはいるだろう。助かる可能性もゼロではないかもしれない――。


 そう思った、その時だった。


「あっ!」


 ガッ! 木の根に脚を取られ、ズザザザと土煙を上げて転倒する。背後に感じる気配に、ゾランは死を覚悟した。


(ああ――、俺、死ぬ――)


 そう思った、その時だった。一瞬、誰かが自分を呼んだ気がした。


 ヒヤリ。空気が冷える。目の前を雪の結晶が舞ったのを見て、ゾランは顔を上げた。


「え?」


 ゾランの呟きと同時に、涼やかな声が林に響いた。


「凍り付け――『氷晶』!」


 バキバキと、地面が凍っていく。レッドウェアベアの足元が、青白い氷に覆われていく。氷の呪縛から逃れようともがいていたレッドウェアベアだったが、徐々に白く染まっていき、やがて巨大な氷柱へと変わってしまった。


「たす……かった……?」


 助かった。そのことに気づいて、へにゃりと身体から力が抜ける。


「あ、はは……、助かった……。助かったの、俺……」


 実感がわかず、空笑いが出る。同時に、涙がジワリと浮かんできた。脚はガクガクするし、肘も膝もすりむいている。ズキズキと身体が痛むのを感じて、生きているのだと思い知った。


「――っ…!」


 怖かった。死ぬかと思った。震える肩を抱いて蹲るゾランの耳に、聞き覚えのある声がした。


「ゾラン!」


「――え?」


 驚いて、顔を上げる。目の前に、青い顔をして駆け寄る、エセラインの姿があった。


「なん……で」


「この、馬鹿っ……!」


 エセラインは拳を振り上げたが、行き場所を見失ってその手を力なく下した。ゾランの肩を掴み、ハァと息を吐く。


「何やってんだ……」


「なんで、エセラインが……ここに?」


 ドクドクと、心臓が鳴る。先ほどの声を思い出し、胸がざわめいた。


(さっきの魔法――……)


 エセラインだったのだ。助かった。助けられた。エセラインの顔にホッとして、腕にしがみ付いて息を吐く。


「~~~~っ、死ぬかと、思った……」


「お前な……っ」


 エセラインが眉を寄せる。何か言いたそうだったが、溜め息と共に呑み込んだようだ。


「おーい。エセライン!」


 林に、男の声が木霊した。エセラインが声の方を振り返る。ゾランもつられるようにそちらを見た。


「うお。カチカチじゃん。これ、レッドウェアベア?」


 やって来た男は、鉄製の鎧を身に着けた、冒険者風の男だった。カジムやアコよりも、ずっと強そうだとゾランは思った。


「ガウリロ」


「Cランクモンスターを一撃なんて。やっぱ、俺たちの戦士団に入った方が良いぜ、エセライン」


 ガウリロと呼ばれた男の言葉に、エセラインは肩を竦めた。ガウリロは白い歯を剥いて豪快に笑いながら、ゾランの方を見る。


「えっと……?」


「この先の山でな、騎士団が大規模な魔物討伐訓練をしたらしい。餌がなくなってレッドウェアベアが山から降りたのさ」


「そう――だったんですか……」


 ようやく落ち着いてきたゾランは、エセラインの手を借りて立ち上がった。靴も服も土だらけだし、すりむいた傷がズキズキと痛む。


(災難――でも、助かったことを思えば、ラッキーか……)


 ガウリロは凍り付いたレッドウェアベアが気になるらしく、コンコンと氷を叩いている。エセラインがゾランの方を見た。


「それで、なんでお前、こんなところに居るんだ」


「それは――……」


 仕方がなしに、経緯を話す。カジムとアコはどうしただろうか。二人のことを心配しながら話すゾランに、エセラインが溜め息を吐いた。ガウリロがニヤニヤと笑う。


「ゾランって言ったか」


「はい?」


「あんた、それ。騙されたなあ」


「え? 騙す……?」


「……アムステー出版のマルコだろう。アイツはそう言う奴なんだ」


「え? ちょっと待って、どういう事?」


 騙されたなどと、思っても見ない言葉に、動揺して目をさ迷わせる。エセラインが腕を組んでゾランを見下ろした。


「まず、ギルドを介さない取引は除名対象だ。依頼主を守るため、必ずギルドを通す必要がある」


「そいつらはせいぜい小遣い稼ぎってところだろうが、最悪の場合だと殺されるぞ。モンスターにやられて死体も残ってません、なんてことだって出来るんだ」


 ガウリロの言葉に、ゾクッと背筋が震えた。


 ギルドを通すと言うのは、信頼を得るということに等しいのだ。ギルドを介した依頼の場合、冒険者は依頼主を守る義務が発生する。守れないような契約の場合は、最初から契約しない。実力に見合った依頼を受けるのが原則らしい。今回の場合はゾランは直接取引をした。取引の実績はなく、契約書もない。つまり、彼らの冒険にゾランが勝手についていったということになるのだ。身を守るのは、自己責任ということだ。


「そもそも、この辺の林の脅威度なら、相場は三千から五千バレヌってとこだろう。マルコとグルになって、何も知らない商人やら新人冒険者やらを食い物にしてんだよ」


「え? じゃあ、俺の十万バレヌは」


「授業料だと思ってあきらめるんだな」


 その言葉に、ゾランはガックリと肩を落とした。取材は中途半端で、お金は戻ってこない。カジムやアコに文句を言っても無駄なようだ。下手につつけば、ゾラン自身がギルドからの信頼を落としかねない。泣き寝入りするしかないだろう。


「最悪だ……記事も書けないし、本当に、最低……」


 ぐずぐずと鼻を啜るゾランに、エセラインは肩を竦める。


「あ! そうだ! なあ、こんな都市の近くにCランクモンスターが出没したなんて、ニュースだよな! 記事になるよな!?」


「あ――? ああ……」


 いいアイデアだと顔を上げたゾランに、エセラインが深く溜め息を吐く。


「お前な、その記事、『クレイヨン出版の社員が討伐』って書く気か?」


「あ」


(なんだろう。事実なのに、すごい自作自演みたいな……)


 エセラインの言わんとするところが解って、しゅんとうなだれる。いいアイデアだと思ったのに、上手くいかないものだ。


「出版社の人間じゃなくて、C級冒険者として書いたらいいだろ?」


「C級冒険者? え?」


 誰のことだ。そう思ったが、ガウリロの視線の意味を察してエセラインを見た。エセラインは無言で、唇を真一文字に結んでいる。


「え!? おまっ……」


「ライセンスなんか、持ってるだけだ。今は活動していないし、関係ない」


 ゾランは絶句してエセラインを見る。C級冒険者と言えば、ベテランの部類だ。エセラインはまだ若いし、今は活動していないのだから、相当に優秀だったのだろう。思いがけない事実に唖然とする。


(確かに、レッドウェアベアを一撃だったし――そんなに、強かったのか……)


 ガウリロはエセラインが記者をやっていることが不満らしく、冒険者になったほうが良いのにと口にする。


(記事を書けばエースで、冒険者としても優秀とか……)


 レッドウェアベアに追い回され、すっかり気力を失くしてしまったゾランは、何もかも持っているエセラインを前に、自分の無力さを嚙み締めた。










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