科×妖・怪異事件譚
第14話
袖口引き童事件譚【後編】
外に出て歩きだしてから約10分程が経過した頃……。
漸く目的地に辿り着いた花蓮と茆妃は目前で佇む人物を目にし、手前で立ち止まる。
距離にして約数十メートル程。
そこに居たのは柳の木の下に佇む、件の少年霊だ。
しかし、少年霊は何故か悲しそうに、こちらを見つめている。
「ねえ、どうしたらいいと思う?」
想定外の状況に少し、戸惑う茆妃。
しかし、花蓮はいつも通りの落ち着いた口調で言った。
「どうしたらって……
行ってみるしかないでしょ?
意思の疎通はできそうだしさ」
そして、花蓮は徐に少年霊の元へと歩み出す。
だが……。
(なんだろう……?
何か変な寒気がするわ
あの少年霊が原因なのかな?
でも何かが違うような……)
何ともいえない妙な違和感と悪い予感。
それは疱瘡婆や赤い女、夢ダルマの時に感じたものとも明らかに異なる……。
言葉にできない妙な感覚だった。
しかし、それは明らかに不可解な事柄……。
もし、その奇妙な悪寒が少年霊から発せられる空気が原因であったならば、目前の少年霊は疱瘡婆や赤い女。
夢ダルマよりも危険な相手だということになる……。
だが、本当にそうならば専門家である花蓮がそれに気づかないのはおかしい。
だとしたら……?
(もしかして、まだ何か居るのかも……?)
少年霊に近付くにつれ、増していく悪い予感。
それと同時に悪寒も強まっていく……。
何故、花蓮はこの違和感に気づかないのか?
不自然すぎる状況に。
積み重なっていく違和感。
そんな少なからず得られる情報から茆妃はある結論に辿り着く。
(もし……
本当に誰かが居るとしたなら
恐らく……)
茆妃は自身の結論を信じ、疾風のように走り出す。
それと同時、茆妃は腰のベルトに差していた金属製の警棒を引き抜く。
「花蓮!
気をつけて!」
「え?」
突然、茆妃から放たれた一声。
その一言により、花蓮は即座に立ち止まる。
だが、その最中……。
突然、暗がりから短い刃が音もなく姿を現す。
その刃は花蓮の喉元に向けられ、前方の空間を切り裂くように喉元に迫った。
だが……。
花蓮の喉元に触れんとしたその刹那。
茆妃の振るった警棒が勢いよく、その刃を弾き飛ばす。
「花蓮!
怪我はない!?」
「え、ええ……
なんとか」
茆妃は花蓮が無事なのを確認し、即座に柄にあるボタンを押した。
その直後、警棒のリーチが瞬時に変化し、二倍程度の長さを有する代物へと変化する。
「おやおや、伸縮式警棒ですか
そんなモノを持っているということは、警察関係者か何かですかねぇ?」
「意外と博識ね
それより、貴方は一体何者なの!?
早く姿を見せなさい!」
「まったく、勘のいいお嬢さんですねぇ
困った、本当に困った」
茆妃のそう怒声を発した瞬間……。
暗がりの奥から怪しい男が姿を現す。
真っ黒なシルクハットと外套を纏い。
真っ赤な上下の背広を身に着けた男……。
年齢は40代前半といったところだろうか?
背丈は進程度の高さで中肉中背。
黒ぶち眼鏡を着用している。
一見すれば医者か紳士といった風貌だが、そう呼ぶには明らかなる違和感があった。
そして、男はそんな異様な空気を纏いながら律儀に問いに答えるべく口を開く。
「そうですねぇ……
それでは私のことは、ドクターSとでもお呼びください」
「何がドクターSだよ!
あんた、どう見ても日本人でしょ!
この西洋人かぶれ!」
「まあまあ、そこの粗暴な巫女さん
そう怒らずに聞いてください
実は私は英国で西洋医学を会得した身でしてね
更に更に博士号も取得している科学者でもあるのですよ」
「なら人殺しなんかしないで、人を救いなさいよ!
このやぶ医者!」
花蓮はドクターSの飄々とした態度に怒りを感じ、声を張り上げながら怒気を放つ。
しかし、それは至極当然の話だ。
何の理由もなく突然、殺されそうになったら怒りを感じないのはある種の聖人か、人外の実力を持つ強者。
或いは感情の欠落した者くらいものだろう。
だから花蓮のそんな怒りは至極当然のものだったのだが、ドクターSは煽るようにワザとらしくタメ息をつく。
「あのね~、粗暴な巫女さん……
決めつけは良くなぁ
私はね、科学の発展のために研究に身を捧げているのですよ
だから殺さなきゃいけないんです……
大事な大事な研究のためにねぇぇぇぇ」
(な、なんて……悍ましい顔をするんだよ、コイツ……)
まさに狂人だけが出来るであろう、イカれた表情。
花蓮はそんなドクターSの狂気に気圧され、僅かに後ずさる。
だが、茆妃はそんな狂気に臆することなく、ドクターSへと距離を詰めた。
「人を殺してまでしなければいけない研究って何なの?
科学を学ぶ者の一人として、是非ご教授頂けないかしら?」
「これはこれは……勉強熱心なお嬢さんだ
いいでしょう
冥途の土産に、ご教授して差し上げましょう!」
茆妃の一言に気分を良くしたドクターSは、不気味な笑みを浮かべ軽く拍手をしたあと……。
続けざまに口を開く。
「私はね、ある希少存在の研究をしているのですよ
どうすれば誕生するのかという研究をねぇ」
「その希少存在ってというのはなにかしら?」
「まあ、そうですねぇ
西洋風に言うとストレンジネス
日本的な言い回しならば……まあ、怪異ですかねぇ」
「なるほど、ストレンジネスだからドクターSなのね
つまり、貴方は妖を生み出す研究をしているということね?」
「イエースゥ!!
素晴らしい!
素晴らしい理解力です!
具体的には発生に関する研究と、その後の生態に関する研究ということになりますが……
まあ、細かいことはさておき、惜しい!
実に惜しいですねぇ!」
「何が、惜しいの?」
その不快感な一言に顔をしかめながら、茆妃がドクターSに問いかける。
「いえね、実は今は人手が不足していまして
正直に言うと優秀な助手が欲しかったんですよ
でも目撃者は消さないといけませんからねえ……
困った、困った」
「なら殺さなきゃいいだけでしょ?」
「まあ、確かにそうですねぇ
しかし……
ああ、そうだ!
なら貴女、私の助手になりませんか?
それならば、そこの粗暴な巫女さんだけ切り殺して終了ですねぇ
万事解決、良かった良かったぁぁぁ~!」
「ふ、ふざけるなぁぁぁ!!」
その直後、黙って話を聞いていた花蓮がドクターSのそんな身勝手発言にブチ切れる。
そして、その怒りに任せドクターSに向けて、10枚の式符を放った。
その式符は即座に紫色の蜂・紫水へと姿を変え……。
凄まじい速さでドクターSに襲い掛かる。
だが、それとほぼ同時だった。
茆妃がタイミングよく、紫水に動きに紛れながらドクターSまでの距離を一気に潰す。
だが、その隙の無い連携を前にして尚、ドクターSから余裕の笑みは消えなかった。
それどころか……。
「おやおや、これは参りましたねぇ
まさか、交渉が破綻してしまうとは……
やはり、私には人徳がないんでしょうか?」
「殺人鬼に人徳なんてあるわけないでしょ!?」
ドクターSのふざけた言動に、激高しながら茆妃が警棒を振るう。
しかし、ドクターSは大型のメスを模したような形状のナイフで、その一撃を軽々と受け流す。
だが、その一撃を凌いだ後、ドクターSは深いタメ息をつく。
「心外ですねぇ、心外ですねぇ
私は好きで人を殺しているわけじゃないんですよ?
この過程が今回の怪異を生み出すのに、必要だったから行っただけなのです
殺人鬼なんて誤解も甚だしい」
「なら何で、そんな楽しそうに笑っているの!?
嘘をつくんだったら、もっとマシな嘘をつくべきでしょ!」
「酷いなぁ
この顔は生まれつきなんですよ
人権侵害ですよ、お嬢さん?」
(何なのよ、この男……?
いくら隙を突いて、打ち込んでも全く当たらない……)
飄々としているのに、その動き俊敏で捉えどころがない。
そのふざけた在りようとは異なり、ドクターSはまさに回避の達人だった。
なれど……。
凄い見切りだが、追えない動きじゃない。
そう感じた茆妃は死角からの攻撃を織り交ぜる。
右からの上段打ち込み後の視界外からの逆袈裟。
だが、それら全てを皮一枚で躱され、茆妃は何とも言えない焦りを覚えた。
それは、まるで空気を相手にしているような奇妙な感覚……。
全く掴みどころがなく、戸惑いを覚える。
それでも尚、茆妃に絶望感は無かった。
(これでどうかしら?)
茆妃は瞬時に構えを切り替えると……。
即座に予備動作の少ないモーションで、ドクターSに向けて七連撃の突きを放つ。
この隙のない連撃はドクターSにとっても予想外だった。
流石のドクターSも躱しきれず、ナイフでその攻撃を受け流す。
しかし、それはあくまでも囮。
実は別方向からの追撃が放たれていたのだ。
その追撃とは……。
茆妃の背後から現れた10匹の紫水による追撃。
ドクターSを取り囲んでの毒針連続射出であった。
この意識外からの追撃は、ドクターSの虚を突く。
「マズいですねぇ
本当にマズいですねぇ!」
回避不可能だと悟ったドクターSは、即座に外套を取り外し……。
それを鞭のように振り回し、一気に針を撃ち落とす。
だが、その防御動作がドクターSに一瞬の隙を生じさせる。
当然それを見逃すような茆妃ではなかった。
茆妃は瞬時に、しゃがみ込み……。
死角から強烈な下段蹴りを放つ。
「むう、なんと!?」
意識外から放たれた茆妃の右脚の蹴りは、見事にドクターSに直撃。
バランスを崩したドクターSは、勢いよく地面へと転倒した。
当然、茆妃と花蓮が、そんな最高の好機を逃すはずもなく……。
茆妃は即座に警棒を振り下ろし、花蓮は一気に勝負を決するべく、紫水による追撃を行う。
「ここまでよ!
変質者!」
「暴漢退散!」
「ぐお!
むうう!?」
そして、倒れた状態で受け流すことが出来なくなっていたドクターSは、二人からの追撃を防ぐべく両腕で守りを固めた。
だが、攻撃を受けた直後、一瞬の隙を突き、その場から転がりながら離脱。
二人から一気に距離を取ったのち、ドクターSは苦悶の表情を浮かべながら立ち上がる。
「やれやれ、酷い目に遭いましたねぇ……
しかも変質者とか、暴漢とか言いたい放題ですし
本当に失礼な人たちですよ」
「黙りなさい!
人を殺して喜んでいる猟奇殺人鬼なんて、変質者で十分でしょ!?」
「良く言ってくれたな、茆妃
私も同感だぞ!
お前みたいな最低の暴漢野郎は、まさしく女性の敵だ!
ボコボコにして警察に突き出した後は、あること無いこと噂で流して、社会的に抹殺してやるから覚悟しておけ!」
「ちょ……ちょっと!
気持ちは分かるけど相手が犯罪者だったとしても、あること無いこと嘘を振りまくのは犯罪だよ!?」
「大丈夫!
バレないように、もみ消せば嘘も真実になるから!」
「いやいや、嘘は真実にはならないでしょ!?」
ブチ切れてとんでもない発言を繰り返す花蓮に、茆妃は堪らずツッコミを入れる。
だが、まだ油断はできない。
何故なら……目前に居るのは達人級の実力を持つ猟奇殺人者なのだから。
もっとも茆妃の警棒による打撃と花蓮の紫水による攻撃で、両腕は深刻な痛手を負っているため、戦力は大きく減退している。
しかし……。
「困りましたよ
本当に困りましたねぇ
君たちのお陰で両腕が使い物にならなくなってしまったではないですか?」
追い詰められているにも関わらず、ドクターSから不気味な笑みは消えなかった。
そして、ドクターSは……。
不気味な笑みを浮かべながら、こう続けた。
「仕方がないですねぇ
後はお任せしましょうか
実験体零零七号餓鬼玉に……」
と……。