(記事を書くのは楽しいけど、事務作業って苦手だなー……)
領収書を纏めながら、ゾランはチラリとエセラインを見た。エセラインは淡々とペンを走らせている。その姿を見て、ゾランは再び机にかじりついた。
「おはようございます」
ガチャリと扉を開いて、褐色の肌にミルク色の髪をした男が入ってきた。クレイヨン出版の秘書兼経理兼事務担当の、ルカだ。
「おはようルカ」
「おはようございます」
ルカに遅れて、もう一人男が入ってくる。あくびを噛み殺し、頭を掻きながら面倒そうにしている体格の良い大男。先輩ライターであるテオドレである。
社長のラドヴァン。秘書のルカ。ライターはテオドレ、エセライン、ゾランの三人。全部で五人しかいない、この小さな出版社が『クレイヨン出版』である。
「おーっす。おいルカ、これ領収書」
そう言ってテオドレが、ポケットからクシャクシャになった紙を手渡す。ルカはそれを見て、ムッと顔をしかめた。
「テオドレさん。経費申請されるなら、ちゃんと様式にしたがって提出してください。それになんですか、このゴミみたいな領収書!」
「オレの仕事はライターだろ。事務仕事はお前の仕事。ホラ、受けとれよ」
「チッ……」
ルカは舌打ちして、嫌そうにしながら領収書を受け取った。その顔が、領収書を見てさらに歪む。
「はぁ? なんですかこの領収書。あなたの酒代でしょ! こんなもの、経費になるわけないでしょうがっ!」
「なるだろ! オレは取材のためにわざわざ足を運んで、聞き込みをしてだなぁ!」
「そんなもの、認められるはずないでしょう!」
「情報料だろ! こういうのは!」
「ダメです!」
ビリビリと、テオドレの鼻先で領収書が引き裂かれる。
「ああぁぁあ!! てめぇ……っ! おい、ルカ!」
細切れになった領収書をかき集めるが、すでに遅い。ルカが冷ややかな目でテオドレを見下ろした。
「良いですか。うちの財政は、非常に厳しいんです! 下らないこと言ってないで、さっさとスクープ掴んでこい!」
その様子を見ていたゾランは、ビクッと肩を震わせて、手にしていた領収書をそっと鞄にしまい込んだ。ラドヴァンは新聞を拡げて見ないふりをしている。
「じゃー、取材行ってきます」
と、エセラインが立ち上がる。この空気の中に居たくないと思ったゾランも、一緒に立ち上がる。
「おっ、俺も! 行ってきます!」
エセラインが「真似すんな」とボソリ呟く。ゾランは「うるさい」と歯を剥いて、エセラインの背を追いかけた。
逃げるように会社を後にし、石畳の道を歩く。ゾランは路地の店先のガラス窓を見て、乱れた赤毛を直した。ゾランは息を乱しているのに、エセラインはいつも通りだ。
「あー、怖かった……。ルカって怒ると怖いんだ……」
「まあ、テオドレが悪い。書類まともに作ったことないし」
「あの人、本当に不良社員だよね……。俺、賭博場に出入りしてるの見たよ」
「まあ、ムラはあるけど、たまに良い記事書くから」
「ムラか~。まあ、生活欄書いてる俺が言えることじゃないか」
自社での貢献度といったら、エセラインが一番で、次がテオドレだろう。社長のラドヴァンが書くこともある。売り上げに直結するような記事を書いていないゾランが、口を出せる話ではない。
「……お前のそれ」
「ん? あ、なあ、エセライン。お前取材費ってどうしてる?」
「――。あー、まあ、自腹切ることも多い」
「だよなあ……」
ゾランは鞄に突っ込んだ領収書を想い、溜め息を吐く。『魔法猫のワイン』は美味しかったが、その分お値段も高かった。手が届かないほど高級なワインではないものの、ゾランの給料では日常的に楽しめる価格ではない。だが、先ほどのルカの剣幕や家賃も滞納するような状況では、申請し難いではないか。もう一度「ハァ」と溜め息を吐いたゾランに、エセラインがチラリと見下ろしてくる。
「ゾラン」
「え?」
「それは申請して良いだろ。テオドレのとは、質が違う。確かに――
「……」
自分の行動が読まれていたことと、エセラインがそんなことを忠告してくるとは思わず、ゾランは目を瞬かせた。なんとなくこそばゆくて、口元をムニムニと動かす。
「ん――、まあ、さっきは、タイミング悪かったから……。あ! お前、それよりうちってヤバいのかな。もっとスクープとか取らないとまずいよな!?」
「あ――……。まあ、あった方が良いだろうけど。そう簡単に、事件は転がってないだろ」
「そりゃ、そうだけど……」
「まあ、今の状況が続けば、経費どころか給料だって危ういかもな」
エセラインの呟きに、ゾランは「だよな」と言って顔を上げた。
「やっぱ、生活欄の記事なんか書いてる場合じゃないよな!」
「――おい」
「何だよ。お前もスクープ持って来いよ。エース様」
「……伝手はある」
嫌味を込めて『エース』と呼んだゾランに、エセラインは呆れて溜め息を吐いた。ゾランは『伝手』と聞いて眉を寄せる。
「なんだよ、ズルイの! もしかして親のコネとか?」
軽口をたたいたゾランに、エセラインが急に立ち止まった。しばらく歩いてそれに気づいたゾランは、どうしたのかと思い振り返った。
「? エセライン?」
ゾクリ。背筋が粟立つ。エセラインから立ち昇る雰囲気に、一瞬気圧された。
(っ……、怒って、る……?)
「な、なんだよ。急に立ち止まって」
なだめるように伸ばした手を、エセラインが振り払った。パシンと、思いのほか大きな音がして、驚いて目を見開く。エセラインは急に進む道を変え、「冒険者ギルドの方へ行くから」と立ち去って行く。取り残されたゾランは、呆然としてその背中を見送った。
「――な、なんだよ……。エセラインのヤツ……」
あんな顔、するなんて――。
(俺、なんか変なこと、言った……?)
良く分からないが、何かマズかったのだけは解った。チクり、胸が痛む。振りほどかれた手よりも、心臓の方が痛かった。