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第七十五話 模様替え

 私と真希乃ちゃん、久留生くんが出演した映画は、真希乃ちゃんと久留生さんがルーチェ所属タレントだったこともあり、公開の是非が問われていた。


 このままお蔵入りするのではと、世間も私たちも思っていたけれど、羽風監督が発表した声明によって、評価は大きく変わることになった。


「僕は、どこの事務所に所属している俳優だとかタレントだとかは一切考えずにキャスティングしています。僕が考えた物語の中にぴったりと当てはまる人物を選び、それが今回、城川真希乃と久留生栄斗だっただけです。出演者全てが全力を尽くしてくれたおかげで良い作品が作れたことには間違いないので、このまま公開できばと考えています」


 羽風監督の言葉は力強く、私たちの背中を押して、そして支えてくれるものになった。世間からも公開を望む声が大きく上がり、春に映画は公開されることが決まった。


 よかったね、とコスモプロダクションの事務所で私と荒木さん、真希乃ちゃんと久留生さんは手を取り合って喜んだ。


 話題作に出演している俳優が、騒動があった結果とはいえ、全員コスモプロダクション所属の女優・俳優ということに荒木さんも力が入っている様子だった。




 仕事が終わり帰宅し、映画の公開が決まったことを梓くんに話せば、梓くんもとても喜んでくれた。その表情にはどこかホッと安心している様子もあった。梓くん自身も騒動に絡んでいるから、顔には出さなくても不安でいっぱいだったのかもしれない。


「それじゃあ、私、荷物を部屋に置いてくるね」

「うん」


 コートとバッグを腕に引っ掛けて、この家に来てからずっと使わせてもらっている部屋の扉を開ける。

 部屋の中には、折りたたまれた布団一式と姿見、それから前の家から持ってきたままになっている段ボールが置いてある。

 当時はすぐにここから引っ越すことを考えていたから、最低限のものしか段ボールから出していない。


(梓くんは、今どう考えているのだろう……)


 私とずっと一緒に暮らすことを考えているのかな。そうだったら嬉しいけれど、自分からそれを切り出すのは勇気がいる。「ううん」ともだもだ考えていれば、不意に背中側から温もりで包まれる。


「梓くん」

「ご飯できたよって何回か呼んだんだけど、なかなか戻ってこないから」

「あ、ごめんね。ボーッとしてた」

「考え事?」


 梓くんの声がどこか心配そうな声色に変わって、慌てて「大したことじゃないんだけど」と言う。

 思い切って言ってしまおうか。でも、変な顔をされてしまったらどうしようと戸惑う。


「あの、荷物……荷物をね? そろそろ、全部箱から出そうかなって……」


 どうにでもなれと思いながら、いざ口を開いてみたはいいものの、喉が閉まって声は小さくなるし、考えがまとまらないように言葉はまごつく。


 自分でも最後まで言い終えたか分からない言葉をもって、黙ったままの梓くんの顔を軽く振り返って窺い見る。そうすれば、彼は自分の顔を隠すように私を強く抱きしめて、私の肩に顔を埋めた。


「俺と一緒に住んでくれるの?」


 くぐもった梓くんの声が聞こえてくる。


「う、うん。いいかな……?」

「当たり前だろ。俺はずっとそうしたいって思っていたんだけど、祈里はまだ引っ越し考えてるかな、とか考えてたら、言い出せなくて」


 嬉しい、と言って梓くんは私の体を抱きしめたまま、左右に揺れる。自然と私の体も揺れて、まるでアトラクションにでも乗っているような気分だ。


「じゃあ、近いうちに荷物の整理するね」

「あ、それなら俺からも提案があるんだけど……」


 梓くんの腕の中で体を回転させて、彼と向き合う形を取る。頬を軽く赤く染めた梓くんは、「んんっ」と言いにくそうに咳払いをした。


「よかったら、俺と寝室を一緒にしませんか?」


 そう真剣に、大真面目な顔で、どこか照れくささを含んで提案する梓くんは、とても可愛らしく、愛しかった。



 部屋の模様替えはそれから一週間後の、梓くんと私の休みが一緒の日に行われることになった。

 梓くんが元々寝室として使っていた部屋を、そのまま二人の寝室にしようという話になった。

 ベッドは梓くんが使っていたものをそのまま流用して、シーツだけ二人で選んで交換することにした。


 ラグやカーテンも私の好みを反映させてくれて、モノトーン調で統一されていた梓くんの部屋はホワイトとブラウン調の寝室へと変化した。

 二人で選んだ間接照明やチェストなどを、どこが良いかと話し合いをしながら設置して、模様替えを進めていく。


 朝から始めた作業に気が付けば二人とも昼休憩を取ることも忘れていて、時計を見れば十四時を過ぎようとしているところだった。


「少し休憩しようか」

「そうだね」


 梓くんにはそのまま座っていてもらって、自分がキッチンの冷蔵庫に飲み物を取りに行く。炭酸ジュースを持って、新しく二人の寝室となる部屋へと戻り、梓くんに飲み物を渡した。


「俺の部屋じゃないみたい」


 随分と変わった部屋の様子を見て、梓くんは興味深そうに笑う。


「私もなんか変な感じ」


 今まで梓くんの家に居候させてもらっているという感じだったからだろうか。自分の私物や好みのものが、たった数日、数時間の間に増えていくことが不思議だ。


「ちょっと新しい雰囲気になったベッドに横になってみませんか? 祈里さん」

「ふふ。横になったら寝ちゃいそう」

「それはそれでいいんじゃない?」


 二人で新しいシーツに包まれたベッドに上がって横になる。梓くんに腕枕されて見上げる天井は、何も変えていないはずなのに、そこも何だか新しい感じがする。


 抱き寄せられて、猫のように擦り寄ってくれる梓くんの毛先が私の頬に当たってくすぐったい。


「この部屋だけじゃなくてさ。リビングとかキッチンとか、そっちにももっと祈里のものを増やしていこうよ」

「いいの?」

「いいに決まってるだろ。俺たち二人の家なんだから」


 一緒に作っていこう、と梓くんが優しく微笑む。

 胸の奥がくすぐったくて、キュンと高鳴る感覚がする。梓くんの体に腕を回して、私よりも大きなその体を目一杯抱きしめた。


「祈里が安心して帰ってこれる場所にするから」

「それはもう、ずっと前からそうだよ」


 私の後ろ髪を撫でる梓くんの指が一瞬止まる。「またすぐそうやって可愛いこと言う」と強く抱きしめ直される。

 最近気づいた梓くんの癖が愛しい。指や言葉が停まるのは、私が何か言ったときに、不意にときめいてくれた証拠。


「私も、この家が、梓くんが安心して帰ってこられる場所にするから」

「ん、ありがとう」


 私の髪を掬って、梓くんはその毛先に口づけを落とすように口元に持っていく。それから、私の左手で遊ぶように繋いだり、握ったり、絡めたりされて、梓くんの長くて骨ばった指が私のピンキーリングに触れた。


「これ、本当にいつもしてくれてたんだ」


 繋がれたまま、天井のほうへ手を伸ばされる。梓くんが、リングをすりすりと撫でる。


「うん、宝物だから」

「いつか……」


 梓くんが何かを言いかけて口を閉じる。


「いつか?」


 少しだけ体を起こして梓くんの顔を見れば、彼はゆるゆると首を横に振った。


「いや、なんでもない」

「え、なに? 気になる」

「ダメ、今は教えない」


 ふぃっと私から顔を逸らすようにそっぽを向く梓くんにムッとしてしまう。教えてよ、とそのわき腹をくすぐれば、梓くんは「やめて」と笑いながら身を捩った。


「じゃあ、何を言いかけたの? 教えてよ」

「それは、教えない」

「それなら、私もやめない」

「ちょ、やめてっ」


 二人の好みが合わさった部屋に、私たちのじゃれ合う声が響く。そのうちに梓くんの反撃にあってベッドに組み敷かれて、柔らかな体温と感触に唇を塞がれる。


「今はまだ言わないけど、ずっと祈里と一緒にいたいって思ってるから」

「それって、もう全部言ってるみたいなものじゃない?」

「いいじゃん」


 額をくっつけ合って、くすくすと笑う。甘い時間と共に、外は夕焼けに染まっていく。寝室から、新しい私たちの生活が始まった。


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