「A級冒険者の『翠緑の翼』が、また大活躍したってよ! やっぱ『疾風迅雷のミラン』は最強だぜ!」
食堂の一角で、男が興奮気味に声をあげる。手にしているのは今朝刷られたばかりの新聞だ。男の話を聴こうと、テーブルの周りにはあっという間に人集りが出来る。
「おい、詳しく聞かせてくれよ」
「ミランっていや、S級も近いって噂だろ?」
「いやいや、それよりも『青炎の魔女オリガ』だろっ。あの娘まじで可愛いんだ」
食堂の客たちは冒険譚に興味津々で、男にもっと聞かせろと詰め寄った。冒険とは縁遠い一般人の娯楽と言えば、冒険者たちの活躍だ。『推し』ている冒険者が活躍したとなれば、飲めや食えの大騒ぎである。話題になっている冒険者は現在、このバレヌ王国の首都カシャロでもっとも熱い冒険者たちだ。
盛り上がる店の連中を横目に、赤毛の青年ゾランは、新聞を取り出すと、咳払いをして大きめの独り言を呟いた。
「おっ。ヴィン村のワイン、収穫が始まったのかーっ。魔法猫の守るワインだって、すごいじゃん」
ゾランの声に興味を持ったのか、何人かがこちらを向いた。だが、話題が何の変哲もないワインの話だと知って、すぐにそっぽを向いてしまう。
「それで、英雄様の次の獲物はなんなんだ?」
「……」
無反応な面々に、思わず手にしていた新聞をぐしゃりと握る。唇を真一文字にして、ゾランはフンと鼻を鳴らした。
(ふん、なんだよ。冒険者、冒険者って。お前が毎日飲んでるワインを作っている醸造家の方がスゲーだろうがっ!)
フンと鼻を鳴らしながら、ソーセージにフォークを突き立てる。そのまま勢いよく口の中に放り込んだ。ジュワっと、肉汁が口の中に溢れ出す。ソーセージの塩気と、ハーブの香り。『くじらの寝床亭』名物の手作りソーセージは、今日も変わらず美味だった。先ほどまでは不機嫌だったゾランも、ソーセージの美味しさにホワンと頬を緩める。
(うーん。この豚の旨味。やっぱり最高!)
ソーセージを咀嚼していると、テーブルに陰が差した。顔を上げると、金色の髪をした優男が、さも当然のように、向かいの椅子に腰掛ける。
「錬金術ギルドに監査が入るってさ。あそこは労働環境が悪いって、評判だもんな」
「エセライン! てめえ、勝手に相席すんなよ」
エセラインはカフェオレを片手に、悠々と新聞を拡げる。その仕草が、妙に様になっていて、ゾランは余計に腹が立った。
「おいっ! 無視すんな!」
「別に俺だって、好き好んで一緒の席に座っている訳じゃない。知り合いなのに別の席に座ったら、ミラに迷惑だろ? こんなに混雑してるんだ」
「うぐぐ……。俺は朝飯はゆっくり食いたい派なのにっ……」
エセラインの言う通り、店の中は混雑して、席は一杯だった。女主人であるミラも、忙しそうにしている。
唇を曲げて、焼きたてのパンをちぎって齧りつく。皮はパリパリ、中身はふっくらとしたパンだ。香ばしい香りが食欲をそそる。
エセラインは相変わらず、澄ました顔でカフェオレを啜っている。このエセラインという同僚が、ゾランは気に入らない。中途採用だったゾランとは半年の差があるとはいえ、二人は同期だ。だが、差をつけられているというのが現状だった。
新聞を捲って、エセラインが呟く。
「冒険者『銀の盾』、『青銅騎士団』、『
どうやら独り言を言ったわけではないらしい。ゾランは眉を寄せて、フォークでエセラインを指した。
「その三つはA級冒険者だぞ。どこのバカがそんなデマ書いたんだ。どうせアムステー出版だろうけど」
あそこは低俗なゴシップばかり書くと、相づちを打つ。『銀の盾』、『青銅騎士団』、『黒羊騎士団』は、王国でも指折りの冒険者だ。スキャンダルをでっち上げ、売り上げを伸ばそうと言う魂胆に違いない。そう思って発言したゾランに、エセラインが呆れ顔で新聞を手渡してきた。
「残念だが、お前の大好きなラウカの記事だぞ」
「えっ!」
思わず椅子から腰を浮かせ、奪い取るように新聞を手にする。ラウカ社と書かれた新聞の一面には、大きく『三大冒険者クラン、ダンジョン攻略の入札を巡り談合か』とある。記事を書いた記者の名前は、ラウカ・ハベルと書かれていた。
「なんだよっ、ラウカの書いた記事じゃん! じゃあガチだ! チクショウ、汚い冒険者どもっ!」
俺の反応に呆れた顔をして、エセラインは「ラウカの何が良いんだか」と言いながらソーセージを勝手に摘まみ食いする。
「あっ! お前っ!」
「ん。美味い。さすがはミラの自家製ソーセージ」
「欲しけりゃ自分で注文しろよ!」
「俺は朝は食わない派なんだよ」
「はぁ!? じゃあ食うな!」
ポン。エセラインがラウカ社の新聞を、ゾランの頭の上に載せた。
「あ?」
「もう読んだからやる」
「っ、そんなことで許すと思うなよっ! 貰うけど!」
エセラインが立ち上がるのに続いて、ゾランも立ち上がる。新聞を丁寧に折り畳み、鞄の中にしまい込んだ。
◆ ◆ ◆
「ラウカの記事なんて、久し振りだ! 帰ったらスクラップにしなきゃ」
鼻唄でも歌い出しそうな様子で歩くゾランに、エセラインが肩を竦める。
「そんなにラウカが好きなら、ラウカ社に入れば良かったじゃないか」
「はっ……入れなかったの! 別に、俺が能力不足な訳じゃないからな。ただ、募集がなかったんだ」
「はいはい」
「それにっ! クレイヨン出版も好きだし。まあ――記事はちょこっとしか書かせて貰えてないけどさ」
「ああ、『魔法猫のワイン』だっけ」
「! なんだよ。読んだのかっ?」
ゾランは反射的にエセラインを見上げた。横に並ぶと、目線が少し高いこの男は、相変わらず表情を変えずにいる。ゾランになど興味がないように振る舞っているが、『魔法猫のワイン』の記事は読んだらしい。今朝発行されたクレイヨン出版社の新聞の、小さな記事だ。入社して以来、ゾランは生活に密着した生活欄の記事しか書かせて貰えていない。「人里では珍しい、トレジャースワロウが巣を作った」とか、「迷い猫が水路に落ちて救出された」とか、そういう身近な記事ばかりだ。
「ヴィン村って、ワインの産地なんだけどさ。ブドウ畑がすっごい広くてさ。ワインの試飲もさせて貰ったんだけど、もう、その辺の店で飲むワインとは比べ物にならないくらいまろやかで……」
「お前って、食べることに関しては鼻が利くよな」
「あ!? 食べることに関して『は』って、どういう意味だっ」
せっかく見直したのに。ブツブツ呟くゾランに、エセラインが鼻を鳴らした。
「そういうお前こそ、俺の記事読んだのか?」
「嫌味なこと言うなよ。一面取っておいて。そもそも、読まなくたって、くじらの寝床亭で大騒ぎだったじゃんか」
クレイヨン出版が発行する新聞の、今日の一面が『翠緑の翼』の活躍の記事だ。ここ最近のクレイヨン出版の一面記事は、ほとんどがエセラインが取材したものだった。
「そうは言っても、後追い記事だからな。『翠緑の翼』ともなると、直接取材が難しい」
「ふうん? 生活欄書いてる俺からすれば、贅沢な悩みって感じ」
溜め息を吐き、ゾランは石造りのビルの扉を潜り抜け、階段を上る。と、上層から怒鳴り声が聞こえて来て、ゾランとエセラインは立ち止まって顔を見合わせた。
「今月の家賃、どうなってるのかしら!? ラドヴァンさん! あなた、先月も滞納したでしょう!?」
「あー、申し訳ないワルワラ夫人。今月の入金がありましたら、必ず……!」
「あなた、先月もそう言ってたじゃない!」
ゾランたちは目を合わせ、苦笑いしながら階段を上がっていく。二階の扉の前で、恰幅の良い女性と、ヒョロリとした細身の陰気な雰囲気の男が、ギャアギャアと騒いでいた。
「おはようございます、ワルワラ夫人。ラドヴァン社長」
「あら! エセライン。今日もイケメンねえ。記事も読んだわよぉ。あなた優秀なんだから、こんな潰れかけた出版社なんて辞めて、カシャロ社にでも入れば良いのに」
「そうなったら、夫人にお会いできなくなるじゃないですか」
「あら。お上手ね。ラドヴァンさん、良いこと。月末までに払えなかったら、出て行ってもらいますからね!」
ワルワラ夫人はぷりぷりと肩を怒らせ、階段を下りていく。その様子を見送って、ラドヴァンはハァと溜め息を吐き出した。
「いやあ、参った参った」
「ちょっと社長、大丈夫なんですか?」
「んー。何とかなるさ。ルカもやりくりしてくれてるし」
心配そうな顔をするゾランに、ラドヴァンはカラカラと笑う。ゾランは
「大家さん、俺のこと無視してた」
「そりゃあ、お前。顔だよ顔。エセラインの美しい顔と、ゾランの――愛嬌のある顔。そりゃあ、夫人だって美しい方が好きさ」
「気を遣ってくれてどうも」
ゾランはラドヴァンに舌を出して、デスクに座った。鞄の中から取材ノートとスケッチブック、筆記用具を取り出す。エセラインも隣の席に腰かけた。
「実際、部数が落ちてるんですか?」
エセラインの言葉に、ラドヴァンが目を逸らす。その様子に、ゾランは唇を結んだ。
バレヌ王国には五つの出版社があり、クレイヨン出版もその一つだ。最も古いのが首都カシャロにあるカシャロ社で、カシャロ社は王室よりの記事を書く、正統派の新聞社だ。次に古いのがオルク社。こちらは民衆よりの記事を書く傾向にある。全国紙はこの二社だけで、残りはいわゆるタブロイド紙だ。低俗なゴシップやレースなどの賭け事に関する情報が多い、アムステー出版。王国や冒険者の不正を真っ向からぶった切り、過激な記事を書くラウカ社。そして、ゾランたちが所属するクレイヨン出版だ。特色のある他の出版社にくらべ、クレイヨン出版の新聞はやや見劣りする。決して、良質な記事がないと言う意味ではないのだが、派手さにかけるのが本音だった。
(とはいえ……生活欄の記事を書いてる俺に出来ることって……)
不謹慎だが、何か大事件が起きて、それを自社が取れれば、状況は良くなるだろう。だが、現実はそう甘くない。クレイヨン出版のような弱小出版社の取材を受けてくれる冒険者は少なく、記事はどうしても後追いになる。記事の鮮度が落ちれば、読む人は少なくなる。くじらの寝床亭のように、クレイヨン出版の新聞を置いてくれる店の善意で、なんとか成り立っているようなものなのだ。
どうしたものかと思いながら、ゾランは手帳に意味もなくペンを滑らせた。